NATROMのブログ

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利己的遺伝子はまったくのフィクションなんだって


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■ヒトはなぜするのか WHY WE DO IT : Rethinking Sex and the Selfish Gene ナイルズ・エルドリッジ (著), 野中 香方子 (翻訳)

まだ未読なんだけど。アマゾンによる「出版社 / 著者からの内容紹介」から引用


ドーキンスの「利己的遺伝子」はまったくのフィクションだ!

ヒトは遺伝子を残すためだけにセックスするのではありません。
男と女の関係は“遺伝子の欲求”で片付けられるほどシンプルでもないし、セックスの目的も多岐にわたります。
われわれの行動は遺伝子に支配されてなどいないし、そしてもちろん、浮気も遺伝子のせいではないのです。

遺伝子決定論者によれば人間のオスは遺伝子をばらまくために浮気をするのだそう。
けれども子どもを作るために浮気をする男女はほとんどない。
なぜならヒトは遺伝子を残すためだけにセックスをしているわけではないから。
ましてやヒトの一生が遺伝子の運搬だけに捧げられているなんてあり得ない。
本書はドーキンスの「利己的遺伝子」の矛盾を指摘して、何のためにヒトが生き、セックスするのか、その真実を解き明かします。

「ヒトは遺伝子を残すためだけにセックスするのではない」ってのはその通りだね。「われわれの行動は遺伝子に支配されてなどいない」ってのもその通り。しかし、そもそも、「ヒトは遺伝子を残すためだけにセックスしている」とか、「われわれの行動は遺伝子に支配されている」とか主張している進化生物学者っているのか?少なくともドーキンスは、遺伝子決定論者ではない。まともな進化生物学者の中に、遺伝子決定論者は存在しない。

まあ確かに、竹内久美子のように、むやみに人間の行動を適応的な論点から説明したがる連中はいる。そういうのは批判してよし。ドーキンスを引用して、こうした遺伝子決定論的な主張を批判することだってできる。遺伝子決定論が正しいかどうかと、利己的遺伝子という考え方がフィクションであるかどうかとは別問題だ。引用した内容紹介は、ドーキンスの主張を誤解した上で書かれている。架空のわら人形を批判しているだけ。

著者のナイルズ・エルドリッジは、数少ない「グールド派」に分類されるが、信頼できる進化生物学者だ。日本の出版社が、ヘボヘボな紹介をしてしまった可能性が高いように思う。エルドリッジもドーキンスも、ヒトの性行動が遺伝子に支配されていないという点については合意するであろう。また、かつてヒトの性行動がダーウィン的な進化をとげてきたこと、つまり、性行動について遺伝的な差異が現在もあるか、もしくは過去にあったことについても合意するであろう。もしかしたら、現在のヒトの性行動にどのくらい遺伝的な影響があるかについては、意見の相違があるかもしれない*1。だとしても、利己的な遺伝子によって説明可能な範囲がどの程度であるかという問題であって、利己的な遺伝子がフィクションということにはならない。水星の近日点移動がニュートン力学の説明の範囲外であるからといって、ニュートン力学がフィクションということにはならないのと同じ。

*1:実際にはこの点についてもほとんど意見の相違はないのではないかと思う。ドーキンスは、遺伝子決定論が誤りである例として、避妊を例に挙げた。ドーキンスは、ヒトの行動がどのくらい利己的遺伝子で説明できるのかという問題にはあまり興味を持っていない。むしろ、将来を見通す能力によって、自己複製子ではなしえない短期の利益を犠牲にして長期的な利益をとることができることを強調しているくらいで。