NATROMのブログ

ニセ医学への注意喚起を中心に内科医が医療情報を発信します。

新しいニセ医学「新型コロナ否認主義」

標準的な医学的知見を否定する名誉教授と市議会議員


日野市議会議員の池田としえ氏が、2020年6月8日に「新型コロナに迫る!」 *1と称して議会で質問をしたが、その内容に危惧を覚えたのでここで指摘する。端的に言えば、池田としえ氏は、YouTube等で徳島大学名誉教授・大橋眞氏が主張している「新型コロナウイルスは存在しない」というきわめて根拠に乏しい独自の説に基づいて質問を行った。動画*2を拝聴したところ、大橋眞氏の主張には問題点がいくつもあった。

「やはり、新型コロナウィルスは存在しない」と題する動画を紹介する池田としえ氏のfacebookの画像。
池田としえ氏のfacebookより。「やはり、新型コロナウィルスは存在しない」。URL:http://archive.vn/SsLPH

ほとんどの人がご承知であるが、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)は重症の肺炎を引き起こす。しかし、大橋眞氏は標準的な医学的知見を否定し、「PCR検査で測定しているのは、病原性のない常在性ウイルスである可能性が高い。コロナ騒動は常在性ウイルスをみてそれで病気だ、たいへんだと国中大騒ぎしている」などと主張する。ただ、そう主張できるだけの根拠は提示されていない。大橋眞氏は、最初に武漢で報告された新型コロナウイルス感染症症例の肺において、免疫機能が落ちたために常在性のウイルスやバクテリア、真菌の類いが増殖している可能性を指摘した。そこまでは正しい。しかしながら、いまや、武漢だけではなく、世界中で新型コロナウイルスは確認されている。もし、新型コロナウイルスが病原性のない常在ウイルスであるのなら、世界中で多くの人が肺炎になり、死亡しているのはどういうわけであろうか*3。また、ニュージーランドや台湾といった防疫に成功している地域で新型コロナウイルスが検出されていない理由を説明できない。

大橋眞氏は「ウイルスを誰も分離していない」と主張しているがこれも誤りだ。新型コロナウイルスは分離もされているし細胞を用いた培養系も確立している。「このウイルスを使って感染実験、実証実験をしないとわからない」という主張も、現代医学を理解していないとしか思えない。新型コロナウイルスについてヒトに対する感染実験がなされていないのは事実だが、倫理的にそのような実験が許されるはずがない。コッホの原則(病気にかかった対象から分離された病原体を健康な個体に感染させ、病気が再現し同じ病原体が分離されることでもって病原体と病気との関連が示されるという原則)に触れて新型コロナウイルスの病原性が確認されていないとほのめかすが、コッホの原則には限界があることは現代医学では常識である。

感染実験なしでも、疫学的な方法で病原体と病気の関連を示すことはできる。たとえば、特定の井戸の水を飲んだ人たちにコレラが多く発症し、井戸の近くに住んでいるが井戸水を飲んでいない人からはコレラが発症してないことが観察できたとしよう。さらに、井戸水中およびコレラ患者の便中から同一の病原体が見つかり、健康な人から見つからなければ、その病原体がコレラの原因であると推定できる。付け加えれば、意図的にコレラ菌を感染させる実験を行わなくても、コレラ菌を含む井戸水を飲んでしまった人たちがコレラを発症することが、一種の実験(自然実験)になる。

新型コロナウイルスも同様の方法で病原体と疾患の関係を示すことができる。確かに、武漢の報告だけでは結果的に誤りであったということも可能性としてはありえた。しかし、世界中でこれまで経験したことにないような肺炎の流行が見られ、それらの症例中から高い確率で新型コロナウイルスが検出され、さらに重症肺炎を発症した人に濃厚接触した人が肺炎にかかり、その症例からも新型コロナウイルスが検出されているのだ。意図的ではないせよコッホの原則に準じた自然実験を、世界中で何度も再現性良く行っているようなものである。

大橋眞氏は自説をYouTubeの動画ではなく論文として発表すべきである。論文として発表する際には上記したような批判を査読者から受け、まともな医学雑誌には掲載されない。


