NATROMのブログ

ニセ医学への注意喚起を中心に内科医が医療情報を発信します。

リキッドバイオプシーの商業化の問題点

『「血液一滴」あるいは「尿一滴」で、がんを早期発見!』という話は以前からたくさんあるが、なかなか実用化されない。こうした、少量の体液からがんを診断する技術を「リキッドバイオプシー」と呼ぶ。現時点では、一定の精度でがんを診断できるリキッドバイオプシーは複数あるが、がん検診に有効であると証明されたものは一つも存在しない。がん検診に応用するには、がん死亡率を低下させることが示されなければならず、これがハードルが高いからだ。

ある検査ががんを診断する能力を検証するのはどうすればいいだろうか。よくあるのが、すでにがんと診断された人にその検査をして、どれぐらいの割合で陽性になるのかを調べることだ。また、がんではない人を正しくがんではないと診断する能力も必要なので、健康な人にもその検査を行って正しく陰性になる割合を調べる。それぞれ数十人ずつ調べればだいたいのところはわかる。研究に参加した時点で診断はついているので、観察期間も不要だ。なんなら、過去にがんと診断された患者の保存した検体を使うこともできる。

一方で、がん死亡率低下を検証するのはハードルが急に高くなる。症状のない人を検査を受ける介入群と検査を受けない対照群に、できればランダムに振り分けて、がん死亡が起きるかどうか長期間観察しなければならない。数十人ではまったく話にならない。がん死亡はめったに起きないイベントだ。日本人では、すべてのがんで10万人あたり年間に数百人ぐらいである。100人を10年間追跡調査したとしてやっと数人ぐらい。統計学的有意差を出すためには非常に多くの人を対象にした研究が必要だ。実際、がん検診の臨床試験の参加者が数万人というのは普通にあり、なかには10万人を超えるものもある。

とにかくコストがかかるので、いきなりランダム化比較試験をやれ、というのは非現実的だ。まずは比較的コストがかからない研究から積み上げていくのは当然である。その過程で、まずは安定した精度で安価に結果を得る技術を開発するというのもわかる。リキッドバイオプシーは低侵襲でがんを診断できる有用な技術であってけっしてトンデモではない。ただ、がん死亡率の低下が示されていない段階で、検診を目的に有償で広く検査を提供するのには慎重さが必要だと考える。研究開発にはお金がかかるので、どこかの時点で収益を上げないといけない事情はあるのだろう。

どこかで似たような話があったなあ、と思ったが、思い出した。漫画の『ラーメン発見伝』であった。登場人物の一人である芹沢は、鮎の煮干しを用いた淡口ラーメンを「一握りの味のわかるお客サン」に安価に提供するために、繊細な鮎の香りが吹っ飛んだ濃口ラーメンを「頭に舌のついたボンクラとした言いようがない連中」に売っている。他の客は、芹沢が理想と考えるラーメンの「製造経費を運んでくる働きバチ」なのだ。

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他の客は働きバチみたいなもん

ランダム化比較試験の経費を稼ぐため有償で検査を提供するのはありなのだろうか。ラーメンなら、味のわからない客でもうまいと感じればそれはそれでいいのだろうが、医療の分野、とくに検診ではそういうわけにはいかない。すべての検診には害がある。公的に推奨されているがん検診にも害はあるが、がん死亡率の減少という利益が害を上回るから容認されているのであって、未検証のがん検診は害だけあって利益がほとんどない、ということもありうる。

がん検診の害や利益はわかりにくく、害よりも利益を誤って大きく感じるバイアスがある。偽陽性は検診の害の一つだが、それだけではない。がんを早期発見し、治療を行い、がんで死ななければ検診のおかげと考えてしまうが、一生症状の出なかったはずのがんや、あるいは症状が出てから治療しても間に合うがんを検診のせいで見つけてしまったかもしれない。というかむしろ、検診で発見されたがん患者の多くはそうしたもので、検診から利益が得られる患者のほうが少ない(参考:■検診で乳がんが発見された人が100人いたとして )。

がん検診の有効性を証明するには時間もお金もかかる一方で、「味のわからない客」にがん検診が有効だと思わせるのは容易だ。「低侵襲低コスト」「複数の種類のがんを同時に発見可能」「検査の精度は○○%」。いずれの情報もがん検診の有効性を証明することにはならない。

安きに流れることなく、未検証の状態で無症状の人に検査を提供するときには、検査に伴う不利益についても十分な情報提供をお願いしたい。