NATROMのブログ

ニセ医学への注意喚起を中心に内科医が医療情報を発信します。

はてなブログに移行しました。そして新装版『「ニセ医学」に騙されないために』が出ます!

はてなブログに移行しました

id:kanoseさんによると、はてなダイアリーはネット界の限界集落で、利用者はもはやダムの底に沈むと決まっている集落にがんとして住んでいるようなものなのだそうです*1。私はそんなことには気づいていなかった。いつも通りの生活をしていたら、「お前の家はダムに沈む運命なのだよ」と突然言われたようなもんです。そういやなんだか人通りが少ないとは思っていたんだよ。

そうは言っても引っ越しは面倒だし、住んでいる分にはまったく不都合を感じていなかったので放置していたら、運営から『「はてなダイアリー」終了のお知らせと「はてなブログ」への移行のお願い』というメールが届きました。ダムに沈むの確定。しかし、記事はもちろん、コメント、はてなブックマーク、はてなスターも移行できるそうで、こうしてはてなブログ移行してみたという次第。というか、今この文章を書いている時点ではまだ移行していないのです。コメントとか山ほどあるけど大丈夫かな…。まあ、皆さんがこの記事を読んでいるなら移行はうまくいったんでしょう。

Yahoo!のIDを取得したのが2000年ごろ。当時は掲示板が主戦場でした。まとまった文章を発表したければ、個人のウェブサイトでチマチマとアップロードしていたんですよ*2。2004年7月から、はてなダイアリーを利用しはじめました。14年前。私のインターネット歴の実に4分の3以上が、はてなダイアリーと共にあったというわけです。さようなら、はてなダイアリー。これまでありがとう。はてなダイアリーがなくなっても、私ははてな村の村民であり続けます。そしてこんにちは、はてなブログ。これからよろしくね。新しくはじめるブログのタイトルは『NATROMのブログ』です。

思えばいろんなことがありました。はてなダイアリーの書きはじめのころは、休日に魚釣り行ったとか、花見に行ったとか、日常生活のことをけっこう書いていました。今読み返すとけっこう楽しい。他には進化論とか医師の激務事情とかを書いていましたが、だんだんとニセ医学批判について書くことが増えてきました。2014年には「ニセ医学」についての本も出させていただきました。

新装版『「ニセ医学」に騙されないために』が出ます!

いろいろあって絶版になったのですが、このたび、いろいろあって新装版として復刊していただけることになりました。ありがとうございます。


出版予定日は2018年11月29日です。そしてこれを機会に"NATROM"から「名取宏」にペンネームを変更することにしました。「なとろむ」だから「名取宏(なとり・ひろむ)」です。はてなIDやツイッターのユーザー名はそのままなので、ペンネームを変更というかアカウント名を変更という感じです。

NATROMという著者名は、インターネットに慣れていない人たちにいくらかの混乱を招いたようです。NATROMっていったい誰?何国人?書店に並んだ本に「NATROM著」と書いてあったら怪しんで買わないってこともあるでしょう。ありがたいことに本を紹介していただける機会もたびたびあったのですが、そのたびに「NATROMとはインターネットでのハンドルネームである云々」という説明が必要になりました。無駄なコストです。

最初から日本人っぽいペンネームで出せば良かったんですが、当時は、「ペンネームで出したら『NATROMの日記』の読者に買ってもらえない」と思い込んでいたんですな。ただね、NATROMを知っている人が、たまたま本屋の店頭で本を見かけて「へえ、NATROM先生、本を出していたんだ。買おう」ってならないでしょ。ブログかツイッター経由で知って買うでしょ。

そんなわけで著者名は変わりました。しかし、「はじめに」以外の本文の内容はほとんど変わっていません。「ニセ医学だ」と批判していたものが新しい研究で「実はそうでもない」なんてことになっていたら改訂を余儀なくされていましたが、いまのところはありません。評価がひっくり返りそうなものを批判するのは避けましたし、言及しても「現時点において」とか「私の知る範囲内では」とか言い訳を入れていました。

医学の最先端のことを書いていたら、4年前の本は改訂する必要があったでしょう。ニセ医学はあんまり変わらないようです。ホメオパシーなんかは長い長い歴史があって、人死を出してもまだ消えていません。医学が完全でない以上、ニセ医学が消えることはありません。それでも「どうせ汚れるから掃除をしない」わけにもいきません。

ニセ医学そのものは変わらなくても、それを取り巻く状況は少しずつ変わっています。医師向けの業界紙でニセ医学の特集が組まれたり、ニセ医学を批判する本やブログが増えたりしています。そうした良い潮流に、『「ニセ医学」に騙されないために』の復刊が少しでも貢献できればうれしいです。