「エイズ否認主義」との類似性


大橋眞氏の説を荒唐無稽と思われたであろうか。確かに荒唐無稽であるが、類似した先行事例がある。「エイズ(後天性免疫不全症候群)の原因はHIV(ヒト免疫不全ウイルス)ではない」という、「エイズ否認主義」と呼ばれる主張だ*4。確かにHIVが発見されてすぐは、HIVが本当にエイズの原因かどうかについて確定的ではなかったであろう*5。ヒトに対する意図的なHIVの感染実験は倫理的に行うことはできない。しかし、その後の疫学的あるいは分子生物学的研究の進歩もあって、いまやHIVがエイズの原因であることについてまともな医学者の間では議論はない。感染実験の不在を根拠に病原体と病気の関係を疑うのはエイズ否認主義が由来と思われる。

エイズ否認主義は、おそらく、もっとも人を殺したニセ医学である。適切な治療を行えばエイズはコントロールできる病気だ。しかしながら、HIVが原因であると認めず、あるいはエイズ治療薬こそが病気の原因の一つであると誤認したらどうであろうか。そして、一個人が誤認するだけではなく、政治家が誤認してしまったら…。南アフリカ共和国では政府が標準的な科学的意見を受け入れず、HIVがエイズの原因であることや効果的な治療薬を認めなかったせいで2000年から2005年の間だけで33万人以上もの犠牲者が出たという試算がある*6

翻って「新型コロナ否認主義」を考えよう。新型コロナウイルスは常在する病原性の低いウイルスだという誤認がどのような結果を招くか。ことは感染症であるので不利益を被るのは誤認した本人に留まらない。ましてや地方自治体とは言え政治家が公衆衛生学的に害を及ぼす説に親和的であることはきわめて問題だ。

ニセ医学に対して批判的に言及すること自体が、動画の再生やウェブサイトの閲覧を招き、ニセ医学を主張する者に有利に働くというジレンマがある。放置するという選択肢もあったが、新型コロナ否認主義の動画は私が見たときには1万回以上の再生数があり、好意的なコメントもついていた。また、ある言論プラットフォームにゲストオーサーとして大橋眞氏の記事が掲載されていた。すでに新型コロナ否認主義は一定の注目を集めており、対抗言論が必要だと判断した次第である。動画やウェブサイトのURLを提示しているがリンクを張っていないのは、彼らの情報の拡散にできるだけ協力したくないからだ。読者のみなさんにもご配慮をお願いする。


新型コロナ否認主義と他のニセ医学との連鎖


新型コロナ否認主義とエイズ否認主義は外見の類似だけにとどまらない。新型コロナ否認主義の主張者はエイズ否認主義にも親和的である。池田としえ氏は「HIV(エイズ)でノーベル賞を受賞したフランスパスツール研究所のモンタニエでさえ動物の感染実験には未だ成功していない」と述べた。意図的な感染実験なしでも病原体と疾患の関連を十分に示すことができることをHIVの事例は教えてくれるのだが、池田としえ氏はそうした医学的な知見を理解していない。

また、池田としえ氏は、エイズ否認主義の代表的な提唱者であるピーター・デュースバーグの映画を好意的に紹介したことがある*7。これは池田としえ氏が全国子宮頸がんワクチン被害者連絡会事務局長であることと関係があると思われる。池田としえ氏はHPVワクチンを否定する情報ならどのような怪しいものでも信じる傾向があるようで、「HPV(ヒトパピローマウイルス)は子宮頸がんの原因ではない。つまりHPVワクチンは子宮頸がんの予防には役に立たない」というニセ医学にも好意的である。事実は、HPVは子宮頸がんの原因である。デュースバーグはエイズ否認主義者であると同時に、HPVが子宮頸がんの原因であることも否定しており、HPVワクチンに反対するが現代医学についてよくわかっていない論者によってしばしば紹介されている*8。ニセ医学に頼らなくてもHPVワクチンによる被害を訴えることは可能であるのに、事務局長という立場の人間が怪しい説を信じてしまうのは不幸なことである。

