NATROMのブログ

ニセ医学への注意喚起を中心に内科医が医療情報を発信します。

「擬陽性(疑陽性)」と「偽陽性」は違います

新型コロナウイルス感染症に関連して検査の性能が話題になっています。本当は感染していないのに検査で誤って陽性という結果が得られることを「偽陽性」といいます。英語では"false positive"。この"false positive"を「擬陽性(疑陽性)」と呼ぶことがありますが誤りです。どちらも読み方が「ぎようせい」なのでうっかり間違いやすいですが、「偽陽性」と「擬陽性(疑陽性)」は、異なる用語です。漢字変換候補に「擬陽性」が先に上がることもあり、誤用の一因になっているようです*1。私は偽陽性を入力するときは「にせようせい」から変換するようにしています*2

「擬陽性(疑陽性)」という医学用語もちゃんとあります。陽性とも陰性とも言い切れない、陽性に近い反応なので陽性を疑う、というのが擬陽性(疑陽性)です。具体的な例がわかりやすいでしょう。結核に対する免疫能を評価するためのツベルクリン反応検査において、以前は擬陽性(疑陽性)という判定基準がありました。

ツベルクリン反応検査は、まず結核菌由来の抗原を含んだ液を皮下注射します。結核菌に感染したことがあったり、BCG注射を受けたりして結核菌に対する免疫能があれば、反応して皮膚が赤くなったり硬くなったりします。国によっても判定基準が異なるのですが日本では48時間後にこの発赤と硬結を測定し、以前は発赤が10mm以上なら陽性、4mm以下なら陰性、そして5~9mmなら擬陽性(疑陽性)としていました。

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ツベルクリン反応の擬陽性(疑陽性)

一方、ツベルクリン反応における偽陽性"false positive"は、「結核菌に感染してもいなければBCG接種も受けていないのにツベルクリン反応検査で10mm以上の発赤が生じる」ことです*3。擬陽性(疑陽性)ならその場で見てわかりますが、偽陽性はその場ではわかりません。ツベルクリン反応以外の方法で結核菌の感染の有無を調べるなどをしてはじめてわかります。

ツベルクリン反応の擬陽性(疑陽性)という判定基準は現在では使われていません。ツベルクリン反応に限らず、現在、臨床の現場で、擬陽性(疑陽性)という言葉はあまり使いません。また、私の知る限りにおいて新型コロナウイルス感染症の検査で擬陽性(疑陽性)が問題になることはありません*4。検査の性能における感度や特異度の話をしているときには擬陽性(疑陽性)は出てきません。対応する「擬陰性(疑陰性)」という言葉がほとんど使われていないことからもわかるでしょう。

間違いやすく偽陽性と音で区別できない「擬陽性(疑陽性)」という用語は使わないほうがいいでしょう。「陽性に近い反応なので陽性を疑う」ことを指すには、偽陽性と混同されないよう、「境界域」や「弱陽性」などといった言葉を使うほうが望ましいと考えます。どうしても「擬陽性(疑陽性)」という言葉を使うなら、きちんと定義してから使わないと、単に間違えているだけなのか、それとも偽陽性とは区別して使っているのか、相手に伝わりません。

参考:
■特異度と偽陽性率と陽性反応的中割合と

*1:まさしくこの記事をつい最近買い替えたパソコンで書いているのだが、まず「擬陽性」が候補に挙がった

*2:「偽陽性」ではなく「誤陽性」と呼ぶ論者もおり、これも擬陽性(疑陽性)と区別する良い方法と思われる

*3:検査の目的によってはBCG接種後の陽性も偽陽性とされることがある。検査のゴールドスタンダード(参照基準)とは何ぞや、というマニアックだが興味深い問題にぶつかるが今回は深入りしない。

*4:理論上は「PCR後の生成物の量がゼロではないが不十分」ということはありえるが、通常は定性的に陽性か陰性かを判定する

「論座」の新型コロナ感染症の記事から学べること

「論座」に新型コロナウイルス感染症を疑う症状を経験したジャーナリスト、佐藤章氏による記事が掲載された。患者さんの視点で気持ちの推移やPCR検査の経験を伝える良い記事である。


■私はこうしてコロナの抗体を獲得した《前編》保健所は私に言った。「いくら言っても無駄ですよ」 - 佐藤章|論座 - 朝日新聞社の言論サイト
■私はこうしてコロナの抗体を獲得した《後編》PCR検査の意外な結果、そして… - 佐藤章|論座 - 朝日新聞社の言論サイト


