高次病院に勤務していた頃の話。肝疾患の終末期で中規模病院に入院中の患者さんが、「なんとかできないか」と紹介されてきた。紹介元の医師も、特別な治療法はないことを承知しており、患者さんにもそう説明している。しかし患者さんが納得されないので、セカンドオピニオンを求めるような形での受診となった。医療者側の思惑としては、高次病院の医師からも同じ説明をされれば、患者さんも少しは納得されるのではないかというところだったが、結果的には患者さんは満足されなかった。転院の希望を聞いてもらえなかったばかりか、何の検査もしないのに予後不良の説明をされたというのがその理由。
ベッドがガラガラに空いているのならともかく、常に入院待ちのいる状態である。一般病院でも診れる患者さんを、ご本人の希望だからといって無制限に入院させていたら、高次病院でしかできない治療を要する患者さんの不利益になる。また、必要な検査は、紹介元の病院でなされており、紹介状に添付されている。同じ検査を繰り返すのは医療費の無駄遣いであるし、患者さんの負担(身体的や経済的に)にもなる。「医師の説明不足だ」という意見もあるかもしれないが、患者さんの立場になって想像してみて欲しい。紹介元の主治医から何度も説明を受けており、それでも自分の病状を受け入れらなかったのだ。初めて会った高次病院の医師から一度だけ説明受けたぐらいで納得できなくても不思議ではない。この患者さんに「満足」していただくには、虚偽の説明をするか*1、あるいはご希望通りに転院させ、フルコースで検査し、ゆっくり時間をかけて説明するぐらいしか私には思いつかない。
以上は需要と供給のアンバランスが患者さんの顧客満足度を上げる妨げになっている例だ。ラーメン屋なんかは、顧客満足度を上げることで客がいっぱい来て、経営の成功につながるが、外来も入院も行列ができている医療機関においては、「客」を呼ぶインセンティブが働きにくい。普通の業種であれば、需要過多になると値段が上がり、自然に需要供給バランスは調整されるが、日本での医療のほとんどは公的保険の縛りがあり、勝手に値段を上げることはできない。あからさまに「経営努力」と「顧客満足度」が対立することもしばしばある。入院が長期になると診療報酬が減額されるため、医学的に入院が不要であるのなら、患者さんが入院継続を希望されても退院していただくことがある。顧客満足度は下がるけれども、医療機関の経営(それと公的医療財政)には良い。
他にも情報の非対称性も顧客満足度を上げる妨げになりうる。たとえば、「肋骨が痛いから湿布を処方してくれ。急いでいるから早くくれ」という初診の患者さんが受診したとしよう。短時間で診察してとっとと湿布を処方したほうが患者さんは満足するであろう。しかし、まともな医師であれば、心筋梗塞等の重症の可能性も考える。丁寧な問診と、胸部レントゲンや心電図ぐらいは行っておきたい。患者さんが検査を拒否されたら、十分な説明とカルテの記載も必要だ。これで本当に心筋梗塞だったらともかく、検査が正常なら、「不要な検査を行う強欲医者」となり得る。逆のパターンとして、希望したのに抗生剤を処方してくれない、点滴をしてくれない、CT検査をしてくれない、というのもある。
もちろん、顧客満足も大事であることは認めるが、それ以上に大事なものがある。十分な説明を行わない酷い医師も中にはいるだろうし、そういう医師を批判するのは十分にやってもらってかまわないが、単に苦情が存在するというだけで、医師全体を批判するのは勘弁して欲しい。
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*1:代替医療に流れる患者さんがなくならない理由の一つが代替医療の提供者が正確な説明をしない点については、■インフォームドコンセントのコストで論じた。