NATROMのブログ

ニセ医学への注意喚起を中心に内科医が医療情報を発信します。

何も悪いことをしていなくても人々は病気になる

がんを治すことが証明された食事療法は、現時点では存在しない。がんになりにくい食事ならある程度はわかっていて、がんの患者さんについても、基本的にはそうした健康的な食事が推奨されている。詳しくは



■がん体験者の栄養と運動のガイドライン:[国立がん研究センター がん情報サービス 一般の方へ]



を参照して欲しい。なにも特別なことはない。「健康的な体重へ減量し、その体重を維持しましょう」「野菜、果物、全粒穀物を多く含む食事パターンにしましょう」といったものだ。食べてはいけないものはない。当たり前だが、健康的な食事をしていてもがんになるときはなる。ましてや、がんを治す効果はない。

何度も書いてきたが、がんに対する厳格な食事療法は、効果が不明確なわりに副作用が大きい。単純に栄養の偏り(野菜ジュースを大量に飲むためほかの食事が摂取できない、など)が体力を落とす以外にも、自分の好きなものを食べられない、というのは生活の質を確実に落とす。また、患者さん自身が自分で積極的に選んで行っているならともかく、本人が消極的で家族が熱心な場合は家庭不和の原因になりかねない。

しかし、がんの食事療法は健康本では人気である。実際の臨床の現場においても、「好きなものを食べてもよい」という説明に十分にご納得いただけないことがある。なぜか。推測だが、「がんになったのは何か根本的な原因があるはずだ。毎日の食事こそが、がんの根本的な原因ではないか」という思考が働いているのではないか。食事療法を推す健康本でも似たようなことがよく書かれている。

「がんといった重大な災難には、それにふさわしい原因があるはずだ」という感情は自然なものだ。おそらく、人類が進化してきた過程において、災難に原因があったとする心理は生存に有利に働いてきただろう。腹痛や下痢で死にそうになったとき、その前に食べたものを原因だと断定して次から避けるほうがいい。必ずしも正しい因果関係に基づかなくてもよい。腹痛の原因をまったく気にしなかったり、あるいは腹痛の原因候補の食品を食べる実験を繰り返して真の因果関係を追及したりするライバルよりも平均して生存に有利なら、腹痛の原因を直感的に断定する心理が進化する。

しかし、がんをはじめとした病気には原因を特定できないこともある。むしろ、そうしたケースのほうが多い。もちろん、肺がんと喫煙、肝臓がんと肝炎ウイルス感染のように、集団においては原因を特定できる場合もあるが、それにしたって「同じようにタバコを吸っていて肺がんにならない人はたくさんいるのにいったいなぜ私が肺がんになったのか」という疑問には答えられない。個々のケースではやはり原因は特定できないのだ。病気になる確率を減らすことはできるが、病気を確実に避ける方法はない。人が病気になるのは、何か悪いことをした報いではない。強いて言えば、運が悪い。

インフルエンザの治療薬であるタミフルと異常行動の関係が疑われたのは10年以上前だ。調査は続けられたが現在になってもタミフルが異常行動のリスクを増やすという証拠は見つかっていない。異常行動を起こした結果亡くなった子どもの親たちがタミフルが原因なのではないかと疑うのは当然のことであるが、インフルエンザだけでも異常行動が起きうるという当時から知られていた医学的事実を無視して、薬害だと主張するごく一部の専門家もいた。「死亡につながる異常行動といった重大な災難には、それにふさわしい原因があるはずだ。インフルエンザだけで異常行動が起きるはずがない」という直感が影響したのではないかと私には思われる。

生活習慣が原因だとされている糖尿病や脂質異常症も似たような側面がある。肥満は糖尿病のリスク因子だが、肥満していても糖尿病にならない人もいれば、肥満していなくても糖尿病になる人もいる。肥満そのものも、本人の意志だけではなく、環境要因や遺伝要因の影響を強く受ける。病気の原因は複雑であって、「不摂生のために病気になった」と単純に断定するのは誤りだ。「生活習慣病」という呼び方には功罪ある。疾患のリスクを周知するという「功」がある一方で、病気になったのは本人の努力不足だとする誤解を招きやすいという「罪」がある。そろそろ生活習慣病という呼び方は止めたほうがいい。

病気の原因は必ずしも特定できないこと、単に運が悪いとしか言いようのない不幸は一定の確率で起こることが周知されますように。