■非対称の起源(ブルーバックス) C. マクマナス(著)、大貫昌子(訳)
ネットで評判の本はアマゾンで買っちゃうが、店頭で手にとって本を買う習慣もまだある。なかなか読書の時間がとれなくて積んでるだけの本も多くあるのだが、「この機会を逃すと二度と読めなくなるかも」と思うとつい買ってしまう。本書は訳者が購入の決め手になった。ファインマンさんシリーズを訳した人である。ブルーバックスはときにハズレがあるが、本書は面白く読めた。
本書が扱う内容は多岐にわたる。ヒト集団で右利きが多いのはなぜか?どの社会でも右利きが多いのか?心臓が左にあるのはなぜか?哺乳類は左右非対称だが、他の生物ではどうなのか?生物が利用するアミノ酸のほとんどがL型であるが、個体発生の過程で生じる非対称性と関係があるのか?そもそも、地球上の生物がL型アミノ酸を使うようになったのは理由があるのか?パリティ保存則の破れがアミノ酸の分布の非対称性の由来ではないのか?社会学から量子力学まで広範な知識を持っていないとこのような本は書けない。
同様のテーマを扱った本として、マーティン・ガードナーの名著、自然界における左と右がある。本書はガードナーの本と比較して、生物学的な話が多い。私にはKartagener症候群についての話が印象的であった。Kartagener症候群は慢性副鼻腔炎、気管支拡張症、右胸心を3徴とする遺伝性疾患である。診たことはないが、医師国家試験には出るくらいの病気である。
Kartagener症候群の本態は繊毛の機能異常だと習った。上気道において繊毛は感染防御の役割を果たしている。健常者では気道に侵入してきた病原菌を繊毛が働いて一生懸命外へ掃き出すのが、Kartagener症候群患者ではうまくいかない。慢性副鼻腔炎と気管支拡張症は繊毛の機能異常による上気道感染で説明できる。学生のころは単に3主徴を暗記するだけでスルーしていたが、よく考えると繊毛と右胸心って何か関係あるんか、という疑問が湧く。実は関係あるらしいですよ。胚は最初は左右対称であるが、発生途中で非対称になる過程において、繊毛、正確には単繊毛が重要な役割を果たしているそうである。単繊毛は「右回りにプロペラみたいな回転」をする。
顕微鏡で見れば、研究者にはぐるぐる回っている単繊毛が見えるが、発生中の胚では、むろんそんな方法で単繊毛が見えるはずがない。とすると単繊毛は胚の他の部分に、どうやって左右を知らせるのだろうか?広川のチームを驚かせた最後の決定的事件は、彼らが微小なゴムの蛍光ビーズを結節[胚の正中にあるヘンゼン結節]のなかに入れたとき起こった。そのビーズは、あっと言う間に結節の右側から左側に突っ走ったのだ。それも右から左の方角のみにである。そこに強い流れがあることは、これで明らかだった。つまり結節が分泌する情報伝達分子は単繊毛によって、ほとんどすべて左側へと送られ、そこでソニック・ヘッジホッグのようなシグナル分子の活動をカスケード式に次々とひき起こすのだ。(P183、[ ]内は引用者)
詳しくは■人工的に作った水流が体の左右を変えるで読める。単繊毛を構成する蛋白質を作る、ある遺伝子のノックアウトマウスは、妊娠初期に死んでしまうが、そのほぼ半数が心臓を右側に持っている。Kartagener症候群についても、慢性副鼻腔炎と気管支拡張症を持ちながら右胸心ではない血縁がいる。発生段階で単繊毛がうまく働かなければ、心臓が右にできるか左にできるかはランダムになるのだ。昔から知られていた疾患の分子生物学的基盤が明らかになったわけだ。
ここまできたら、単繊毛がいったいなぜ「右回りに」回転をするのか知りたいものである。単繊毛を構成するアミノ酸をすべてD型アミノ酸に置換したら、「左回りに」回転するのであろうか。残念ながら、今のところそのような実験はなされていないようであるが、著者のマクナナスは逆回りになると論じている。L型アミノ酸の優位が量子レベルの非対称性から来ているとするならば、パリティ保存則の破れがマクロレベルの非対称性の起源であることになる。