NATROMのブログ

ニセ医学への注意喚起を中心に内科医が医療情報を発信します。

患者が転院を希望するとき

■僻地医療のプライドを保つのは何か(ちりんの部屋)


患者側から僻地の医者が低く思われているのは、残念ながら否定しがたい事実である。とりあえず、もしくは仕方なく、手近な病院に来てはみたものの、診断に納得がいかない場合、病状に納得がいかない場合に、患者や家族が「都会の大きな病院に移りたい」と申し出るのはよくある構図だ。それがたとえ、どこの誰が治療しても無理な状況であったとしても、良くないことはそれが田舎の小さな病院だからだ。
一生懸命治療してきた患者さんやその家族から「病院を替わりたい」と告げられることは、医者が最も無力感を覚える場面の一つで、その治療法に自信があるほどそこでの悲しみも大きくなる。そうしたときにどうするか。一生懸命治療するのをやめるのか、治療法を洗練するのをやめるのか、そこで医療をすること自体をやめるのか、それともその屈辱を受け続けるのか。

私は僻地というには大都市に近すぎる地方都市の中核病院に勤務しているので、ちりんさんの病院とは様子が異なるが、まあそれでも「(大都市の)○○病院へ移りたい」と言われることはままある。この辺では一番大きな病院ではあるが、やはり田舎の病院に過ぎないと考えている患者さんやご家族もいらっしゃるようなのだ。まあ田舎の病院であるのは事実だからしょうがない。

非医療者のみなさまもこのブログをご覧になっておられるので補足しておくと、僻地の病院だから、あるいは、田舎の病院だからといって医療のレベルが低いわけではない。医療レベルの劣悪な田舎の病院もあるだろうが、それをいうなら劣悪な大都市の大病院だってあるだろう。高度医療機関でなければ診れない症例はあるが、そういうのははじめから高度医療機関へ紹介する。

問題となっているのは、医学的には高度医療機関への受診は必要ないが、患者および本人がそれを望む場合だ。ちりんのblogのコメント欄で、「その人を治す上において、逆に立派な施設の病院(モノ)を薦めると言う選択だって、身体だけでなく人を治す上では必要だと判断するならば、それは例えば何を投与するのか薬を選択するのと同じ話」なのではないかという意見が出ている。患者及び本人が納得するために必要なんじゃないかってことだ。

ものすごくぶっちゃけた話をすると、効かない代替療法と同じ。だめもとでアガリクスやらクロレラやら何かやってみたいと患者が言うなら、害のないようなものなら黙認する。別に大病院に転院したところで医学的には変わらないのだが、少なくとも害はないだろうし、まあ患者が納得するならいいんじゃないか。もちろんこれを無制限にやられたら、医療コストの面でよろしくないことになる。末期癌をすべてがんセンターに送っていたら、がんセンターがまわらなくなる。そのへんは、コストとの兼ね合い。医療費は削られまくっているので、そのうち「納得のための転院」は贅沢とされるであろうが、それは我々末端のものがとりあえず考える問題ではない。

というわけで、患者さんが転院を希望されても、私はあまり屈辱だとは思わない。医師から「この病気はどうやったって治らない」などと言われても、患者側がなんとかしたいと思うのは当然ではないか。アガリクスやら酸素強化水やらに頼るよりは、(こんな田舎の病院ではなく)大病院で診てもらいたいというのはずっとましな選択であろう。遺族が「いろいろ手を尽くしたけれども駄目だった」と納得できるような状況をつくることも仕事のうち。などと思って気軽にホイホイ紹介状を書いている。むしろ、患者さんが減って楽になったと思わないでもないくらい。そのくらい気楽に考えていたほうがよいように思う。