大橋眞氏もまたエイズ否認主義にひじょうに親和性がある。というか、エイズ否認主義ど真ん中だ*9。標準的な医学的知見では、エイズの病原体はHIVであり、効果的な治療法もすでに存在している。信頼できる情報源はいくつかあるが、■公益財団法人 エイズ予防財団 | HIV感染症・エイズについて | HIV/エイズの基礎知識 | HIV/エイズと共にを紹介しておく。大橋眞氏はエイズ否認主義以外のニセ医学にも親和性があり、たとえば輸血利権や輸血の代替手段の研究のタブーの存在をほのめかす*10。輸血否定もニセ医学の定番だ。ちなみに一般的な輸液でどこまで輸血が減らせるかという研究はタブーだと大橋眞氏は主張しているが誤りである。タブーではなく大橋眞氏が知らないだけだ。また、輸血を含む血液製剤は献血といった有限な原料から作られており、「売血ビジネス」どころか医療費節約の観点からも、適正利用が勧められている*11

大橋眞氏は徳島大学名誉教授という肩書があり、専門分野で業績があることも否定しない。しかしながら、専門分野で業績のある科学者・医学者がニセ科学にはまってしまう事例はこれまでいくらでもあった。肩書だけで信用するべきではない。


分断に対する危惧


病気そのものだけではなく自粛に伴う経済的な困窮のほうが苦しいという人もたくさんいる。とくに若い世代ではそういう傾向があるだろう。そのような人たちにとって「新型コロナは存在しない」というニセ医学は魅力的に感じるかもしれない。恐ろしい病気は存在せず、検査薬や薬やワクチンを売りたい製薬会社の陰謀であって、自粛なんて必要ない、自由に過ごしていいというお墨付きを与えてくれるからだ。大橋眞氏の動画の再生数と好意的なコメントの理由の一端もそのあたりにあるのではないか。

少数派だからと無視していれば気づいたときには取返しがつかなくなりうる。エイズ否認主義の教訓を忘れてはいけない。新型コロナウイルス否認主義は、ウイルスの流行を広め、近い将来には有効な薬やワクチンへの反対論をもたらすであろう。また、新型コロナウイルス感染症は、若い世代では重症化しにくいとは言え、重症化しないわけではない。ニセ医学を信じた個人においても不利益をもたらす。

自粛しない、あるいは自粛できない人たちを非難するだけでは効果がないばかりではなく、逆効果かもしれない。自粛による不利益への補償や配慮を今以上に十分に、かつ、できる限り公平に行ってほしい。また、メディアの方々は、新型コロナ否認主義の取り扱いに注意をしていただきたい。アクセス数や発行部数が稼げるからと医学的に不正確な情報を垂れ流すのは、売れるからと腐っているかもしれない食べ物を売るのと同様である。新型コロナ否認主義を好意的に紹介するのはもちろんのこと、両論併記ですら不適切だ。HIVとエイズの関係や輸血の有用性を否定する人物が信用に値するのか、よく考えてみてほしい。


*1:URL:http://www.ikedatoshie.com/20200610.pdf

*2:URL:https://youtu.be/RjI6uCLDbUw

*3:可能性だけを言うなら、新型コロナウイルスとは別に未知の病原性の強いウイルスXが存在し、新型コロナウイルスはウイルスXに付随しているだけという考え方もあるだろう。エイズ否認主義でもそういう主張はあった。しかしその場合、世界中の医学者がウイルスXの存在を、仮説レベルですら、見落としていることになる。また、新型コロナウイルス陰性の重症肺炎症例がもっとたくさん観察されるはずである。なお、「スペイン風邪」がそうだったように、時間が経つにつれてウイルスの病原性が弱まり、あるいは集団免疫がついて、新型コロナウイルスが常在性のコロナウイルスに似るようになるという可能性はあるが、そうなるとしてもまだまだ先の話だし、そのような楽観的なコースをたどるかどうが現時点ではわからない

*4:「HIVとの関連を疑っているだけでエイズという疾患そのものは否認していない」という指摘もあるが、すでに広く受け入れられている用語であることに加え、エイズ否認主義はエイズに関連する標準的な医学的知見のほとんどを否認していることもあって、この用語を使う

*5:この点でも「新型コロナウイルス否認主義」との類似点がある。HIVがエイズの原因ではないかもしれないという主張は、HIV発見直後は合理的な疑いでありえた。しかし、証拠が積みあがった現在はもちろん、あるいは南アフリカ共和国で犠牲者が出た2000年ごろであっても完全にニセ医学である。同様に、武漢でしか流行が確認できていない時期であれば、新型コロナウイルスの病原性についての疑い、たとえば季節性インフルエンザと同程度ではないか、という主張には一定の合理性があったが、現時点では完全に間違っている

