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近藤誠氏による乳がんの生存曲線のインチキを解説してみる

近藤誠氏は「がん放置療法のすすめ」「医者に殺されない47の心得」などの著作で知られる医師である。2014年6月29日に放送された、<BSフジサンデースペシャル>『ニッポンの選択』というテレビ番組に、近藤誠氏が出演していた。その中で近藤誠氏が提示した、放置した方が長生きすることを示す乳癌の生存曲線を引用する。





近藤誠氏「これからお見せするのは乳がんで、臓器転移がある患者さんのね、もうstage IVですけれども、治療成績がどう変わったかというと…」


一見しただけでは、抗がん剤を使用する現代の治療よりも、抗がん剤や放射線療法や手術すらなかった100年前のほうが長生きしたように見える。ナレーションでも「何もしない赤のほうが生存率が高いのです」と言っている。しかしながら、放置したほうが長生きできるというのは見せかけだけのものである。それなりの知識がある人がみれば、近藤誠氏によるインチキはだいたい予想がつく。

結論を先に言えば、「対症療法のみ」の群は、症状が生じた時点を生存期間の起点としていることと、進行度の低い症例も混じっていることから、抗がん剤使用群よりも長生きしているように見えているだけである。本エントリーのここから先はこの結論の詳細な解説である。忙しい方は、近藤誠氏は、不適切な比較によって、抗がん剤治療が寿命を縮めると視聴者を誤解させたということだけを覚えていただいて、あとは読むのを止めていただいてかまわない。

さて、近藤誠氏がどのようなインチキをしたか予想できたとしても、「たぶん、こんなインチキしているのであろう」というのは批判として不十分である。グラフの元になった論文があるはずなのでそれを読まねばならない。そこで、出典とされている「New England Journal of Medicine 2002;347:781-798」を読んでみた。雑誌は一流誌である、それほど変なことが書かれているはずがなかろう。

ところが読んでみてびっくり。近藤誠氏が提示したような生存曲線は、出典とされている論文には載っていない。というか、乳がんの論文ですらなく、前立腺がんの論文であった。いったいどういうこと?このデータどこから来た?本当の出典については、インターネットの集合知で判明した。詳しくは■近藤誠氏による乳がんの生存曲線 - Togetterまとめを参照のこと。情報を提供してくださったみなさまに感謝したい。本当の出典は以下である。


A.(抗がん剤なし群)→Bloom HJ et al., Natural history of untreated breast cancer (1805-1933). Comparison of untreated and treated cases according to histological grade of malignancy. Br Med J. 1962 Jul 28;2(5299):213-21.
B.(抗がん剤多剤併用群)→Greenberg PA et al., Long-term follow-up of patients with complete remission following combination chemotherapy for metastatic breast cancer. J Clin Oncol. 1996 Aug;14(8):2197-205.
C.(抗がん剤(ドセタキセル)の乗り換え治療群)→O'Shaughnessy J et al., Superior survival with capecitabine plus docetaxel combination therapy in anthracycline-pretreated patients with advanced breast cancer: phase III trial results. J Clin Oncol. 2002 Jun 15;20(12):2812-23.


それぞれの論文の要旨をざっと言うと、


A.(抗がん剤なし群)→「乳がんを放置すると3年も経たずに半分が死ぬ。10年でほとんど死ぬ。ちゃんと治療しようぜ」
B.(抗がん剤多剤併用群)→「転移性乳がんに対して抗がん剤治療を行って完全寛解した群は長生きする。完全寛解するような治療戦略が必要だ」
C.(抗がん剤(ドセタキセル)の乗り換え治療群)→「アンスラサイクリン系抗がん剤が効かない、あるいは、効かなくなってきた転移性乳がんの治療はドセタキセルが標準治療だけど、カペシタビンを併用したらもっと有効だったよ」


当たり前だが、これらの論文には「癌は放置したほうがいい」「抗がん剤が命を縮める」なんてことは一言も書いていない。むしろその逆である。

近藤誠氏はさまざまな著作で「乳がんの生存曲線」を提示している。著作によってはきちんと出典を明示しているものもあるが(『抗がん剤は効かない』 2011年5月、『がん放置療法のすすめ 患者150人の証言』 2012年4月)、無関係な出典が加わっているもの(『プレジデント 2013年6月17日号』)、無関係な出典のみのもの(<BSフジサンデースペシャル>『ニッポンの選択』 2014年6月)がある。

『これでもがん治療を続けますか』、文春新書、2014年4月にも同様の図があったが、なぜか出典の記載はなかった。







グラフ1は臓器転移がある乳がん患者の生存曲線です。細い実線は100年以上前の患者たちの生存曲線です。抗がん剤がなかった時代なので、痛み止めなどの対症療法が行われました。太い実線は、現代の乳がん患者の生存曲線で、多くが乗り換え治療を受けています。
抗がん剤治療や乗り換え治療が盛んになった現代では、患者の余命が短くなっていることが一目瞭然です。このように抗がん剤には「縮命効果」があるのです。(P170)


