NATROMのブログ

ニセ医学への注意喚起を中心に内科医が医療情報を発信します。

言ってもいないことを言ったとされてしまう問題について

誤読等によって、相手が言ってもいないことを言ったかのように誤解することは誰にもあります。しかし、その頻度が異常に高い場合には、意図的に相手の主張を捻じ曲げているとか、相手の言っていることを正確に理解する能力に欠けているとか、何らかの問題の存在が示唆されます。どちらにせよ、言ってもいないことを言ったとしてしまうことが多い論者について、具体的な事例を記録しておくことは無駄ではないでしょう。

2021年になっても林衛氏は過剰診断の定義を理解していない。

これは何度も言ったはずなのに言っていないことにされている例である。がん検診において過剰診断とは「治療しなくても症状を起こしたり、死亡の原因になったりしない病気を診断すること」と定義されるのが通例である( Welch and Black, Overdiagnosis in cancer., J Natl Cancer Inst. 2010 May 5;102(9):605-13 )。過剰診断という言葉は別の意味で使用されることがあるので、過剰診断の定義については私は何度も述べてきた。

しかし、2021年のツイートで林衛氏が過剰診断の定義を理解していなかったことが判明した。これまでの議論をよく知らない、医学の分野に不案内の方が誤解するのは仕方がない。しかし、これまで何年も過剰診断について議論(のようなもの)をしてきたはずの、国立大学で科学リテラシーを教えている人物が、過剰診断の定義について理解していなかったのはさすがに驚きである。

まず、林衛氏は「NATROMさんにからは林は理解できなかったとの評価をいただいておりますが,たしかに理解困難な指摘がいろいろありました。(中略)過剰診断の定義も不明でした」と述べた*1。私がWelchの過剰診断の定義を採用すると何度も述べているにも関わらずだ。林衛氏はWelchらの文献を読んでもいないだろうし、仮に読んでいたとして内容を理解する能力がない。

「ひどい症状がでて治療しても生命予後が改善しないような症例」は定義上、過剰診断ではないことは明らかだ。ちなみに生命予後が改善する症例も、症状が出ている以上、過剰診断ではない。さらに、過剰診断がまったくなくても有効ではないがん検診も(論理的には)ありうるし、逆に過剰診断があっても有効ながん検診もありうる(現実の有効ながん検診はみなそう)。林衛氏はがん検診の有効性と過剰診断の話を混同している。

がん検診の有効性と過剰診断の混同もよくある誤解ではあるが、甲状腺がん検診の議論に参加するのであれば、こうした混同が誤解であることを理解していなければならない。林衛氏は議論に参加するスタートラインにも立てていない。よりひどいのは、自分がスタートラインに立てていないことすらも理解していないことだ。

ツイッターやメールやブログのコメント欄でのやり取りで、膨大な時間を使って林衛氏とやり取りしてきた。にも関わらず、林衛氏は議論の基本であるところの過剰診断の定義ですら理解していなかったのだ。「底の抜けたバケツに水を注いでいるようだ」と言った私の気持ちをご理解いただけるだろうか。


その強烈なバイアスの原因も,スポンサーへの配慮だったとなとろむさんはご存知なのですね

知らないから聞いている。ついでに言うなら『スタチン以前の観察研究にスポンサーへの配慮なんかあるわけないだろ。あるというならどんな「スポンサー」に配慮しているというんだよ、言ってみろ』とこちらは主張しているのだ。日本語が通じない。


なとろむさんはあくまで死亡率でみるべきとのことのようですね

がん検診のアウトカムは、通常はがん死で評価される。重大かつ客観的かつ差を検出しやすいからである。重大かつ客観的に差を評価できるのなら、別にがん死以外の指標で測定してもよい。とくに、福島県の甲状腺がん検診の文脈では、「過剰診断論者は死亡率だけに注目してQOLを無視している」という的外れな批判があるからして、わざわざ「がんによる有害なアウトカム(通常はがん死)」と書いた*2。通常はがん死で評価するが、それ以外の有害なアウトカムで評価してもかまわないという意味である。「あくまで死亡率でみるべき」という主張とは真逆である。林衛氏ががん検診の疫学を理解できないのは仕方がないが、「なとろむさんは〜とのことのようですね」といった推測はやめていただきたい。


