NATROMのブログ

ニセ医学への注意喚起を中心に内科医が医療情報を発信します。

「子宮頸がんで人は殆ど死なない」のか?

喫煙の害を過小評価しようとしているのか、「肺がんで死ぬのは10万人に80人、約0.08%である。タバコが肺がん死を数倍増やすとしてもたかがしれている」といった主張を散見する。10万人に80人というのはおそらく、日本人男性の肺がん粗死亡率からきている。つまり日本人男性10万人につき年間で約80人が肺がんで死亡している。

0.08%を大したことがない数字だと思われるか。しかし、肺がんは日本の部位別がん死亡の第一位である。1995年ごろに胃がんを抜きトップに躍り出た。肺がん死がたいしたことがないなら、他の病気もおおむね大したことがないことになってしまう。

ポイントは、死亡率の分母は日本人男性全体で、死亡する確率が小さい若年者まで含めた数字であることと、そして何より、一年間あたりの数字であることだ。一生涯ならもっと数字は高くなり、日本人男性100人のうち肺がんで死亡するのは約6人、つまり日本人男性の肺がんの生涯死亡リスクは約6%である*1。約0.08%と比べるとずいぶん印象が異なるのではないか。

6%というのは喫煙者も非喫煙者もひっくるめた数字である。喫煙者割合と相対リスクから大雑把に推測してみると、非喫煙者の肺がんの生涯死亡リスクは約2%ぐらい、喫煙者は約10%ぐらいと思われる。ついでに言えば肺がん以外にも喫煙が死亡リスクを上げる疾患は多数あり、全部合わせると喫煙は10年ぐらい寿命を縮めるとされている。そうしたリスクを承知の上でタバコを吸うのは自由だ。しかし「タバコを吸っても肺がんで死ぬのは0.08%ぐらい」などという誤解に基づいて喫煙しないように願いたい。

HPVワクチンに反対する目的でも、疾患の死亡率を用いた過小評価が利用される。反ワクチンサイトから図を引用した「子宮頸がんのリスクは4万人に1人」とするツイートに対し、衣笠万里さんが注意喚起をしていた。


大雑把に言えば、日本人女性の子宮頸がん生涯死亡リスクは0.3%、子宮頸がん生涯罹患リスクは1%強である。「4万人に1人」というのは、死亡率なのか罹患率なのかすらよくわからないが、一年間当たりの数字であることは確かだ。子宮頸がんのリスクを過小評価させるのは、子宮頸がん検診の必要性も同時に過小評価させてしまうのできわめてまずい。HPVワクチンを接種しないという選択は自由であるが、「4万人に1人」という数字の意味するところを正確にご理解した上で選択して欲しい。

さて、生涯死亡リスク339人に1人を「子宮頸がんで人は殆ど死なない」と解釈した方がいたのには驚いた。日本全体で年間におおむね3000人が死亡している疾患だよ?


「くも膜下出血では、三人に一人が亡くなります」というのは、「クモ膜下出血にかかったら3人に1人が亡くなる」という話で、生涯死亡リスクの話ではない*2。online_checker氏は生涯死亡リスクの話を全く理解していない。おそらく、online_checker氏は、「子宮頸がんにかかっても339人中に1人しか子宮頸がんでは死なない」と解釈している*3。そんなわけないだろ。罹患と死亡の比から計算すると、子宮頸がんと診断された人のうち4人に1人は子宮頸がんで亡くなる。子宮頸がん全症例の5年生存率が約75%というデータとも整合性がある*4

日本のクモ膜下出血の死亡数が年間に約1万2000人なので、大雑把には子宮頸がんの4倍だが、クモ膜下出血は男性もかかるので分母も2倍、だいたいのところ生涯死亡リスクは子宮頸がんの2倍程度、約150人に一人が死亡といったところか。これは無視できない数字であるが、「三人に一人が亡くなります」という数字と比べるとずいぶんに小さい。リスクを比較するなら同じ指標で行わなければならない。子宮頸がんは生涯死亡リスクの数字を出しておきながらクモ膜下出血は致命率の数字を出すのは不適切である。

