NATROMのブログ

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母乳を与えないのは虐待?

母乳栄養にさまざまな利点があるのは事実であるが、あまりにも母乳栄養への信仰が強すぎるせいか、極端な主張がなされることがある。「適切に対処すればほとんどの母親は母乳が出る」「母乳をあげていればフォローアップミルクは全く不要」というものや、「麻疹の予防接種は不要で自然感染したほうが良い。母乳栄養であれば乗り切ることが出来るだろう」というワクチン否定、果ては「粉ミルクでは母乳に入っている母親の大事な人間としての遺伝子が子どもに伝わらず、ウシの遺伝子が赤ん坊に注ぎこまれる」というトンデモなものまで。マクロビオティック礼賛、ワクチン否定、産科医による出産への介入否定、陣痛促進剤否定などの、「自然なお産」と結びつくことが多いようだ。

母乳育児に関連した日本語論文をいくつか読んでみたのだが、さすがに露骨なトンデモな主張はないものの、言葉にするのが難しい違和感を感じるのだ。一例として、大島清、哺乳動物の特性、産婦人科治療 85:P365-370(2002)を紹介してみよう。まず、アブストラクトから。



哺乳動物のなかで人間が一番脳が発達している。進化の過程で直立二足歩行をはじめ、火で肉食を可能とし50万年ほど前には脳が1000g位になったところでコトバをしゃべるようになった。人間の前頭葉を占めるソフトウェアは、コトバみがきによって作られた思考の原点となる。
ところが最近、この人間のコミュニケーションの質が極端に低下している。とくにコミュニケーションにさまざまな電子機器が介在するようになって、その傾向はいっそう顕著になっている。みどり児は、母に抱かれ、囁かれながら、母乳を吸綴することによって母を把握することができる。これが精神的人間形成の一歩になることは古来知りつくされていたはずだ。ところがその原点を忘れて、テレビ、ビデオ、ゲームなどを子守り代わりにしている愚かな母親が増えている。こうした電子音声ばかり与えていて、子どもの心が健全に育つはずがない。これが、近年急増している幼児虐待や少年犯罪の一因にもなっている。


すごく微妙。テレビ、ビデオ、ゲームなどを子守り代わりにすることが良くないことには反対しないが、「近年急増している幼児虐待や少年犯罪の一因にもなっている」とどうして言えるのだろうか。そもそも少年犯罪は戦後にかけて急増はしておらず、凶悪犯罪についてはむしろ減少している(■少年犯罪は急増しているか)。虐待についても、社会的な関心が高まるだけでも報告数は増えるので、実際の虐待数の推移を推測するのは困難である。殺人は暗数が小さくなると考えられるが、嬰児殺(赤ちゃん殺し)および幼児殺人被害者数も、昭和50年ごろから現在にかけてむしろ減少している(■嬰児殺(赤ちゃん殺し)と幼児殺人被害者数統計)。むろんこれは虐待以外の殺人も含まれているが、「嬰児殺とは1歳未満の赤ちゃんを殺害すること。まったく関係ない者による犯行も含まれるが、大多数は父母かその愛人、または祖父母の手によるもの。特に母親が9割前後を占める」とのことである。

「テレビ、ビデオ、ゲームなどを子守り代わり」にすることが急増している幼児虐待や少年犯罪の一因となっているかどうか以前に、そもそも幼児虐待や少年犯罪が急増しているというところから根拠を示すべきであった。大島は、幼児虐待や少年犯罪数の年次推移など示していない。代わりに、米国での経験と、単に2000年度での児童虐待の件数が多いことを示しただけである。



 そこで思い出すのが、今からおよそ40年前、私が招へい助教授として渡米したときの思い出だ。1964年(昭和39年)から5年間、米国シアトルのワシントン州立大学にいたとき、米国内の犯罪には目を見張るものがあった。4月のケネディ暗殺に端を発し、その年キング牧師も凶弾に斃れている。殺人・強盗、大学のエリートが家で女房をぶん殴るは日常茶飯事だった。その頃、米国人の母乳保育は地に堕ちていた。赤ちゃんは個室、自立心を養うためが叫ばれて、泣けど叫べど夫婦はベッドでいちゃついている。離婚女性は入り込んできた男に気がねか、子への残虐な虐待、それに比べると現在の米国の姿は嘘みたいに平穏だ。
 統計によると米国の母乳哺育は世界一に逆転していた。逆に40年前世界一を誇っていたわが国の成績は中ぐらいに下落している。
 全国で2000年度に新たに起こった児童虐待が推計で35000件にのぼることが、この6月11日に公表された厚生省研究班の初の全国調査で明らかになっている。報告のうち50%が就学前の乳幼児に対する虐待で、79%が治療やケアを必要としている。


米国の母乳哺育率の統計について知りたかったのだが、リファレンスは挙げられていなかった。上記引用した部分だけでわかると思うが、医学雑誌に掲載されたというだけで、大島(2002)は論文ではなくエッセイである。このあと、大島は新聞に掲載された虐待例を「ゾッとするような記事」(ちなみに母乳か人工乳か記載なし)として言及した後、



母乳哺育の頂点に立つ人間が、母乳を与えず、ペットボトルに入ったミルクで与えること自体、乳幼児虐待ではないのか、と切歯するのは私だけではあるまい。


と述べる。そんなもんあなただけだと言いたいが、どうやらそうでもないらしいところがこの問題の難しいところである。「母乳哺育の頂点に立つ」というのは意味が不明である。大島清氏の経歴に「京大霊長類研究所教授」とあるが本当なのか。なにより、与えたくても十分に母乳が出ない母親、あるいは社会的に母乳を与えるための十分な時間がとれない母親に対する気遣いがまったく感じられない。大島清氏の経歴に「東大医学部卒、産婦人科入局」とあるが本当なのか。

母乳の素晴らしさのみを強調し過ぎると、十分に母乳が出ない母親にプレッシャーや挫折感や罪悪感を与えてしまう。ブログ「強欲でいこう」では、多くの論文を参照し母乳だけで保育が不可能なケースの割合を10〜15%と推定した上で、母乳栄養の過度な推進について苦言を述べている。


■母乳育児の検証4(強欲でいこう)


1割の妊産婦に、母乳分泌不全の可能性がある以上、母乳育児以外の情報の伝達も、関係者の業務の範疇と言えるだろう。母親たちに、母乳分泌不全の割合や母乳と人工乳の客観的差異、砂糖水を与えることや適切に人工乳を与えないことの栄養上の危険性、ミルクにも低アレルギー用やそうでないものがあること、メーカーによって、添加されている栄養素が異なることなど(糖分量や脂肪分量などに差がある。詳細は後述)、与えるべき情報は決して少なくないはずである。
「赤ちゃんに優しい病院」は、9割の赤ちゃんには優しいかもしれないが、他の1割の赤ちゃんには優しくない。場合によっては、関係者の本位に反して、虐待行為に近くなってしまう。それでよいのか?助産師たちは、そんな状況を望んでいるのか?「赤ちゃんに優しい病院」の普及は、望まれるものではある。しかし、その前に、母乳を推進しようという意気込みが行き過ぎている点を率直に認め、今回挙げた問題点についてもっと議論されるよう、希望したい。


完全母乳栄養にこだわりすぎて、十分な栄養を与えなかったり、母親がイライラしたりするぐらいなら、人工乳に頼ったほうがよい。それが適切なバランス感覚というものだ。