毎日新聞が胎内記憶について好意的な記事を書いていた。横浜市の産婦人科医、池川明さんによる調査。
■胎内記憶:幼児の3割が鮮明に語り 横浜の産婦人科医が調査*1(毎日)
調査は02〜03年、長野県諏訪市と塩尻市の36保育園と2幼稚園で、1620人の子どもを対象に行われた。平均年齢は4歳で、親の平均年齢は34歳。それによると、33%の子どもが「胎内記憶」があると答え、21%は「誕生記憶」もあった。記憶を語った時の年齢は2〜3歳が多かった。
アンケートに寄せられた回答は「暗くてあたたかかった」(2歳、4歳男児)「水の中に浮かんでいた」(3歳女児)「ひもでつながれていた」(2歳女児)「おなかの中は暗くてきゅうくつ。ママの話し声がよく聞こえた」(4歳男児)など。
胎内記憶や誕生記憶の存在を証明する証拠にはまったくならないということを理解してさえいれば、こういった調査もそれなりに興味深く思える。記憶というものはきわめてあいまいで、「宇宙人に誘拐された」「実父に性的虐待を受けた」という偽記憶を植え付けられてしまう事例はよく知られている。胎内記憶や誕生記憶も、実際の経験を覚えているのか、それとも後から聞かされた話を実際の記憶と混同しているのかは、区別できない。以下のような事例を見るに、ある程度成長してから、周りの大人から聞いた話を自分の経験であると誤認している可能性がきわめて高そうである。
池川医師が胎内記憶に関心を持ち始めたのは7年前、助産師から小学1年の孫が書いた作文を見せられてからだ。作文には「ぼくがおかあさんのおなかにいるときに、ほうちょうがささってきて、しろいふくをきためがねのひとにあしをつかまれて、おしりをたたかれました。こんどはくちにゴムをとおしてきて、くるしかったのでないてしまいました」とあった。
池川医師は帝王切開の誕生記憶と解釈したのであろうが、明暗ぐらいならともかく、胎児もしくは出産直後の新生児の視力で、メスや眼鏡をかけた医師を認識できるわけがない。むろん、実際に胎内記憶が存在すると信じる方々は、「できるわけがない」というのは頭の固い思い込みに過ぎないと反論するのであろうが、それならば、胎児・新生児は何か超自然的な能力を持っていると仮定しなければならない。ま、かような指摘は野暮であろう。まさしく、ビリーバーは胎児は超能力を持っていると信じたいからだ。
自然分娩群と帝王切開群でランダムに新生児を分け、育ての親を含め一切周囲の大人がその赤ちゃんが自然分娩で生まれたのか帝王切開で生まれたのか知らない環境で育てるという、ダブルブラインドの条件下で実験すれば、帝王切開の誕生記憶の存在証明は可能である。本当に誕生記憶なるものが存在するならば、周囲からまったく帝王切開で生まれたと知らされないでいてもなお、「ほうちょうがささってきた」などと語る子供がいるであろう。むろん、このような実験は倫理上実行不可能である。
結局のところ、既知の科学知識からは、胎内記憶や誕生記憶はきわめてありそうにない、というところまでしか結論できない。記事にあるように、「胎内記憶の有無ということではなく、おなかにいた時のことを一緒に語り合うことで親子関係を深めてほしい」「胎内記憶が実在するかどうかは証明できないが、語り合うことで家族関係の見直しや、良いお産とは何かを見つける手掛かりにしてほしい」というスタンスであれば、別に批判の対象にはならない。ただ、実際にはトンデモであるのを、「証明できない」と批判に対して逃げ道をつくっているだけのように見える。たとえば、
出産時「痛かった、苦しかった」と話す子どもの声に、陣痛促進剤、鉗子(かんし)、吸引、予定分娩などといった今のお産のシステムでいいのか、疑問も持つようになったという。
という池川医師の疑問は、きわめて底の浅いものである。現在の出産システムに疑問を持つのはいいが、それが科学的根拠のあやふやな胎内記憶からというのは情けない。どのような出産システムが良いかというのは、安全性やコストから科学的手法によって評価されるべきものである。科学的に評価されるべきところに、ファンタジーを持ち込むとろくなことにならない。「痛かったから」陣痛促進剤が疑問だというのなら、自然分娩よりも帝王切開のほうが良いのか。陣痛が微弱であれば、長時間の分娩を強いるよりも、陣痛促進剤を使用したほうが胎児の負担は減るのではないか。
記者がファンタジーとして胎内記憶を扱った記事を書くのは、まあ、かまわないと思うけれども、科学的根拠がほとんどないってことは常に気に留めておくべき。ましてや、根拠のあやふやな経皮毒といった恐怖で妊婦を脅しておいてデトックスといったエビデンスの無い治療法を勧めるような医師の片棒を担ぐことは行うべきではない。個人的には、胎内記憶のようなトンデモ一歩手前の概念を使わなくったって家族関係を見直したり、良いお産を考えたりすることはできると思う。
*1:URL:http://www.mainichi-msn.co.jp/science/medical/news/20060605ddm013100065000c.html