ただ、医学が専門ではない方が書いたため仕方のないこととは言え、いくつか医学的な誤りが散見される。誤解が広まると感染防御の点から弊害が生じることが懸念されるため、ここで指摘しておく。


症状出現から1回目の抗体検査まで

ことの経過は3月29日の深夜12時前に38度の発熱から始まる。適切に家庭内隔離が行われた後、2日間は37度5分前後と微熱が続き、4月1日には平熱となった。PCR検査がなかなか受けられないことを佐藤章氏はご存じであったため、4月1日にナビタスクリニックにて抗体検査を受けた。この日受けたのは比較的早期に抗体価が上昇するとされるIgM抗体の検査で、結果は陰性だった。描写からはイムノクロマト法によるキットだと思われた。保険適用はなく5500円の自費だ。

抗体検査の結果が陰性であることから「すっかり安堵して帰宅し、久々に冷たい缶ビールなどを飲んで過ごした」とあるが、後述するように症状出現後4日目にキットによるIgM抗体が陰性だったとしても、安心はできない。ナビタスクリニックでどのような説明があったかは記載がなく、偽陰性の可能性について適切な説明があったのかどうかはわからない。

4月2日から37~38度の発熱があり、4月3日に近くのかかりつけ医を受診した。事前に電話予約したのは適切な行動だ。かかりつけ医が「抗体検査はまだ十分に確立された検査法ではないとしてCOVID19感染を強く疑っ」ったのも正しい*1。その後も発熱は続き、味覚障害も出現した。


発症後11日目にPCR検査を受けた


 7日午前、部屋の前で珍しく家人が電話口で言い争っている声が聞こえてきた。

 「じゃあ、どうしたら検査は受けられるんですか」

 何度も電話していた保健所の担当者とつながったらしい。私と電話を替わったが、「検査難民」の一人となった私が実際にやり取りをしてみると改めて驚きを感じざるをえなかった。


ここで一つお願いがあるのだが、患者さんやそのご家族が保健所に対して検査を受けるための交渉をしないでいただきたい。ただでさえ多忙な窓口が検査の交渉で塞がるのは望ましくない。なかなかPCR検査を受けられない現状に不満はおありであろうが、その不満を現場の保健所職員に押し付けても問題は解決しない。病状によってPCR検査を行うかどうかを判断する必要もあろうが、その交渉は医師が行うべきだ*2。この点が十分に伝わる報道をしていただけたらありがたい。

佐藤章氏は『なかなかPCR検査を受けられない構造を知っていたので、早々に電話を切り、「かかりつけ医」に連絡した』。これも適切な行動だ。結果として発熱して11日目、4月8日にPCR検査を受けることになった。地域や時期にもよるだろうが、CT検査で特徴的な肺炎像を認められてからしかPCR検査を受けられないような状況もあったが、佐藤章氏はそういうこともなく、PCR検査と同時に胸部レントゲン検査を受けた。

胸部レントゲンでは「軽い肺炎であることがわかった」。ただし、「ほとんど咳がなく、呼吸そのものには何一つ障害がなかった」とのことである。かかりつけ医が4月3日の段階で新型コロナウイルス感染症を疑ったにも関わらず、そのときにはPCR検査を勧めなかったのも、呼吸器症状が重くなかったからだろうと思われる。発熱の持続と味覚障害の出現で検査前確率が十分に高いと評価できたので、PCR検査をしてもよいと判断したわけである。

PCR検査は鼻咽頭スワブ(鼻の奥)、咽頭スワブ(喉の奥)に加え、鼻からの検体採取にあたってせき込んだ時に「痰か痰の混じった唾」も検体として採取された。週末をはさみ、4月13日陰性だったとの説明があった。



 ――では、肺炎の診断は何だったのでしょうか。何が原因だったのですか。

 「コロナではなく、他のウイルス性の肺炎の可能性があります。今後については、抗生剤の必要はなく、解熱剤など対症療法でいいでしょう。肺炎については自然に治っていきます」

 医師はこう答えたが、「ただ、PCR検査の精度は100%ではありません」ということを何度か強調していた。


適切な説明だと思われる。その時点で「少し頭痛は残っていたが、一日中解熱剤なしで36度台の平熱が続いていた」。


症状は落ち着いたが2回目の抗体検査を受けた

症状は落ち着いたが、「ウイルスの正体を正確に摑むために」、ナビタスクリニックで4月21日に再び抗体検査を受けた。このときはIgM抗体ではなくIgG抗体検査を受けた。