「生存率の上昇」と「死亡率の低下」は違います

■医師国家試験を解いてみよう。「がん検診の有効性を示す根拠はどれ?にて、『Wikipediaの「がん検診」にはbが正解であると書いてあるが…』とのブックマークコメントをenvsさんからいただきました。こうして疑問点について教えていただけることをたいへんにありがたく思います。

がん検診の有効性を示す根拠は、「b.検診で発見されたそのがんの患者の生存率の上昇」ではなく、「c.集団全体におけるそのがんの死亡率の低下」です。■がん検診 - Wikipediaには、


がん検診の有効性は、そのがん検診受診者の当該がんによる死亡率が、非受診者のそれよりも低下するかどうかで評価される。

とあります。当該がんによる死亡率の低下という部分がキモです。「死亡率が低下するってことはすなわち、生存率の上昇だ」とお考えの方もいるかもしれません。この辺りは初見殺しでして、「医師でもけっこう間違えている」理由として、"死亡率 = 1 − 生存率"という誤解があります。

"死亡率 = 1 − 生存率"ではありません。分母が異なります。死亡率の分母は集団全体*1で、がん患者以外の人をたくさん含みます。集団全体とは、「検診が開始される前の地域の全住民」「検診が開始された後の地域の全住民」だったり「がん検診を受診した人全員」「がん検診を受診していない人全員」だったりします。

一方で、生存率の分母はがん患者です。がん患者以外の人を含みません。「当院で2000年から2004年までに診断された膵がん患者」「当院で2005年から2009年までに診断された膵がん患者」とか、「治療Aを受けた子宮頸がんIII期患者」「治療Bを受けた子宮頸がんIII期患者」とかです。

死亡率の分母は集団全体ですので、たとえば膵がんの死亡率は「1年間あたり10万人あたり25人」「25人/10万人年」という感じで表現されます。パーセントだと数字が小さくなりすぎるので、死亡率ではほぼ使いません*2。一方で膵がんの生存率は「5年生存率は10%」という感じになります。治療法の評価は生存率で行います。治療法Aを受けた人たちの5年生存率が10%で、治療法Bを受けた人たちの5年生存率が20%だったら、治療法Bのほうがよい治療です*3

国家試験の問題文にある「b.検診で発見されたそのがんの患者の生存率の上昇」は、集団全体と比較しているのではなく、検診を行う前のがん患者の生存率と比較しています。生存率は集団全体と比較できません。

臨床医は治療法の評価を生存率で行うのに慣れきっていますので、がん検診の評価もつい生存率で考えてしまいます。ですが、すでに述べたように、がん検診の評価は生存率ではなく、がん死亡率で行わなければなりません。このことが十分に周知されていないのが、有効性に乏しい、あるいは、有効性が明確ではない検診が行われている原因の一つです。

ちなみに1 − 生存率を表す言葉で「致命率(致命割合)」というものがあります。詳しくは■死亡の指標とsivad氏の誤り - Interdisciplinaryを参照してください。致命割合のことを死亡率と呼ぶこともなくはないですが、厳密に言えば誤用です。

最後に、envsさんをはじめとしてコメントをくださったみなさまに、改めて感謝いたします。ありがとうございました。「なとろむは間違っている」などと突撃されたら反撃もしますが、「あれ?こうだと思っていたけど違うのかなあ」という方に殴り掛かるようなことはしません。ぜひ、気軽に疑問点を表明してください。

*1:細かいことを言うと集団全体×単位時間が分母

*2:細かいことを言うと集団全体×単位時間が分母なので数字が大きくてもパーセントを使ってはいけません

*3:ついでに言えばただ生存率といったときには全生存率を指し、死因は問いません。がんで死のうが治療の副作用で肺炎を起こして死のうが交通事故で死のうが、死亡は死亡です。一方で、膵がんの死亡率は膵がんで死亡した人だけをカウントします

医師国家試験を解いてみよう。「がん検診の有効性を示す根拠はどれ?」

がん検診にまつわる誤解は根深く、医師でもけっこう間違えている人がいます。ただ、医師国家試験にがん検診が有効である根拠を問う問題が出題され、若い世代の医師はがん検診の疫学をより正確に理解しているものと思われます。

厚生労働省のサイトに過去問がありましたので、ここで引用・紹介します。さて解けますか?このブログの読者は、その辺の平均的な医師と比べると、ずっと正答割合が高いのではないかと思います。





