NATROMのブログ

ニセ医学への注意喚起を中心に内科医が医療情報を発信します。

遺伝学者の憂鬱

■遺伝子に「持久型」 陸上選手の素質見分けるカギ?(朝日新聞)


 日本の実業団や大学の陸上部に所属する182人のアスリートを対象に、本人の承諾を得て血液やほおの粘膜細胞を採取して、筋肉を動かすエネルギー物質を体内で合成する遺伝子を調べた。
 するとこの遺伝子には、長時間運動してもエネルギー物質の供給量が落ちにくい「持久型」と、これに比べると供給が長続きしない「非持久型」の二つのタイプがあった。
 国内大会で上位に入るトップレベルの長距離選手(31人)では約20%が「持久型」だった。女子長距離選手に限ると半数が「持久型」だった。
 一方、平凡な長距離選手(108人)の場合、「持久型」は9%だけだった。また、優秀な短距離選手(12人)でも「持久型」はいなかった。タイプの差が持久力を引き出す素質に差を生み、競技成績につながっている可能性があるという。

名古屋大総合保健体育科学センターの押田芳治教授の研究。以前、遺伝学の研究をしていたこともあって、こういう記事には興味を引かれる。大雑把に言えば、病気の人のDNAと普通の人のDNAを調べて、差があるかどうかを調べる研究だ。DNA配列に差があることがわかれば、診断の参考になったり、発症機序の解明につながったりする。研究の常で明確に差があることを証明するのは困難で、「かもしれない」「示唆される」という研究が多い。この研究も同様のようである。朝日の記事だけでは、情報が不十分であり、以下の報告を合わせて考えてみる。


ミトコンドリア(Mt)DNAと身体トレーニング効果  ―エリートアスリートにみられるSNP―
押田芳治, 上原記念生命科学財団 研究報告集 Vol. 17, 2003, P92-93
http://www.ueharazaidan.com/houkokushu/Vol.17PDFdata/pp092-093oshiday.pdf

ミトコンドリアにおけるATP合成酵素サブユニットのSNPs(一塩基多型)を見つけて、相関解析を行なったようだ。対照群(一般大学生)ではn=112で、「持久型」の頻度は3.6%。長距離走選手全体(トップレベル+平凡)n=139では11.5%で、長距離走選手全体vs対照群では、P<0.05といったところ。トップレベルの長距離選手vs健常対象者ではP<0.01となる。

けっこう良さげに見えるが、P<0.01とは要するに100回やれば一度ぐらいは偶然で起きうる範囲内のこと。たくさん検定を行なえば、それだけタイプ1エラー(実際に差はないのにも関わらず、統計的に有意差ありとしてしまう誤り)の頻度は増す。この手の研究でやっかいなのは、潜在的に多くの検定を行なってしまっているという点。たとえば、仮に100個のSNPsを調べたとしたら、一つぐらいはP<0.01の結果が出てしまう。調べた遺伝マーカーの数が結構重要なのだ。今回の研究では4個の遺伝マーカーを調べた。補正しても、P<0.05の有意差は残る。

それから、場合分けも潜在的な検定の数を増やす。アスリート全体vs対照群で差が出なかったら、長距離選手vs対照群ではどうだろう。長距離選手の中でもトップレベルの選手のみだったら?性別で分けてみる。年齢で分けてみる。まあ色々。極端なことを言ったら、トップレベルと平凡な選手の線引きなんて恣意的だから、もっとも低いP値が出るように線を引くことだってできるのだ。

今回の研究は、ミトコンドリアDNAの機能的なSNPsを調べているという点で有望ではある。しかし、追試で同様の結果が出ないことには、信用するべきではない。直感的には、nが少ないのにも関わらずP値が低すぎるような気がする。ということはつまり、問題となっているSNPsが結構強い影響を与えていることを示唆している。もしある表現型が多くの遺伝子に影響されているのであれば、ある一つの遺伝子の及ぼす影響は弱いはず。なので、通常の病気の相関解析は、結構nを増やさないと有意差が出にくい。通常の病気とは違って、長距離の資質が比較的少ない遺伝子によって影響されている可能性もある。とにかく、もっとnを増やした追試待ちであることには変わらない。

しかし、なんで今ごろ朝日新聞が紹介するのだろうか。研究報告自体は2003年になされている。わざわざオリンピックにあわせたのか。言わずもがなのことであるが、よしんば上記研究が追試によって裏付けられたとして、この遺伝子だけで長距離選手の資質が決定されるわけではない。