過剰診断回避できるとする甲状腺ガイドラインには反対ということですね

この短いツイートに「言ってもいないことを言った」が2点も盛り込まれている。ここまでくると芸術的だとすら言える。「過剰診断回避できるとする甲状腺ガイドライン」と林衛氏は述べているが、ガイドラインでは「過剰診断回避できる」とはしていない。もちろん、私もガイドラインには反対していない。


shunさんは、甲状腺がんガイドラインそのものが、過剰診断の原因だとお考えのようですね(2017年4月27日追加)

私自身の発言ではないが、あまりにもひどいので「言ってもいないことと言ったとされてしまうリスト」に追加する。

shunさんは、「ガイドラインに従って手術するべきかどうかを決定しても、一定の割合で過剰診断、つまり治療しなくても臨床症状を引き起こしたり死亡の原因となったりしないものが手術例に含まれてしまう*3」と主張している。過剰診断ではない症例のみ手術できれば理想的だが、現在の技術では、ある症例が過剰診断かそうでないかを区別できない。ガイドラインに従っても過剰診断が生じるのは考えればごく当たり前のことであるが、がん検診の疫学に慣れていないとよくわからない人もいるようである。この点を理解できなければ、まずはがん検診の疫学について学ぶところからはじめたほうがいい。甲状腺がん検診だけでなく、がん死を減らすことが証明されている他のがん検診にも、過剰診断は一定の割合で生じる。順序だてて勉強すればきっと理解できるであろう。

林衛氏はshunさんの発言の意味するところを理解できず、「shunさんは、甲状腺がんガイドラインそのものが、過剰診断の原因だとお考えのようですね」とツイートした。林衛氏がそう考えるのは自由である(間違っているがそれは仕方ない)。しかし、「shunさんは〜とお考えのようです」と林衛氏は言うべきではない。相手の意見を勝手に変えてはいけない。


ガイドライン本体に目を通すことなく,匿名医師として語っているのですね

「福島県の小児の被ばく量で甲状腺がん検診が正当化されているガイドラインはありますか?それとも、どんなに少量の被曝でも検診すべきとお考えですか?」と私が質問したところ*4、林衛氏は「・国連科学委員会のレポートでは,日本とチェルノブイリ被災三国とで被曝量は重なっています。/・チェルノブイリでも低線量での発症が全体の半数/ですよね。ガイドラインでは,検診推奨です。」と返答した*5。私の知るかぎりでは福島県の小児の被ばく量で甲状腺がん検診が正当化されているガイドラインは存在しないので、「「ガイドラインでは,検診推奨」とありますが、そのガイドラインの該当部分を引用してください」と要請したところ、当初は林衛氏は答えなかった。何度かの要請後に、ガイドラインの該当部分を引用することをせずに、「ガイドライン本体に目を通すことなく,匿名医師として語っているのですね」と林衛氏は答えた。

林衛氏は、「ガイドラインでは,検診推奨です」と自分で述べたのにも関わらず、該当部分を引用できず、あまつさえ、相手がガイドラインに目を通していないと決めつけたわけである。議論を行う上できわめて不誠実である。福島県の小児の被ばく量で甲状腺がん検診が正当化されてるガイドラインは存在しないと私は考える。


大人の甲状腺がんの知見×マスメディアからの情報=蓋然性が高い,というのがご説明でした

私が、小児甲状腺がん検診の有効性が乏しいと考える理由として挙げたのは、小さい絶対リスク、良好な予後、成人の甲状腺がん検診の知見を含めたがん検診一般の知見であって、「マスメディアからの情報」は一切含まれていない。


スタチンでコレステロール下げるばかりでは有効だとは必ずしもいえない

心疾患のリスクにはコレステロール以外にも喫煙や高血圧があるからといって、「コレステロールに対する介入が有効だとは必ずしも言えない」という理解は誤りである。肺がんのリスクには喫煙以外にも遺伝やラドン、加齢があるが、かといって、喫煙しないことが有効でないとは言えないのと同様である。スタチンの有効性は質の高い介入試験で証明されている。「コレステロール以外にも介入をすべきだ」という意味なら正しいが、すでに介入されている。