国立感染症研究所が4月1日に発表した短いレポートによれば、コロナウイルス患者の血清を採ってこの抗体検査キットで実験したところ、発症後1-6日のIgM抗体の陽性的中率はなんと0%。反対に発症後13日以降のIgG抗体の陽性的中率は96.9%だった。


国立感染症研究所のレポートとは


■迅速簡易検出法(イムノクロマト法)による血中抗SARS-CoV-2抗体の評価


である*3。このレポートによれば発症後1-6日間の検体でIgM抗体が陽性に出たのは14検体中0例であった(0%)。佐藤章氏は、症状出現後4日目にキットによるIgM抗体が陰性で「すっかり安堵」したが、すっかりどころかまったく安堵できない。

また、佐藤章氏は「発症後13日以降のIgG抗体の陽性的中率は96.9%だった」と書いているが誤りである。疫学では、陽性的中率(陽性的中割合)とは検査で陽性になった人の中で実際に疾患がある人の割合のことをいう。国立感染症研究所のレポートからは陽性的中率はわからない。新型コロナウイルス感染症患者の血清において、発症後13日以降はIgG抗体の陽性割合が32検体中31例であった(96.6%)。これは実際に疾患がある人の中で検査で陽性になる人の割合、つまり感度であって陽性的中率ではない。陽性的中率を知るには、感度に加え特異度と検査前確率の情報が必要である。ただ、佐藤章氏が間違うのも仕方がない。佐藤章氏が「COVID19取材を通じてウイルス自体や医学界全般の知識などについて教えをいただいていた」上昌広・医療ガバナンス研究所理事長も、陽性的中割合の計算を間違ったぐらいだ*4

国立感染症研究所のレポートでは、発症後1-6日においてIgG抗体の陽性割合が14検体中1例であった(7.1%)。IgM抗体も陽性に出ていない時期のIgG抗体陽性は偽陽性である可能性がきわめて高い。キットにもよるが、イムノクロマト法による新型コロナウイルス抗体検査において数%の偽陽性が生じうることはすでに知られている。下気道検体も含めてPCR検査が陰性であることも考慮すると、佐藤章氏のIgG抗体陽性は偽陽性である可能性がそれなりあると私は考える。


抗体検査の結果説明の際に気をつけるべきことなど

きわめて問題があると私が考えるのが、この陽性結果の説明である。


 「おめでとうございます。コロナウイルスを乗り越えられました」

 久住氏が最初にこう言葉をかけたことには理由がある。

 この抗体検査は日本以外の各国では積極的に採用されつつある。少量の血液採取で済むために、PCR検査のように医師が患者の咳やクシャミなどの飛沫を浴びる恐れが極めて小さい。

 そして何より、私の検査結果のように適正な日にちを置けばかなり正確な抗体の存在が確認できる。つまり、COVID19に対して免疫を獲得できた人間を正確に捕捉することができるということだ。

問題は二点。一つは上記したように偽陽性の可能性の説明がないことだ。PCR検査のときには、説明の際に精度は100%ではないことが何度も強調されたと記載されているが、ナビタスクリニックで検査の不確実性について説明があったという記載はない。

もう一つが、よしんば偽陽性ではなくIgG抗体が本当にできていたとしても、現時点で「おめでとうございます。コロナウイルスを乗り越えられました」と説明するのは不適切であることだ。抗体があることと免疫が獲得できたことは同義ではない*5。新型コロナウイルス感染症において抗体の意義はまだ不明である。「抗体があると感染しにくい」と誤解させるような不適切な説明が不適切な行動につながり、再感染や感染の拡大につながるかもしれない。現時点で抗体検査を行うなら、抗体がついたからといって免疫ができているとは限らないことを患者さんが十分にご理解できるような説明が不可欠である。

そもそも、ナビタスクリニックにおいて、なぜIgG抗体とIgM抗体を同時に測定しなかったのだろうか。感染初期に抗体が陰性で、経過中に陽性化したのが確認できれば、かなりの確度でウイルスに感染していたと言えたのに。研究目的であれば中途半端に初期にIgM抗体だけ、治癒後にIgG抗体だけ測らずにきちんとデータを取るべきだ。また、研究費用を患者が負担するのもあまりよくない。研究目的と称してエビデンスに乏しい医療がお金儲け目的で行われかねないからである。