なお、online_checker氏は「約一リットルのビール大ジョッキを十分間で飲み切るのは容易い。しかも、大ジョッキ一杯で嘔吐する人なんて見かけない」ことをもって、■生理食塩水1Lを急速に飲むダイエット方法の注意喚起を「科学依存に陥っている」と評価した方だ。(■塩水洗浄(ソルトウォーターバッシング)を擁護するonline_checkerさん - Togetter)。


*1: https://ganjoho.jp/reg_stat/statistics/stat/summary.html

*2:「致死率」とか「致命率」という。甲状腺がんの議論でsivadさんが間違えたやつ

*3:でなければ、クモ膜下出血の生涯死亡リスクが33%ぐらいと考えているか、意図的にミスリードを狙ったか

*4:https://ganjoho.jp/public/cancer/cervix_uteri/print.html

HPVワクチンの問題はトロッコ問題か?

「ワクチンで人が死んではいけない」といった趣旨のツイートがブックマークを集めている。そのいくつかが、HPVワクチンとトロッコ問題の類似性について指摘している。トロッコ問題とは、暴走したトロッコがそのままだと5人ひき殺すことろが、ポイントを切り替えて路線を変えると犠牲者は1人で済むという状況のときに、はたしてポイントを切り替えることは倫理的なのかという思考実験のことである。

確かにHPVワクチンとトロッコ問題は似ている。HPVワクチンを接種すると前がん病変や(おそらく)子宮頸がんを減らせるが、その代わり副作用が生じうる。比較すると利益のほうが害よりも大きいため接種を(国際的には)推奨されている。これは「多数を救うために少数を犠牲にする」トロッコ問題ではないか?しかし、私の考えでは、HPVワクチンとトロッコ問題には重要な違いがある

トロッコ問題ではポイント切り替え前の犠牲者と後の犠牲者は明確に区別できるが、HPVワクチンではそうではない*1。HPVワクチンを接種する前は(場合によっては接種してどれだけ時間が経っても)誰が利益を得られるのか、誰に害が生じるのかはわからない。トロッコ問題の少数の犠牲者はポイント切り替えによって利益を得られる可能性はまったくのゼロであるが、HPVワクチンの副作用被害者はワクチン接種時にはワクチンから利益を得られる可能性があった。

むろん「ポイント切り替え前の犠牲者と後の犠牲者が明確に区別できるかどうか」という点は些細なことであって、本質的にはHPVワクチンはトロッコ問題だという主張もあるだろう。ただ、そう主張する論者は、HPVワクチンだけでなく他のワクチンも、いや、ワクチンに限らずほとんどすべての医療行為はトロッコ問題であると考えなければならない。

そうした論者は、たとえば「手術しないと50%が死ぬ重篤な病気にかかった。手術が原因で死ぬ可能性は1%」という状況は「多数を救うために少数を犠牲にするのを許容できるのか、というトロッコ問題」と考えるはずだ。あるいはもしかしたら、手術は「少数の命は切り捨てる」「命を大事にしているのではなくコスト計算しているだけ」などと言う人もいるかもしれない*2

がん検診はどうか。「無症状の女性1000人を対象に乳がん検診を行うと、1人の乳がん死を減らすことができる一方で、4人の過剰診断と200人の偽陽性が生じる」という状況は、「多数を救うために少数を犠牲にする」どころか「少数を救うために多数を犠牲にする」とすら言える。医療における標準的な考え方では、少数とは言えがん死という重大なアウトカムを減らすためなら、その程度の「副作用」は許容しうる、と考える。利益と害を天秤にかけるわけだが、利益と害を受ける対象が同一であるため一般的にはトロッコ問題とはみなされていない。