これ以外には根拠はないということですね

140字という制限があり、かつ、相手ががん疫学の基本を理解していないという状況では、網羅的にすべての根拠を挙げることは不可能である。にもかかわらず、「これ以外にはないということですね」などと決めつける態度は不誠実である。


専門医や市民科学者国際会議参加の医師らと見解がちがうのですね

林衛氏の脳内の「専門医や市民科学者国際会議参加の医師ら」とは見解が違うかもしれない。検診介入の有効性は絶対リスクに影響を受ける。30歳代の乳がん検診を勧めている専門家は存在しないが、その理由の一つは30歳代の乳がんの絶対リスクが小さいため、検診のメリットがデメリットを上回らないからである。がん検診の有効性が証明されている集団におけるがんの絶対リスクと比較して、小児甲状腺がんの絶対リスクはきわめて小さい。被曝で多発していたとしてもである。このことに異論を唱える専門家は存在しない。また、「適切な治療がされ初めて予後がよい」というのは、検診で早期発見した場合に限らない。臨床的に発見されてからでも適切な治療を行えば予後が良い。別に適切な治療が不要だと主張しているわけではない。「検診を行うこと」と「適切な治療を行うこと」の区別が林衛氏にはついていないのかもしれない。なお、治療法が進歩して予後が良くなると相対的に検診の有用性が落ちる。化学療法が進歩し、乳がんの予後が良くなると、乳がん検診の有効性が落ちた。


検診が有効か無効かを決めるのはエビデンス度の高いケースコントロールスタディだという

症例対照研究(ケースコントロールスタディ)は、エビデンスレベルは高くない。とくにがん検診ではレングスバイアスや自己選択バイアスの補正が困難である。そもそも、直前に「ランダム化比較試験における死亡率の低下のみが検診の利益のエビデンスだ」とされている理由をご自分の言葉で説明できるのか、と私は尋ねているのだ*6。私が症例対照研究について述べたのは、甲状腺がん検診の有効性を検証したランダム化比較試験がないのはわかりきっているので、せめてエビデンスレベルが低い症例対照研究はないのか、という文脈においてである。林衛氏は、エビデンスレベルについてのごく基本すら理解していないか、または、わかっていながら意図的に相手の主張を捻じ曲げているかである。今回は前者であると思う。


なとろむさんもありえるとする「でたり消えたり説」による2巡目の多発だ

福島県の甲状腺がん検診による2巡目の多発は「でたり消えたり説」でなくても説明がつく、と明確に述べた。「あってもおかしくない」とは、たくさんある甲状腺がんの中の「出たり消えたり」するものが一部含まれていてもおかしくはないという意味であり、「多発」の説明についてではないことを、林衛氏はご理解できていない。


転移や浸潤が生じている手術が必要ながんでも、手術そのものが過剰だといえるとおっしゃりたいのですね

「手術そのものが過剰だ」とは主張していない。手術が適切であっても過剰診断が生じることは、過剰診断の議論において基本的な事項である。林衛氏が「手術そのものが過剰だといえる」と信じる分はかまわないが、私の意見を勝手に代弁したいでいただきたい。


過剰診断論にしがみつくための便法に,なとろむさんは倫理的問題を感じていらっしゃるということですね

「倫理的問題を感じている」というようなことはまったく私は主張していない。「でたり消えたり説」はなくても福島県の現状を説明できると私は考えているが、別にあってもおかしくはない。林衛氏は「私は倫理的問題を感じている」と主張するならよいが、勝手に私の意見を捏造するのはやめていただきたい。自分の意見と相手の意見の区別がついていないのだろうか。



常石さんの考察には,反対のようですね

私は、「常石さんの考察」には、反対も賛成もしていない。NiKeさんも常石さんの考察については言及してない(そもそも「常石さんの考察」がどのようなものか紹介もされていない)。にも関わらず、「常石さんの考察には,反対のようですね」などと言われる理由がわからない。


