■システム論と原子論(championの雑感)
システム論は、原子論を一般化した概念だといえるだろう。逆にいうと、原子論は、システム論の特殊な形態である。なぜなら、原子論は均質な要素しか考えないのに、システム論は多様な要素を考えるからである。
その意味で、ドーキンスの利己的遺伝子仮説は、システム論よりも原子論に近い。DNAという同じ要素でもって生物を説明するからである。さらに、DNA間の連携を考慮に入れない意味でも、利己的遺伝子仮説は、システム論ではない。
ドーキンスは「利己的な遺伝子」において、遺伝的「原子論」という批判に解答している。厳密には、解答というよりかは予測である。「なぜなら、それは批判より先に書かれたのだから!(P434)」。該当箇所を引用しよう。
「DNA間の連携を考慮に入れない」って、誰の仮説のこと?ちまたに見られるドーキンス批判の多くは、何かドーキンスの主張とは別のもの(遺伝子至上主義とか遺伝的原子論とか)を批判しているに過ぎない。でなければ、ドーキンスの主張を含めた現代生物学全体を批判しているかだ。ドーキンスもしくはダーウィン進化論を批判する動機というものに私は興味がある。ダーウィン的な進化論を理解していないことだけが彼らをダーウィン進化論批判にかりたてるのではなく、彼らはダーウィン進化論を正しく理解できたとしても、けして納得することはないだろうというのが私の予測。
体を構築するということは、個々の遺伝子の分担を区別するのがほとんど不可能なほどいりくんだ協同事業なのである。一つの遺伝子が、体のいろんな部分に対して様々に異なる効果を及ぼすことがある。また、体のある部分が多数の遺伝子の影響をうける場合もあれば、ある遺伝子が他の多数の遺伝子との相互作用によって効果をあらわすこともある。また、なかには、他の遺伝子群の働きを制御する親遺伝子の働きをするものもある。たとえていえば、設計図のそれぞれのページには建物のそれぞれ異なる部分についての指示が書かれており、各ページは他の無数のページと前後参照してはじめて意味をなすのである。(P48)