■百億の星と千億の生命 カール・セーガン (著), 滋賀 陽子 (翻訳), 松田 良一 (翻訳)
高校生のとき、私にとってのヒーローは、アイザック・アシモフ、リチャード・P・ファインマン、そしてカール・セーガンだった。高校の図書室で彼らの本を読みまくって、今の私がある。3人とも、もうこの世にはいない。彼らの「新作」を読めるのは、これが最後であろう(といっても、アシモフの作品はまだ未読のものがたくさんあるのだが)。
第一部と第二部はやや内容が古い。二酸化炭素による地球温暖化や、フロンによるオゾン層の破壊に警告を発している。第三部とエピローグがもっとも興味深く読めた。たとえば、第14章は、1988年にアメリカ合衆国とソビエト連邦の両国の週刊誌に掲載された記事だ。ソ連の崩壊以前の、ゴルバチョフがペレストロイカを進めていた頃だ。セーガンは「両国民にショックを与えたいと考えたので、記事の検閲をしないという保証をどちらの国にも要求した」。さすがにソ連側の雑誌に掲載されるときには検閲をされたのだが、どの部分が検閲されたのか明示されていて面白い。
第15章では妊娠中絶の問題を扱っている。日本ではそれほどでもないが、アメリカ合衆国においては、胎児の「生存権」と母親の「選択権」をめぐって争いが起きている。新生児を殺すことは殺人であるのに、出生直前の胎児であれば殺してよいというのは筋が通らない。一方、受精卵から人とみなし、たとえレイプによる妊娠であろうとも一切の中絶はまかりならぬ、というのもどうか。どこかに線を引かなければならないが、どこで線を引けばよいのか。セーガンは現実的な妥協点を探っている。
骨髄異形成症候群に罹ったセーガンは、化学療法と骨髄移植によって命を永らえるが、数度の再発を経て、1996年に亡くなった。エピローグは、セーガンによるものではない。セーガンのパートナーのアン・ドルーヤンによるものである。セーガンとのなれそめと、別れについて書かれている。セーガンは最期まで、来世や天国を信じなかった。しかし、懐疑主義者が死を無に帰するものと考えているわけではない。セーガンは亡くなってからもなお、多くの人にとって、闇を照らす灯火となっている。