*6:https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/19186354/

*7:URL:https://twitter.com/toshi2133/status/907343823168139264

*8:たとえばURL:http://archive.vn/wip/dkw6c、URL:http://archive.vn/wip/nMUGe

*9:「結局は今まだそのAIDSに関しても本当の病原体はあるんでしょうか?というレベルなんですよね」「AIDSの薬の治療が必要だということで国際協力のような形で薬が使われると(中略)その薬をつくっているメーカーが大儲けできるという風な仕組みができると、そういう風なことになるわけです」「よくわからない遺伝子を使って病人を作り出すシステムというのはAIDSにあるんじゃないか?という気はします」などと発言している。URL:http://archive.vn/3DjSY

*10:「血液も本当はどこまで輸血が必要かっていうこともほとんど、まだ検討されていない状態で輸血利権みたいなものがあって無料で集めた血液を一本なんですか( ??聞き取れず ) こういう形でね売って収入に分けるということになっているんですよね」「生理食塩水の方が負担が少ないケースの方が結構あるはずなんですよね。それを研究すればね輸血の量ははるかに減らせるはずなんですけれど。少なくとも そういう研究すらされていないですよね。(中略)そこはタブーなんですよ」という発言もある。URL:http://archive.vn/3DjSY『マスコミでは絶対、言えない「新型コロナウィルスの真実」に迫る!タブーの日赤の売血ビジネスも!徳島大学名誉教授で免疫生物学専門の大橋眞(まこと)医学博士へのインタビュー! 文字起こし』より引用。「輸血を全否定しているわけではない」という(ニセ医学擁護によくありがちな)反論が予想できるが、はたしてその擁護が正当なのか、全否定していないからと容認できるような言説なのかどうか、大橋眞氏の輸血に関する発言を聞いてから判断していただきたい

*11:たとえば、■ 「血液製剤の使用指針」(改定版)|厚生労働省。一言でいえば「血液製剤を無駄遣いするな」

「擬陽性(疑陽性)」と「偽陽性」は違います

新型コロナウイルス感染症に関連して検査の性能が話題になっています。本当は感染していないのに検査で誤って陽性という結果が得られることを「偽陽性」といいます。英語では"false positive"。この"false positive"を「擬陽性(疑陽性)」と呼ぶことがありますが誤りです。どちらも読み方が「ぎようせい」なのでうっかり間違いやすいですが、「偽陽性」と「擬陽性(疑陽性)」は、異なる用語です。漢字変換候補に「擬陽性」が先に上がることもあり、誤用の一因になっているようです*1。私は偽陽性を入力するときは「にせようせい」から変換するようにしています*2

「擬陽性(疑陽性)」という医学用語もちゃんとあります。陽性とも陰性とも言い切れない、陽性に近い反応なので陽性を疑う、というのが擬陽性(疑陽性)です。具体的な例がわかりやすいでしょう。結核に対する免疫能を評価するためのツベルクリン反応検査において、以前は擬陽性(疑陽性)という判定基準がありました。

ツベルクリン反応検査は、まず結核菌由来の抗原を含んだ液を皮下注射します。結核菌に感染したことがあったり、BCG注射を受けたりして結核菌に対する免疫能があれば、反応して皮膚が赤くなったり硬くなったりします。国によっても判定基準が異なるのですが日本では48時間後にこの発赤と硬結を測定し、以前は発赤が10mm以上なら陽性、4mm以下なら陰性、そして5~9mmなら擬陽性(疑陽性)としていました。

f:id:NATROM:20200512095341j:plain
ツベルクリン反応の擬陽性(疑陽性)

一方、ツベルクリン反応における偽陽性"false positive"は、「結核菌に感染してもいなければBCG接種も受けていないのにツベルクリン反応検査で10mm以上の発赤が生じる」ことです*3。擬陽性(疑陽性)ならその場で見てわかりますが、偽陽性はその場ではわかりません。ツベルクリン反応以外の方法で結核菌の感染の有無を調べるなどをしてはじめてわかります。

