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丙午の年の死産率が高いのはやっぱり・・・?

前回の■なぜ丙午の年に乳児死亡率が高いのかでは、丙午の年の乳児死亡率の増加は見かけ上のもので、「よかった。殺された乳児はいなかったんだ」という結論であった。一方、乳児死亡率だけではなく死産率も、丙午の年に興味深い動きを示している。グラフにしてみると、明らかに丙午の年の死産率は高い。





死産率等の経時変化


丙午生まれを理由に乳児を殺すというのはさすがに統計で見えるほどの数があるとは考えにくいが、人工妊娠中絶ぐらいならありそうに思える。しかし、丙午を理由にした人工妊娠中絶が丙午の年の高い死産率に影響したと断言するのは難しい。丙午の年の死産率の増加を説明する仮説は複数考えられる。たとえば以下のようなものである。

  • 仮説1:丙午の出産を避けるのを目的とした人工妊娠中絶 

 まず思いつくのはこれ。丙午を理由とした中絶がゼロだったとは考えにくいが、統計で見える死産率の増加を説明できるかどうかは別問題である。丙午の年に自然死産率も人工死産率と同様に高くなっているのは、仮説1に否定的なデータに思えるが、人工妊娠中絶であっても自然死産と届け出されたという可能性もあろう。

  • 仮説2:出生数低下による相対的な死産率の上昇

 死産率は上昇しているが、死産実数は上昇していないことから、仮説2を支持する人もいるようである*1。単純に考えれば、出生数が減っても同じ割合で死産実数も減るはずで、死産率は変わらないように思える。出生数ほどには死産実数は減っていないことについて、何らかの説明が必要だ。丙午の年に出産を回避する層と、しない層での死産率が異なると仮定すれば、出生数減少と死産実数減少の乖離について説明できる。説明のために、ざっくり単純なモデルとして、丙午を気にして避妊する層と、まったく気にしない層の2グループしかないとする。丙午を気にして避妊する層のために丙午の年の出生数は低下する。一方で、丙午をまったく気にしない層は普通に妊娠し、そのうちの一定の割合が丙午とはまったく関係なく死産となる。丙午を気にしない層の死産率がもともと高ければ、全体としての死産率も高くなる。現実はこのような単純なモデルには当てはまらないが、適切な避妊手段を持たない人のほうが人工妊娠中絶も含め死産率が高いということはありそうである。

  • 仮説3:タイムラグによる分母と分子の母集団の不一致

 乳児死亡率の見かけ上の上昇と同じ仮説である。死産は「妊娠満12週(妊娠第4月)以後の死児の出産」と定義され、よって出産予定日より先だって起こる。丙午の翌年に出産を予定している妊婦は、丙午の年に死産となりうるため、乳児死亡率と同じく死産率も見かけ上増加する。乳児死亡率では丙午の翌年に見かけ上の減少を起こしたが、もし仮説3が正しいのなら、死産率では丙午の前年に見かけ上の減少を起こすと予測される。しかし、グラフを見ただけでは丙午の前年の死産率の低下は明らかではない。

  • 仮説4:年末年始の出生の届出調節による見かけ上の死産率の上昇

 出生の届出調節は丙午の年の乳児死亡率や死産率を押し上げる。丙午の1月生まれ、あるいは12月生まれの女児は、実際の出生年月日と異なる日付での届け出がなされる動機が働くが、死産や乳児死亡の届け出にはそうした動機は働かない。よって、相対的に死産・乳児死亡に対して出生が減り、死産率・乳児死亡率は増加する。仮説4については、影響はあるが大きくないとされているようだ。



他にも仮説を考えることはできるだろう。また、これらの仮説は相反するものではなく、影響が重なり合っているかもしれない(仮説4なんて影響が重なっているに決まっている)。誰か研究しているかもしれないと思って調べてみたらあった。坂井(1988) *2は、月別死産割合などから、丙午の年の死産率の増加について考察した。坂井の論文はネット上で読める。なんて便利なんだインターネット。

坂井(1988)によれば、月別死産割合では、人工死産は丙午の前年、昭和40年の10月から12月、および丙午の年、昭和41年の1月2月に大きな値を示しており、「『ひのえうま』に出産を控えようとする行動であったと解釈することができる」としている。丙午の前年の10月から丙午の年の2月までの月別死産割合の増加は、仮説1ではよく説明でき、仮説2や仮説3では説明できない。仮説2や仮説3が正しければ逆に減るはずである*3。坂井(1988)は毎日新聞社「全国家族計画世論調査報告書」の「人工妊娠中絶を経験しなかった人の割合」の結果も合わせて、「『ひのえうま』を避けようとした死産は、確実にあったといえるのではないだろうか」としている。ただし、どれくらいの割合なのかという評価はしていない。

また、坂井(1988)は、丙午の年の11月、12月の自然死産の増加も『ひのえうま』に出産を控えようとする行動だったと解釈した。こちらは、仮説3による説明がもっともらしいと思われる。つまり、丙午の翌年に出産予定だった人たちが、運悪く自然死産となってしまったのをカウントしたのである。やはり、丙午の年の死産率の増加は、さまざまな要因が重なり合っているようだ。データを見ながら、あれこれ仮説を考えてみるのは楽しい。現実逃避に最適だ。

*1:「もう1つの出生間隔の調節の方法である人工妊娠中絶については、その届け出数が、1964年以降1966年まで低下傾向にあったことから、ほとんどその効果はみられなかったとしている」「1966年の出生減少は、避妊によるものが大部分で、それ以外の方法によるものは、10%以下と考ることが出来る」 伊藤達也・坂東里江子、同居児法による「ひのえうま」の出生変動の計測と分析、人口問題研究 181号 P31-43 (1987年)

*2:坂井博通、『ひのえうま』の死産について、人口問題研究 186号 P58-63(1988年)、URL:http://www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/data/pdf/14166704.pdf

*3:減るはずだよね?