医療においてトロッコ問題(私が考える意味において)があるとしたら、たとえばこのようなものだ。「小児(学童)にインフルエンザワクチンを広く接種すると、高齢者のインフルエンザ関連死亡が減る。高齢者の死亡を減らすために小児にインフルエンザワクチンを接種すべきか?」。この場合、ポイント切り替え前の犠牲者(高齢者)と後の犠牲者(小児)は明確に分かれている。倫理的には、原則として、高齢者の死亡を減らすことだけを目的に小児にインフルエンザを接種すべきではない。ワクチン接種の主目的はまずワクチンを受ける人の利益である。幸いというか、現実にはインフルエンザワクチンは小児自身に対しても利益はある。

「自然に起こる病気よりもワクチンの副作用のほうが怖い」と考える人もいるだろう。人為によるリスクを大きくとらえるのは人の心として自然なことである。そういう人はワクチンを受けない自由がある。患者にはどのような医療を受けるのかを選択する権利がある*3。ワクチンについて不正確な情報を流したり、あるいは他人がワクチンを受ける自由を阻害したり(「HPVワクチンを定期接種から外せ」など)したならともかく、ワクチンを受けないという選択自体を他人が批判するべきではない。


*1:HPVワクチンの場合はワクチン接種後の有害事象がワクチンと真に因果関係があるのか不明であるという点、HPVワクチンによって真に利益を受けた人が誰だか特定できない(ワクチンを打たなくても子宮頸がんにならなかったのかワクチンを接種したおかげで子宮頸がんにならなかったのか、個人レベルでは区別できない)といった点もトロッコ問題とは異なるが、今回のエントリーでは取り上げない

*2:URL:http://b.hatena.ne.jp/entry/366249505/comment/ccfva

*3:未成年の場合はどうなのか、という問題は医療ネグレクトにも絡んで複雑なので今回のエントリーでは扱わない。■医療ネグレクトの定義を参照のこと

日本語で書かれた教科書も理解できない大学教員

2017年11月に九州大学馬出キャンパスで行われた「福島小児甲状腺がん多発問題」に関する科学技術社会論学会の自由集会*1に参加させていただいた。集会に先立って、富山大学の林衛氏とやり取りする機会があった*2。林衛氏は、LDLコレステロールが動脈硬化性心疾患の原因であり、スタチンはそれを予防するという標準的な学説に否定的な「論文」を書いておられる*3。その根拠を尋ねてみたのだが、林衛氏は一次文献を読んでいないらしいことが判明した。教科書も読まなかったのかと尋ねたところ、お勧めの教科書を聞かれたので『ハリソン内科学』を勧めた。『ハリソン内科学』は内科学の定番の教科書で原著は英語で書かれているが日本語訳が出ている。結果から言うと、日本語で書かれた教科書でも林衛氏にご理解していただけることはなかった。以下、林衛氏のツイートを引用する。

スタチンの強力な脂質低下作用と多面的作用は,心不全のない患者群において主要な心血管イベントを減少させ生命予後を改善する」という部分は読んでいただけなかったらしい。「心不全の背景疾患としての冠動脈疾患進展の治療にスタチンが必要ならば,使用すべきである」という部分もだ。脂質低下が主な作用であるスタチンが、脂質が関与しない動脈硬化以外(弁膜症や心筋症など)による心不全に効果がなくても不思議ではない*4。『ハリソン内科学』のこの記述は「LDLコレステロールが動脈硬化性心疾患の原因であり、スタチンはそれを予防する」という学説とは矛盾しない。


『ハリソン内科学』におけるスタチンやLDLコレステロールの記述

■ニセ医学に騙されているのに境界線上の事例を検討できようかでも述べたように、少しぐらいコレステロールが高くても心血管リスクが小さい場合、薬を使うべきかどうか微妙な場合もありうる。しかしながら、幼少期からLDLコレステロールが高い家族性コレステロール血症や動脈硬化性心疾患を既に発症した人、糖尿病や慢性腎臓病がある心血管リスクの高い人に対するスタチンの有用性は確立されている。

