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「社会生物学の勝利 批判者たちはどこで誤ったか」


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ジョン・オルコック著 長谷川眞理子訳 原著は2001年。著者も訳者も信頼できそうで、社会生物学についての見解を知るには役に立つだろう。タイトルがなかなか凄い。内容も、タイトル通りというところ。社会生物学については、誤解に基づいた的外れな批判がなされていたこともあり、そうした誤解を解くには適切な本だ。本書の前書きに述べられている社会生物学に関する誤解をいくつか抜き出して見ると


社会生物学は、第一に人間行動を説明する学問である
社会生物学は、いくつかの行動形質は遺伝的に決定されているという主張に基づく還元主義的学問である
社会生物学は、検証していないし、検証不可能な「なぜなぜ物語」を生み出すことに専念する、純粋に机上の空論である
社会生物学とは、ある種の行動を「自然である」、「進化によって形成された」と名づけることにより、人間行動のすべての不愉快な面を正当化できるようにする学問である
これらは「まったくの間違いである」。社会生物学は生物の社会行動の進化的な研究を行う学問である。社会行動を行う種はごまんとある。人間も社会行動を行う種であり、社会生物学の研究対象であるが、人間がメインの研究対象というわけではない。ガガンボモドキやミズスマシと比較して、ヒトの研究は注目を集めやすく、ゆえに議論を呼びやすい。しかし、ヒトは神に似せて創造された特別な生物であるという信仰を持っていない人は、ヒトもまたダーウィン的な進化の産物であり、よってその社会行動は社会生物学の研究対象となりうることに同意せざるをえないだろう。(ただし、人間の社会行動のすべてが社会生物学的なアプローチで説明できるというわけではない。説明できるものもあるし、説明できないものもあるだろう)。

しかしながら、人間の行動の社会生物学的な説明は論議を呼ぶ。たとえば、レイプ(強姦)についての進化的な説明、つまり、ある条件下ではレイプが男性の繁殖のチャンスを上げるためレイプ行動が進化したという説明に対して、フェミニストを中心に非難がまきおこった(P327)。レイプが適応的な行動だったとという仮説が、検証によって棄却されることはあるだろうが、そうした仮説を提唱する事自体が批判されることは妥当ではない。こうした批判が巻き起こる理由の一つに、レイプに適応的意義を認めることはレイプを正当化することであると誤解する人がいることがある。ドーキンスの言う、「どうあるべきかという主張と、どうであるという言明とを区別できない人々」だ。それは自然主義的誤謬(自然主義の誤謬)と呼ばれる。


…人々が進化の理論とはなんなのかを理解すれば、「自然な」、「進化で生じた」形質は、変えがたいわけでもなく、社会的な視点から見たときに望ましいとも限らないということを知るだろう。私たちが進化で見に付けた*1性質を、道徳的な必然として受け入れる必要など、どこにもないのである。(P333)

もちろん、自然主義的誤謬を利用する連中に警戒する必要はある。「レイプは適応的な行動だから犯罪ではない」などと主張する馬鹿がいたら、思いっきり馬鹿にしてあげよう。しかし、「レイプは適応的な行動などではない」という反論はきわめてまずい。「レイプが進化的に適応的だろうとそうでなかろうと犯罪である」というのがより適切な反論である。(レイプは犯罪ではない、などと主張する馬鹿はそうそうはいないだろうが、「男女同権に反対!自然の摂理に従った男女の役割分担を」と主張する馬鹿は存在する)。

*1:原文ママ