NATROMのブログ

ニセ医学への注意喚起を中心に内科医が医療情報を発信します。

医療安全対策〜医師は感覚がズレていた

みなさんは、Wii スポーツというゲームソフトをご存知だろうか。その中に「連続リターン」というテニスのゲームがある。コーチが打ち込む球をひたすら打ち返すだけ。動画を見ていただくのが早い。





ぱっと見は簡単そう。実際、リモコンを振るだけの簡単操作。コーチが打ち込む球がどんどん速くなるので動画のように200回は無理だとしても、よほど鈍くさい人でもなければ、1回や2回は打ち返せる。しかし、連続して失敗なしに打ち返し続けるのは難しいのだ。失敗したその1回だけを取り上げてみたら、別に特に打ち返すのが難しい球でもなんでもなく、「ミス」としか言いようがない。その球だけを見ると、「何で打ち返せないの?」と思ってしまう。さて、仮に、「連続リターンを20回するだけの簡単なお仕事。けれども、もし失敗したら誰かが死ぬかもしれません。もし死亡事故が起こったら責任とってね」という仕事があるとして、あなたは好んでそういう仕事に就きたいか?さて、それはそれとして、筑波大付属病院の医療事故に関して、産経の記事。


【Fromひたち】「医師には社会的常識が…」(産経ニュース)


 昨年8月、同病院で適量の4倍の抗がん剤を投与された女性が一時重症となる医療事故があり、病院は今月23日、その原因と再発防止策について会見した。

 病院の発表によると、女性は5カ月前にも抗がん剤治療を受けており、主治医が受け持ち医に「前と同じ」と口頭で伝えた。受け持ち医は、記録を確認せずに別の治療法と勘違い。さらに、投与量を前回の治療法で計算する2重のミスを犯し、「存在しない治療法」を行ってしまった。

 明らかに医師に責任があるように思えるが、病院側の認識は少々異なる。

 説明によると、抗がん剤を使用する治療法は500種以上あり治療法や容量を誤りやすい状況にあったという。さらに、「医療現場は迅速な判断が必要な場合もあり医師としてやむを得ない部分もある」という。

 この点は理解できる。だが、「他の医師でも同じ事故が起こった可能性がある」「背景要因を考えると陥りやすい落とし穴に落ちてしまった」と、受け持ち医らに全く責任がないという説明は理解に苦しむ。

 ミスをした事実そのものを、「仕方ない」「ありえること」と言わんばかりの病院幹部の態度は市民感情にそぐわない。これでは安心して病院へ行けない。

 首相の発言が適切とは思わないが、「医師は一般市民と感覚がズレていることもある」のは事実のようだ。(篠崎理)


「適量の4倍の抗がん剤の投与」となると、大野病院事件のように「結果が悪かっただけで医療行為自体は妥当」などではなく、明らかにミスである。問題は、ミスの責任の主体がどこにあるか、という点にある。別の報道*1では、副院長が「医師としてやむを得ない部分もあり、責任は問わない」と述べたとあり、「全く責任がない」かどうかはともかくとして、ミスの責任の主体は受け持ち医にはないと病院側は考えているようである。産経の篠崎理記者によれば、この病院側の立場は、「市民感情にそぐわない」「一般市民と感覚がズレている」のだそうだ。

かつては、医師も、医療ミスに対して「市民感情」とやらに沿った対応をしていた。ミスをするのは、「不注意」「未熟」「勉強不足」のせいであり、ミスをした個人の責任であった。そんでもって、対策は、今後はミスをしないように「各自注意すること」であった。こんな対応でミスが減るわけないよな。「連続リターン」で言えば、「ミスをしないように頑張れ」というようなもの。ヒューマンファクター工学の専門家から見たら、こうした医療の世界こそが「感覚がズレていた」のだ。強調は引用者による。


■【インタビュー】東京電力技術開発本部技術開発研究所・河野龍太郎氏 「患者中心の医療」から「人間中心の医療」へ(日経メディカル)


ただ、ヒューマンエラーを研究してきた立場として、初めて医療を見て感じたことは、とにかく安全のための管理が遅れているということ。人が介在すればするほど、エラーの可能性は高くなります。医療は多くの人の介在なしには存在し得ないことに加えて、常に緊急状況にあるようなものです。だからこそ、徹底的な管理が必要なのです。医療裁判もミスを犯した個人ではなく、もっと管理の責任を問うようになっていかなければいけないと思います。


河野龍太郎、医療事故の発生メカニズム、小児保健研究 66巻2号 P155-157(2007)


医療事故で特に悲しいことは、少なくとも2人の犠牲者が出ることである。1人はもちろん患者であり、もう1人は医療従事者である。さらに悲しみを深くするのは、多くの医療事故は医療従事者がいい加減に行動したためではなく、一生懸命に自分のタスクを遂行しようとして、ワナにはまるようにエラーが誘発されている点である。ところが、エラーは医療従事者が十分注意しなかったからと批難されることが多く、裁判になるとエラーをしたのは注意が足りなかったからと注意義務違反を問われることが多い。しかし、エラーを個人の問題としてとらえることは問題の本質をとらえていない。エラーは個人だけに問題があるのではない。事故の再発防止を実現するためには、医療の最終行為者の不注意を攻める前に、私たちにはできることがある。エラーを誘発するような環境を改め、万が一、エラーが発生してもそれが拡大して事故に結びつかないような工夫があるはずである。


「連続リターン」でたとえるならば、「何で打ち返せないの?そんなに難しい球じゃないだろう」という対応ではなく、「コーチが打ち込む球が速くならないよう」「球を打ち返すのに失敗しても誰も死んだりしないよう」システムを改善するというわけ。筑波大付属病院の対応からわかるとおり、医療の世界も、「個人ではなくシステムを改善する」方向へ進んでいる。産経新聞の記者の感覚とはズレているかもしれないけどね。

*1:URL:http://www.tokyo-np.co.jp/article/ibaraki/20090224/CK2009022402000101.html