抗体検査は血液で可能なので検査者に感染するリスクは小さいし、過去の感染が分かるという利点がある。今後、海外でも日本でも抗体検査が広く行われ、PCR検査だけではわからない実際の感染状況をより正確に推測できるようになるだろう。ただ、現時点では個人が抗体検査を受ける意義に乏しい。早期の診断はできないし、治ってからの診断は診療方針に影響しない。この点について佐藤章氏によるルポはよく伝えている。抗体検査を受けるために外出するのは感染を広げるリスクもあるので、抗体検査を受けたいと考える読者のみなさんは参考にしていただきたい。また、医師が患者さんに説明するときに、何に気をつけるべきかについても参考になった。医療の不確実性を踏まえた医学的に正確な説明よりも、わかりやすく断定的・楽観的な説明をしたほうがその場の患者さんの満足度は上がるが、長期的には弊害が生じることを再確認できた。患者さんにとっても医療者にとっても、「論座」の新型コロナ感染症の記事は読む価値のある記事だと考える。


*1:細かいことを言えばCOVID-19は疾患の名称なので感染はしない。「COVID-19罹患を強く疑う」がより正確

*2:兵站の不備への文句は前線の兵士ではなく上層部へ。保健所は最前線だ。

*3:キットによって検査の性能は異なるが、この時点で日本で利用可能なキットは限られているので、ナビタスクリニックで使用されたキットと同一である可能性が高い。佐藤章氏も同一であるとして記事を書いておられる

*4:https://twitter.com/KamiMasahiro/status/1232529986243837952 感度7割、特異度9割、有病割合(検査前確率)2割だと、陽性反応的中割合は約0.64。検査対象が1000人いると仮定すると分かりやすい。200人が新型コロナ感染症でうち検査陽性が140人。800人が非新型でうち検査陽性が80人。140÷(140+80)≒64%。

*5:たとえば慢性C型肝炎においては抗体ができてもウイルスを排除できない

布マスクはないよりマシなのか?

■「子供のマスクは手作りを」 学校再開に向け文科省が呼びかけ - 毎日新聞という記事が出ていた。文部科学省が手作りマスクの普及を呼びかけたという。ただ、布マスクが新型コロナ感染症の予防に役立つかどうかは、微妙なところである。現時点では明確な結論は出せない。このエントリーでは、布マスクの感染予防効果を論じた研究、および現時点におけるWHOとCDCの見解を紹介し、その上で、私の個人的な見解を述べる。

布マスクの感染予防の研究、WHOとCDCの勧告

医療機関で働く医療従事者は、自らが感染することを予防するためにマスクを使用する。通常は、使い捨ての医療用マスクを使用するが、布製のマスクで代用可能かを検証したクラスターランダム化比較試験が行われた*1。論文によると布マスクについて行われた最初のランダム化比較試験で、私が調べた範囲内では布マスクの臨床における感染予防を評価した唯一のランダム化比較試験である。ベトナムのハノイの病院で、病棟ごとに医療用マスク群、布マスク群、対照群(いつも通り)の3群にランダム分けられ、呼吸器疾患やインフルエンザ様疾患の発生を観察したところ、医療用マスク群や対照群と比べて、布マスク群で疾患の発生が多かった。

ただし、対照群においてもほとんどの参加者がマスクを使用していたため、布マスクが疾患を増やしたのか、効果がゼロだったのか、疾患を減らす効果があったものの他の群よりも効果が小さかったのか判断できない。また、医療従事者の研究であって、学校などの通常のコミュニティにおいては効果が異なるかもしれない。

WHOは「布マスク(綿やガーゼ)マスクをどのような環境下でも推奨していない("Cloth (e.g. cotton or gauze) masks are not recommended under any circumstance.")」とガイドラインで述べている*2。WHOの勧告の対象は先進国だけではなく医療資源の乏しい国や地域も対象なのにも関わらず、「どのような環境下でも」と表現しているのは不適切な使用が感染リスクを高めることを危惧しているのかもしれない。

CDCは、マスクが不足している状況を踏まえた上で最適な使用戦略について述べている*3。通常のマスクが使用できないときに、最後の手段として、医療従事者がバンダナやスカーフといった自家製のマスクをしてもよい("In settings where facemasks are not available, HCP might use homemade masks (e.g., bandana, scarf) for care of patients with COVID-19 as a last resort.")としている。布マスクもこれに準じると考えてよいだろう。

ただし、対象が医療従事者であることに注意。WHOもCDCも、感染した家族を自宅で看護する場合を除いて、日常生活において症状のない人が予防目的でマスク(医療用マスクを含めて)をつけることは推奨していない。


症状のない人がマスクをしてもよいが、原則としては不要である

ここからは個人の見解である。症状のない人がマスクをしてもよいと個人的には考える。よく言われていることだが、たとえば満員電車内において、マスクも何もしていない目の前の人が咳をするかもしれないのだ。WHOやCDCが想定している日常生活と、日本の特定の人の状況は異なる。要は程度問題である。ただし、あくまで個人の選択として「マスクをしてもよい」ぐらいで、「マスクをしたほうがいい」とか、ましてや「マスクをすべきだ」ということではない。