職場や学校では無用で危険なのですね

「それ以外は職場や学校では無用で危険」とは、私も言っていないし、国立がんセンターのスライドにもない。おそらく林衛氏の独自見解だと思われる。独自見解を述べるのは構わないが、独自見解であると明確にわかるようにお願いしたい。


いま学校や職場でやっているX線間接撮影が役に立っているというエビデンスをご存知だということのようですね

確かに私はX線間接撮影が役に立っているというエビデンスを知っているが、よしんば仮に私がそのエビデンスを全く知らないと仮定しても、「役に立たない間接撮影を続けている」という林衛氏による主張に対して「エビデンスはあるのか?」と尋ねることはありうる。林衛氏はAだと主張し、その主張に対して「Aのエビデンスはあるのか」と質問されたところ、Aのエビデンスを提示するでもなく、「それならAではないというエビデンスをご存知のようですね」と返事したわけである。典型的な立証責任の転嫁である。



肺がん検診有効は痰の検査とあわせた場合だけ

国立がんセンターのスライドでは、非喫煙者への胸部X線検査による肺がん検診は推奨されている(推奨B)。「痰の検査とあわせた場合だけ」というのは、高危険度(喫煙者)が対象の場合である。



コクランレビューに「一次予防のためのスタチン投与が効果的だという証拠は限定的」と述べられている




林衛、メディカルバイオ 8(2), 73-78, 2011-03 、コレステロール大論争--「動脈硬化学会VS脂質栄養学会」論点の腑分け より引用

原著論文にあたったが、「一次予防のためのスタチン投与が効果的だという証拠は限定的」というような記述はない。典型的な不適切引用である。林衛氏に、「一次予防のためのスタチン投与が効果的だという証拠は限定的」という主張をコクラン2011のどこから読み取ったか、原文を引用するなりして示せ、と再三要求したが、なかなか答えていただけなかった。

「日本では心疾患は元々少ないから一次予防効果は「限定的」でよいのではないか」とか(そうかもしれないがコクランに書いてあったのか?)、「私は「限定的な証拠」だととらえました」とか(そうかもしれないがコクランに書いてあったのか?)、「主にハイリスクグループを対象にした(利益相反も大きい)解析のレビューの結果から,日本の基準値の低い女性に広くまで投与推奨しているガイドラインのとおりでよいとと,NATROMさんはお考えだということですか」とか(私がどう考えていようがまずはコクランにそう書いてあったのかという質問に答えるべき)、「日本のガイドラインで推奨されている,低リスク,低コレステロールの人たちへのスタチン投与が「効くのか」こそが,大事な論点なのではないでしょうか」(それも大事な論点だがコクランにそう書いてあったのかという質問に答えろ)とか。

コクランに書いていないことを「引用」してしまうミスはともかく*7、原著にあたった人から原文のどこにあたるのか質問された時点でミスに気付き、「私の見解だった。コクランにはそう書いていない」などと撤回するのが当たり前である。議論を行う上で林衛氏はたいへん不誠実だった。


外部リンク

■林さんとクラーク提案 - Togetterまとめ 林衛さんは、私との議論以外でも、「言ってもいないことを言った」と批判されている。「英語のもので結構ですので原典を教えていただけると、ありがたいです」「クラーク委員長が「防護の権利」を認めてる、というのも、記述がないのですが、原典は、どちらでしょうか?」「原典を聞いてるのですが、クラーク氏は具体的には、何と書いたのですか?」と何度も尋ねられても、林衛氏は 原典を提示することはできなかった。

*1: https://twitter.com/SciCom_hayashi/status/1410044826205097986 , https://twitter.com/SciCom_hayashi/status/1410044826205097986

*2:https://twitter.com/NATROM/status/877311214396727296

*3:2018年5月8日、石ころさんのご指摘を受け訂正した。コメント欄を参照。

*4:https://twitter.com/NATROM/status/818816883654696961

*5:https://twitter.com/SciCom_hayashi/status/818819677728083970

*6:https://twitter.com/NATROM/status/785419925049384961

*7:素人ならまだしも、コレステロール論争についてものを書こうかって科学リテラシーの「専門家」がそのようなミスを犯し、そのミスを見過ごす『メディカルバイオ』の編集部もどうかとは思うが、それはともかく