ツベルクリン反応の擬陽性(疑陽性)という判定基準は現在では使われていません。ツベルクリン反応に限らず、現在、臨床の現場で、擬陽性(疑陽性)という言葉はあまり使いません。また、私の知る限りにおいて新型コロナウイルス感染症の検査で擬陽性(疑陽性)が問題になることはありません*4。検査の性能における感度や特異度の話をしているときには擬陽性(疑陽性)は出てきません。対応する「擬陰性(疑陰性)」という言葉がほとんど使われていないことからもわかるでしょう。

間違いやすく偽陽性と音で区別できない「擬陽性(疑陽性)」という用語は使わないほうがいいでしょう。「陽性に近い反応なので陽性を疑う」ことを指すには、偽陽性と混同されないよう、「境界域」や「弱陽性」などといった言葉を使うほうが望ましいと考えます。どうしても「擬陽性(疑陽性)」という言葉を使うなら、きちんと定義してから使わないと、単に間違えているだけなのか、それとも偽陽性とは区別して使っているのか、相手に伝わりません。

参考:
■特異度と偽陽性率と陽性反応的中割合と

*1:まさしくこの記事をつい最近買い替えたパソコンで書いているのだが、まず「擬陽性」が候補に挙がった

*2:「偽陽性」ではなく「誤陽性」と呼ぶ論者もおり、これも擬陽性(疑陽性)と区別する良い方法と思われる

*3:検査の目的によってはBCG接種後の陽性も偽陽性とされることがある。検査のゴールドスタンダード(参照基準)とは何ぞや、というマニアックだが興味深い問題にぶつかるが今回は深入りしない。

*4:理論上は「PCR後の生成物の量がゼロではないが不十分」ということはありえるが、通常は定性的に陽性か陰性かを判定する

「論座」の新型コロナ感染症の記事から学べること

「論座」に新型コロナウイルス感染症を疑う症状を経験したジャーナリスト、佐藤章氏による記事が掲載された。患者さんの視点で気持ちの推移やPCR検査の経験を伝える良い記事である。


■私はこうしてコロナの抗体を獲得した《前編》保健所は私に言った。「いくら言っても無駄ですよ」 - 佐藤章|論座 - 朝日新聞社の言論サイト
■私はこうしてコロナの抗体を獲得した《後編》PCR検査の意外な結果、そして… - 佐藤章|論座 - 朝日新聞社の言論サイト


ただ、医学が専門ではない方が書いたため仕方のないこととは言え、いくつか医学的な誤りが散見される。誤解が広まると感染防御の点から弊害が生じることが懸念されるため、ここで指摘しておく。


症状出現から1回目の抗体検査まで

ことの経過は3月29日の深夜12時前に38度の発熱から始まる。適切に家庭内隔離が行われた後、2日間は37度5分前後と微熱が続き、4月1日には平熱となった。PCR検査がなかなか受けられないことを佐藤章氏はご存じであったため、4月1日にナビタスクリニックにて抗体検査を受けた。この日受けたのは比較的早期に抗体価が上昇するとされるIgM抗体の検査で、結果は陰性だった。描写からはイムノクロマト法によるキットだと思われた。保険適用はなく5500円の自費だ。

抗体検査の結果が陰性であることから「すっかり安堵して帰宅し、久々に冷たい缶ビールなどを飲んで過ごした」とあるが、後述するように症状出現後4日目にキットによるIgM抗体が陰性だったとしても、安心はできない。ナビタスクリニックでどのような説明があったかは記載がなく、偽陰性の可能性について適切な説明があったのかどうかはわからない。

4月2日から37~38度の発熱があり、4月3日に近くのかかりつけ医を受診した。事前に電話予約したのは適切な行動だ。かかりつけ医が「抗体検査はまだ十分に確立された検査法ではないとしてCOVID19感染を強く疑っ」ったのも正しい*1。その後も発熱は続き、味覚障害も出現した。


発症後11日目にPCR検査を受けた


 7日午前、部屋の前で珍しく家人が電話口で言い争っている声が聞こえてきた。

 「じゃあ、どうしたら検査は受けられるんですか」

 何度も電話していた保健所の担当者とつながったらしい。私と電話を替わったが、「検査難民」の一人となった私が実際にやり取りをしてみると改めて驚きを感じざるをえなかった。