乗り換え治療とは、近藤誠氏によれば、「再発・転移するごとに、次々と別の薬に乗り換えて(P170)」続けられる治療のことである。「B 抗がん剤の乗り換え治療の生存曲線」は、全例、アンスラサイクリン系の抗がん剤からの「乗り換え」である。

出典の記載の誤りは単純ミスかもしれないが、近藤誠氏の誤りはそれにとどまらない。「A 約100年前の対症療法のみの乳がんの生存曲線」は、原典にあたってみたところ、全250例中、Stage 2が6例(2.4%)、Stage 3が58例(23.2%)含まれていた。これらの症例は入院時点では臓器転移は確認されていない。「グラフ1は臓器転移がある乳がん患者の生存曲線です」という近藤誠氏の説明は嘘である。一方、「B 抗がん剤の乗り換え治療の生存曲線」の患者は全例、転移性乳がんである。

病期が異なることは「対症療法のみ」群が見かけ上生存率がよく見える一因になるが、決定的なのは生存期間の起点である。「対症療法のみ」群の生存期間は"FROM ONSET OF SYMPTOMS"つまり「症状が生じた時点」が起点である。一方で、「抗がん剤の乗り換え治療」群は、無作為化比較試験であるので、一般的には起点は無作為割り付けされた時点である。どのような患者が「抗がん剤の乗り換え治療」の優劣を決める臨床試験に参加するのか。たとえばこのような患者である。

「乳房のしこりを自覚し、6ヶ月ほど様子をみていたが徐々に大きくなってきたので思い切って病院に受診したところ、乳がんと診断された。受診から2ヶ月後に外科的切除と放射線治療を受け、外来で経過を観察されていたが、手術から3年後に肺転移を指摘された。アンスラサイクリン系の抗がん剤治療を受け、いったんは転移巣は縮小したが8ヶ月後の検査で増大が指摘された。臨床試験についての説明を受け、同意し、2ヶ月後に無作為割り付けされた」

この仮想的な事例では、「症状が生じた時点」と「無作為割り付けされた時点」との間に、4年6ヶ月の開きがある。抗がん剤のセカンドライン治療の臨床試験に参加する患者群はすでに他の治療を受けてきたため、「症状が生じた時点」(あるいは検診で無症状で発見されたケースでは「放置していれば症状が生じたであろうという時点」)から何年も経っているのが通常である。現代で「患者の余命が短くなっている」のではない。そもそも現代でなかったら大多数が死亡したであろうという患者を対象にした臨床試験なのだ。

その点を無視して「症状が生じた時点」を起点とした生存曲線と並べて『抗がん剤には「縮命効果」がある』と結論するのは誤りである。無作為化試験が未実施あるいは不可能な場合において、やむを得ず仮想的な対照と比較することはある。だが、いくらなんでもこの比較は不適切きわまりない。近藤誠氏は「膨大な数の論文を読み込」んだそうである。にも関わらず、こうした誤りを犯したのだとしたら、とんでもないボンクラだと言わざるを得ない。しかし、近藤誠氏はボンクラではないと私は考えている。

テレビで一瞬だけ見て近藤誠氏の主張を信じる視聴者や、近藤誠氏の本だけを読んで他の情報にあたらない読者もいるであろう。むしろ、そちらのほうが多いのではないか。いちいち原典に当たる人などごく一握りである。近藤誠氏はそのことを十分に理解していると思われる。

だが、近藤誠氏の主張に疑問を持った人に対する情報提供は必要であると信じる。「何かおかしい」「本当かな」と思い、「近藤誠 乳がん」で検索し、このページにたどり着く人が一人でもいればそれでよい。

なお、近藤誠氏へのカウンター情報として、書籍では、


■「抗がん剤は効かない」の罪 勝俣範之 (著)


が有用である。単に近藤誠氏への批判に留まらず、現状の通常の治療に対する問題提起(早目の緩和ケアが望ましいにも関わらず現状では不十分である、など)もなされている。

インターネットで入手できる情報は、


■近藤誠氏への反論|がん治療の虚実


が信頼できる。確かな根拠に基づいて近藤誠氏の誤りについて解説してある。どちらも腫瘍内科医によるものである。



追記(2014年7月17日):

同様の図の出典の間違いおよび不適切な比較について、以前に既に指摘されている。


■もしも近藤誠センセイから「がんの放置治療」をすすめられたら - メディカル・インサイトの社長日記<Part.2>


このような記事が増えることが望まれる。