『ハリソン内科学』において「心筋梗塞の危険因子にアテローム性動脈硬化はあげているが、コレステロールは慎重にはずすようになった」と林衛氏は書いているが誤りである*5。いったいどこを読んで「慎重にはずすようになった」と林衛氏が思い込んだのか不明だ。アテローム性動脈硬化の主要なリスク因子としてLDL高値は記載されているし、冠動脈疾患のリスク因子として脂質異常症は複数のページで触れられているし、もちろん治療の第一選択はスタチンだ。





血漿LDL高値はアテローム性動脈硬化症の主要なリスク因子。『ハリソン内科学第5版』より引用。





脂質異常症の治療が中心となる。『ハリソン内科学第5版』より引用。





LDLコレステロール低下への介入が、総死亡、心筋梗塞、脳卒中といった心血管疾患を明らかに抑制するデータが豊富にある。『ハリソン内科学第5版』より引用。



他にも林衛氏の主張が間違っているところを『ハリソン内科学』から引用できるが、これぐらいにしよう。


林衛氏に科学リテラシーを教える資格があるのか

「教科書に書いてあるから正しい」とは私は主張していないことに注意していただきたい。仮の話として、林衛氏が教科書の記述を正確に理解した上で「標準的な学説ではLDLコレステロールが動脈硬化性心疾患の原因だとされているが、○○という理由で私は反対する」と主張したのであれば、有意義な議論ができたかもしれない。あるいはコレステロールが動脈硬化性心疾患の原因であること、スタチンがそれを予防することを踏まえた上で、どの程度のリスクがあれば薬物療法を開始するべきかという論点で議論ができたかもしれない。しかしながら林衛氏は、そもそも日本語で書かれていても教科書の内容を理解できなかったのである。有意義な議論をするためのスタート地点にすら立てていない。

林衛氏のやり方は、「コレステロールは心疾患の原因ではない。スタチンには効果はない」という結論がまずありきで、その結論に合うように見える部分を探して抜き出すだけである。だから、教科書が書いていないことを読み取ってしまうのだ。林衛氏とやり取りすると、常にこの「言ってもいないことを言ったとされてしまう問題」に悩まされる。本質的な議論に至る前に「そうは書かれていない」「そうは言っていない」というやり取りで終わってしまう。

林衛氏が単なる一人のTwitterユーザーであればいちいちこうしたエントリーを書かない。しかし、林衛氏は富山大学の教員の一人であり、科学コミュニケーションや科学リテラシーの講義を行っているのだ。いったい学生に何を教えているのだろうか。また、科学技術社会論学会年次研究大会ではオーガナイザーを務めている。どの分野にもこうした人はいるが、たとえば近藤誠氏が日本癌学会学術総会において座長を務めるようなことがあった場合、必ず批判が巻き起こるであろう。科学技術社会論の分野ではメンバー間で相互批判は行われないのだろうか。

コレステロールと心血管疾患の因果関係、および、スタチンの臨床における有効性については、多くの研究があり確立された事実であるが、それを理解するには疫学についての知識が必要である。低線量被ばくと甲状腺がんの因果関係、および、甲状腺がん検診の臨床における有効性について理解するためにもまた、疫学の知識が必要だ。教科書にも載るような基礎的な事例すらろくに理解する能力のない人が福島県の事例を果たして理解できるだろうか。


*1:https://www.facebook.com/events/135058797059461/

*2:私が何度も「私と林衛さんとのやり取りの部分だけでもメールを公開してもよろしいでしょうか」と要望するも林衛氏の同意が得られないため公開できない

*3:■コレステロール大論争で科学リテラシーを学ぼう

*4:細かいことを言えば、スタチンの多面的作用が虚血を伴わない心不全にも有効かもしれないという議論はある。『ハリソン内科学』の記述はそうした議論を踏まえている

*5:https://twitter.com/SciCom_hayashi/status/929358778834628608