ここで一つお願いがあるのだが、患者さんやそのご家族が保健所に対して検査を受けるための交渉をしないでいただきたい。ただでさえ多忙な窓口が検査の交渉で塞がるのは望ましくない。なかなかPCR検査を受けられない現状に不満はおありであろうが、その不満を現場の保健所職員に押し付けても問題は解決しない。病状によってPCR検査を行うかどうかを判断する必要もあろうが、その交渉は医師が行うべきだ*2。この点が十分に伝わる報道をしていただけたらありがたい。

佐藤章氏は『なかなかPCR検査を受けられない構造を知っていたので、早々に電話を切り、「かかりつけ医」に連絡した』。これも適切な行動だ。結果として発熱して11日目、4月8日にPCR検査を受けることになった。地域や時期にもよるだろうが、CT検査で特徴的な肺炎像を認められてからしかPCR検査を受けられないような状況もあったが、佐藤章氏はそういうこともなく、PCR検査と同時に胸部レントゲン検査を受けた。

胸部レントゲンでは「軽い肺炎であることがわかった」。ただし、「ほとんど咳がなく、呼吸そのものには何一つ障害がなかった」とのことである。かかりつけ医が4月3日の段階で新型コロナウイルス感染症を疑ったにも関わらず、そのときにはPCR検査を勧めなかったのも、呼吸器症状が重くなかったからだろうと思われる。発熱の持続と味覚障害の出現で検査前確率が十分に高いと評価できたので、PCR検査をしてもよいと判断したわけである。

PCR検査は鼻咽頭スワブ(鼻の奥)、咽頭スワブ(喉の奥)に加え、鼻からの検体採取にあたってせき込んだ時に「痰か痰の混じった唾」も検体として採取された。週末をはさみ、4月13日陰性だったとの説明があった。



 ――では、肺炎の診断は何だったのでしょうか。何が原因だったのですか。

 「コロナではなく、他のウイルス性の肺炎の可能性があります。今後については、抗生剤の必要はなく、解熱剤など対症療法でいいでしょう。肺炎については自然に治っていきます」

 医師はこう答えたが、「ただ、PCR検査の精度は100%ではありません」ということを何度か強調していた。


適切な説明だと思われる。その時点で「少し頭痛は残っていたが、一日中解熱剤なしで36度台の平熱が続いていた」。


症状は落ち着いたが2回目の抗体検査を受けた

症状は落ち着いたが、「ウイルスの正体を正確に摑むために」、ナビタスクリニックで4月21日に再び抗体検査を受けた。このときはIgM抗体ではなくIgG抗体検査を受けた。



国立感染症研究所が4月1日に発表した短いレポートによれば、コロナウイルス患者の血清を採ってこの抗体検査キットで実験したところ、発症後1-6日のIgM抗体の陽性的中率はなんと0%。反対に発症後13日以降のIgG抗体の陽性的中率は96.9%だった。


国立感染症研究所のレポートとは


■迅速簡易検出法(イムノクロマト法)による血中抗SARS-CoV-2抗体の評価


である*3。このレポートによれば発症後1-6日間の検体でIgM抗体が陽性に出たのは14検体中0例であった(0%)。佐藤章氏は、症状出現後4日目にキットによるIgM抗体が陰性で「すっかり安堵」したが、すっかりどころかまったく安堵できない。

また、佐藤章氏は「発症後13日以降のIgG抗体の陽性的中率は96.9%だった」と書いているが誤りである。疫学では、陽性的中率(陽性的中割合)とは検査で陽性になった人の中で実際に疾患がある人の割合のことをいう。国立感染症研究所のレポートからは陽性的中率はわからない。新型コロナウイルス感染症患者の血清において、発症後13日以降はIgG抗体の陽性割合が32検体中31例であった(96.6%)。これは実際に疾患がある人の中で検査で陽性になる人の割合、つまり感度であって陽性的中率ではない。陽性的中率を知るには、感度に加え特異度と検査前確率の情報が必要である。ただ、佐藤章氏が間違うのも仕方がない。佐藤章氏が「COVID19取材を通じてウイルス自体や医学界全般の知識などについて教えをいただいていた」上昌広・医療ガバナンス研究所理事長も、陽性的中割合の計算を間違ったぐらいだ*4

国立感染症研究所のレポートでは、発症後1-6日においてIgG抗体の陽性割合が14検体中1例であった(7.1%)。IgM抗体も陽性に出ていない時期のIgG抗体陽性は偽陽性である可能性がきわめて高い。キットにもよるが、イムノクロマト法による新型コロナウイルス抗体検査において数%の偽陽性が生じうることはすでに知られている。下気道検体も含めてPCR検査が陰性であることも考慮すると、佐藤章氏のIgG抗体陽性は偽陽性である可能性がそれなりあると私は考える。