第106回医師国家試験問題より。


集団に対してある癌の検診を行った。
検診後に観察された変化の中で、検診が有効であったことを示す根拠はどれか。
a 検診で発見されたその癌の患者数の増加
b 検診で発見されたその癌の患者の生存率の上昇
c 集団全体におけるその癌の死亡率の低下
d 集団全体におけるその癌の罹患率の低下
e 検診に用いられた検査の陽性反応適中率の上昇

答えは下のほうに。



























正解c. 検診後に集団全体におけるそのがんの死亡率の低下が観察されれば、がん検診の有効性を示す根拠になりうる。細かいことを言えば、検診前後で検診とは無関係な別の要因でがんの死亡率が下がっただけかもしれないけれども、他の選択肢を考慮すればcしかない。より厳密には、前後比較ではなくランダム化比較試験で、検診群と対照群を比較して、検診群でがん死亡率が小さければ検診に利益があることが示される。

a 検診で発見されたそのがんの患者数の増加は、がん検診の有効性の根拠にならない
 がんの中には一生涯症状を来たしたり死亡の原因になったりしないがん(過剰診断)がある。過剰診断分を発見することでがんの患者数は増加するが、がん検診の利益ではない。むしろ害である。また、将来発症するがんを前倒しで診断すれば、たとえ予後を改善しなくても、がん患者数は一時的に増加する。福島県の甲状腺がん検診の議論をしていると、「手術が必要ながんが発見されているのだから、検診を縮小するなんてとんでもない」といった主張がみられるが誤りだ。

b 検診で発見されたそのがんの患者の生存率の上昇は、がん検診の有効性の根拠にならない
 過剰診断が含まれると、検診に利益がまったくなくても生存率は上昇する。また、過剰診断がなくても、検診ががんの診断を前倒しすることで見かけ上生存期間が延びる(リードタイムバイアス)。また、検診では成長が緩徐で予後のよいがんほど発見されやすい(レンクスバイアス)。検診に利益がまったくなくても、リードタイムバイアスやレンクスバイアスで生存率は上昇する。

d 集団全体におけるその癌の罹患率の低下は、一般的にはがん検診の有効性の根拠にならない
 (前がん病変ではなく)がんを早期発見するタイプの検診ではがんの罹患率を下げることはできない。むしろ、有効な検診でもがんの罹患率は増える。ただし、大腸がん検診や子宮頸がん検診といった前がん病変を発見するタイプのがん検診では、がんの罹患率の低下でも有効性を評価することがある。悪問と言えなくもないが、がん検診の有効性の評価をがん死亡率で評価することは明らかなので、回答は迷わない。

e 検診に用いられた検査の陽性反応適中率の上昇は、がん検診の有効性の根拠にならない
 がん検診でいう陽性反応的中率は、一次検査で陽性であった人のうち精密検査でがんであった人の割合である。陽性反応的中率は一次検査の感度、特異度、およびがんの有病割合に影響を受けるが、がん検診の有効性とは直接的には関係しない。仮に陽性反応適中率が100%の検査があったとしても、がん検診が有効でないことはいくらでもありうる。



さて、ガッテンしていただけましたでしょうか。いまいち納得できない人もたくさんいらっしゃるでしょう。医師でもよく理解できていない人がいくらでもいるぐらいですから。より詳しく理解したい方は疫学の教科書を読むことをお勧めしますが、以下のリンク先を読んでくださってもかまいません。



■がん検診の考え方 ■なぜ「生存率」ではだめなのか
■検診における、「生存率が○○倍に」という表現の罠――ためしてガッテンと尾道方式 - Interdisciplinary
■検診で発見されたがんの予後が良くても、検診が有効だとは言えない - NATROMの日記



がん検診は害も伴います。みなさまが想定しているよりもずっと大きな害があります。「がんを早期発見できた」「生存率が改善した」というだけでがん検診を推進すると、利益よりも害が大きい検診を多くの人が受けてしまうことになりかねません。韓国の甲状腺がん検診や、日本の神経芽腫マススクリーニングがそうでした。「手術を要する癌が見つかってよかったのではないか」などと仰る人もいますがとんでもないことです。害のほうが大きかった検診から得られた教訓をご存じないのでしょう。

研究目的で、利益がまだ明確ではない検診を行うこともあるでしょう。その場合は、あくまでも研究目的であること、想定される害、そして「利益はまだ明確ではない」ことについて十分な説明と同意の上で施行されなければなりません。「早期発見できます」「生存率が上がります」といった、がん検診の有効性について誤認させる説明だけで、有効性が明確ではない検診が行われてはなりません。