ただ、マスクが枯渇している状況下では「マスクをしてもよい」とも安易に言っていられない。マスクの必要性の高い医療現場でマスクが不足しているのに、効果があるのかどうかはっきりしない日常生活でマスクが消費されるのはあまりよいことではない。そこで、布マスクという代替案に検討の余地が生じる。布マスクの利点は、個人が作成できることや洗濯・消毒して再利用可能なことだ。

布マスクもしたい人がするのはかまわない。個人ベースで作り方の情報を共有するのもいいだろう。しかし、政府が「手作りマスクの作製・使用の検討をお願いする」のは問題だと考える。通常のマスクであっても日常生活における予防効果はあるのかないのかわからない程度である。布マスクならなおさらだ。手作りや洗濯・消毒の手間など、保護者の負担に見合っていない。通常のマスクが足りていないなら、手作りマスクの使用をお願いするのではなく、無症状の人には原則としてマスクは不要である情報の徹底的な周知のほうが望ましい。


不適切なマスクの使用が感染を拡大させる可能性もある

「無症状であってもウイルスを排出している場合もある。マスクをしている人への感染予防効果はなくても、マスクをしている人からの感染予防効果は期待できる」という反論が予想できる。確かに、適切に使用されていれば一定の感染予防効果はあるだろう。しかしながら、学校においては必ずしも適切に使用できるとは限らず、むしろ感染を広げる可能性すらある。

マスクの効果として、たとえば、近い距離で話をしているときに飛沫が飛ぶことを防ぐことはできるが、その飛沫は布マスクにトラップされる。マスクの使用者がウイルスを排出していたら、マスクはウイルスに汚染される。布マスクだと浸透してマスクの裏だけではなく表も容易に汚染されるだろう。いっさい布マスクに触れず、次々と新しいマスクに取り換えることができるのなら、感染予防効果は期待できる。しかし、子どもがそんなに適切にマスクを扱えるとは限らないし、どんどん交換できるとも思えない。

何気にマスクに触ってしまうこともあるだろうし、給食のときはマスクをいったん外すだろう。外したマスクを置いた机、マスクを触った手、その手で触ったドアの取っ手などが次々とウイルスに汚染されることになりかねない。会話の飛沫なら感染させても数人だが、クラスの多くが触る物体の表面からの接触感染はさらに多くの人に感染させうる。こうした状況も考慮した上で、「布マスクでもないよりマシ」「感染を広めるのを防ぐ効果は確実にある」と言えるだろうか?

どうせマスクを使うなら正しく使おう

布マスクに限らず通常マスクについても、「無意識に口元や鼻を触って感染することを防止する」という意見もある。本当だろうか?マスクの外側は汚染されていると考えるべきなのだが、無意識にそこを触ると手も汚染される。その手で物体表面を触れば汚染させるし、鼻や口をマスクでガードしていても目をこすれば感染する。

そもそも、子どもに限らず、マスクを手で触る人はたいへんに多い。無意識に触っているというよりも、位置がずれたのを意図的に触って直している。ゴムではなく紐タイプのサージカルマスクを、正しくは後頭部で結ぶべきところ耳の下で結び、しょっちゅうずり落ちるのを常に手で直している人がいた。

手で触る以外にも、不適切なマスクの使用方法は、リアルでもテレビでもよく見かける。鼻を出している人もいたし、顎にかけている人もいたし、通常のマスクをした上にN95マスクをつけている人もいた。N95マスクは皮膚に密着させないと意味がない。大人でもマスクを適切に使えていない。

布マスクに利点があるとしたら、不足しがちな貴重なマスクを不適切使用で消費されるぐらいなら、布マスクでもしてもらったほうがありがたいということだろうか。「薬を与えたがる素人には砂糖玉でも与えさせておけ」*4という逸話に似て、パターナリズム的であまりよい考えではない。適切な情報提供のほうが望ましい。

日常生活における症状のない人のマスク着用は効果があるかどうかはっきりせず、効果があるとしても限定的で、原則として不要である。不適切な使用でかえって害をなす可能性もある。マスクつけるなら鼻まで覆う。マスクをつけたら、そのマスクは汚染されていると考えるべき。触ったら手を洗う。外したときも手を洗う。できれば使い捨てだが、再利用するとしても、無造作にポケットに突っ込んだりせずに、慎重に密閉可能な入れ物に入れるなどの工夫が必要だ。