抗体検査の結果説明の際に気をつけるべきことなど

きわめて問題があると私が考えるのが、この陽性結果の説明である。


 「おめでとうございます。コロナウイルスを乗り越えられました」

 久住氏が最初にこう言葉をかけたことには理由がある。

 この抗体検査は日本以外の各国では積極的に採用されつつある。少量の血液採取で済むために、PCR検査のように医師が患者の咳やクシャミなどの飛沫を浴びる恐れが極めて小さい。

 そして何より、私の検査結果のように適正な日にちを置けばかなり正確な抗体の存在が確認できる。つまり、COVID19に対して免疫を獲得できた人間を正確に捕捉することができるということだ。

問題は二点。一つは上記したように偽陽性の可能性の説明がないことだ。PCR検査のときには、説明の際に精度は100%ではないことが何度も強調されたと記載されているが、ナビタスクリニックで検査の不確実性について説明があったという記載はない。

もう一つが、よしんば偽陽性ではなくIgG抗体が本当にできていたとしても、現時点で「おめでとうございます。コロナウイルスを乗り越えられました」と説明するのは不適切であることだ。抗体があることと免疫が獲得できたことは同義ではない*5。新型コロナウイルス感染症において抗体の意義はまだ不明である。「抗体があると感染しにくい」と誤解させるような不適切な説明が不適切な行動につながり、再感染や感染の拡大につながるかもしれない。現時点で抗体検査を行うなら、抗体がついたからといって免疫ができているとは限らないことを患者さんが十分にご理解できるような説明が不可欠である。

そもそも、ナビタスクリニックにおいて、なぜIgG抗体とIgM抗体を同時に測定しなかったのだろうか。感染初期に抗体が陰性で、経過中に陽性化したのが確認できれば、かなりの確度でウイルスに感染していたと言えたのに。研究目的であれば中途半端に初期にIgM抗体だけ、治癒後にIgG抗体だけ測らずにきちんとデータを取るべきだ。また、研究費用を患者が負担するのもあまりよくない。研究目的と称してエビデンスに乏しい医療がお金儲け目的で行われかねないからである。

抗体検査は血液で可能なので検査者に感染するリスクは小さいし、過去の感染が分かるという利点がある。今後、海外でも日本でも抗体検査が広く行われ、PCR検査だけではわからない実際の感染状況をより正確に推測できるようになるだろう。ただ、現時点では個人が抗体検査を受ける意義に乏しい。早期の診断はできないし、治ってからの診断は診療方針に影響しない。この点について佐藤章氏によるルポはよく伝えている。抗体検査を受けるために外出するのは感染を広げるリスクもあるので、抗体検査を受けたいと考える読者のみなさんは参考にしていただきたい。また、医師が患者さんに説明するときに、何に気をつけるべきかについても参考になった。医療の不確実性を踏まえた医学的に正確な説明よりも、わかりやすく断定的・楽観的な説明をしたほうがその場の患者さんの満足度は上がるが、長期的には弊害が生じることを再確認できた。患者さんにとっても医療者にとっても、「論座」の新型コロナ感染症の記事は読む価値のある記事だと考える。


*1:細かいことを言えばCOVID-19は疾患の名称なので感染はしない。「COVID-19罹患を強く疑う」がより正確

*2:兵站の不備への文句は前線の兵士ではなく上層部へ。保健所は最前線だ。

*3:キットによって検査の性能は異なるが、この時点で日本で利用可能なキットは限られているので、ナビタスクリニックで使用されたキットと同一である可能性が高い。佐藤章氏も同一であるとして記事を書いておられる

*4:https://twitter.com/KamiMasahiro/status/1232529986243837952 感度7割、特異度9割、有病割合(検査前確率)2割だと、陽性反応的中割合は約0.64。検査対象が1000人いると仮定すると分かりやすい。200人が新型コロナ感染症でうち検査陽性が140人。800人が非新型でうち検査陽性が80人。140÷(140+80)≒64%。

*5:たとえば慢性C型肝炎においては抗体ができてもウイルスを排除できない