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乳がん検診の利益とリスクを図で説明してみる

がん検診には利益と不利益がある。利益は早期発見・早期治療によって、がんによる死亡や進行が減ることである。不利益は偽陽性や過剰診断などである*1。偽陽性は、実際にはがんではないのに「がんの疑いがある」と診断されることで、過剰診断は、将来死亡や症状を引き起こさないがんを診断されることである。偽陽性と過剰診断は異なる概念である。詳しくは■「過剰診断」とは何かで解説した。
偽陽性は、精密検査でがんでないと診断されるので、がんの治療まではなされない。しかしながら、余分な検査や精神的な不安を招く。過剰診断は、たいていはがんの治療を受けることになるので、不利益はさらに大きい。
あらゆる医療と同じく、がん検診を受けるべきかは、利益と不利益のバランスによって決まる。個人の価値観や個人的なリスク(家族歴など)にも左右されるが、平均的なリスクを持つ人たちに対するがん検診については、公的機関がガイドラインを発表している。現時点において、大腸がん検診と子宮頸がん検診は多くの国で推奨されている。胃がん検診と肺がん検診は日本では推奨されているが、諸外国ではそうでもない。甲状腺がん検診を推奨している国は一つもない。
乳がん検診は議論の的である。日本では40歳以上の女性が対象とされている。米国予防医学専門委員会(USPSTF)は50歳以上、米国がん協会(ACS)は45歳以上*2、米国産婦人科学会(ACOG)は40歳以上を乳がん検診の対象としている*3。傾向としては乳がん検診対象者の年齢は引き上げられてきている。言い換えれば、検診対象者の範囲は狭くなっている。がん検診の不利益について広く認識されるようになったことが理由の一つだろう。
乳がん検診の利益は、つまり乳がん検診が乳がん死を減らすことは、ほぼ確かである。「ほぼ」というのは、時代や国や検診対象者の範囲によって結果が変わりうるからである。乳がん検診に不利益があるのはきわめて確かである。問題は利益と不利益のバランスである。50歳以上では利益が勝る、39歳以下では不利益が勝る、40歳台は専門家の間でも議論がある、と考えておけばだいたいよろしい。
では、乳がん検診の利益と不利益は具体的にどれくらいか、みなさんご存知だろうか。たとえば、乳がん検診によってどれぐらい乳がん死を減らすことができるか?一人の乳がん死を減らすために何人の偽陽性や過剰診断が生じるのか?読者の中には、がん検診を受けた方もいらっしゃるだろう。そのとき、不利益についての説明を受けただろうか?たぶん、あまり説明されていないであろう。がんの治療をするときには、5年生存率はどれくらいで、合併症が生じる確率は何%か、ということはしばしば説明されるようになったのに。具体的な確率まで説明されないとしても、不利益について説明しないことはほぼありえない。がん検診についても、きちんとしたインフォームド・コンセントが必要だろう、という論調になりつつある。
その一環として、カナダ予防医療対策委員会(CTFPHC)が、一般向けに、乳がん検診の利益とリスクを説明した図を公開しているので紹介する。これはカナダ人に対するもので日本人集団には当てはまらない可能性があるのでご注意のこと。しかし、がん検診の利益と不利益についての「相場観」を知るには役に立つだろう。以下は、50歳から69歳までの女性(つまり多くの公的機関も検診を推奨している集団)に対して11年の間マンモグラフィーによる検診を2年に1回行って、一人の乳がん死を減らすために、何人が検診を受ける必要があるのか。何人が偽陽性とされ、何人が針生検を受け、何人が過剰診断されるのかを表している。






マンモグラフィーによる検診の利益とリスク(カナダ予防医療対策委員会)



円一つが女性一人を表す。マンモグラフィーでがんの疑いがあるとされ追加の画像検査を受けた人(偽陽性)は204人、生検を受けて癌ではなかった人は26人、紫丸が不必要ながん治療を受けた人(過剰診断)で4人、茶丸が検診によって乳がん死をまぬがれた人で1人である。この1人の乳がん死を減らすために720人が乳がん検診を受ける必要があるわけだ。
ちなみに、図示されていないが、検診を受けても乳がんで死亡する人は720人中約3.7人である。検診による相対リスク減少は21%、相対リスク比は79%である。検診によってがん死を2割減らすことができるとも言えるし、検診を受けても(検診なしでがんで死ぬはずだった人の)8割はがんで死ぬとも言える。
いかがだったろうか。もちろん、研究によってこれらの数字は変わるが、「相場観」としてはだいたいこんなものである。乳がん検診はがん死を半分にも減らせないし、予防できるがん死よりも多くの過剰診断を引き起こすし(この例では4倍)、偽陽性はさらにたくさん起こる。カナダ予防医療対策委員会や他の公的機関は、これぐらいの不利益は許容範囲内だと考えているわけである。
稀に誤解している人がいるが、誤診や不適切な治療が過剰診断を生み出すのではない。微小ながんまで見つけて治療するから過剰診断が起こるわけではない。検診で発見されたがんは、診断時点で過剰診断かそうでないか判断する方法はない。ガイドラインを遵守しても、治療対象に過剰診断されたがんが含まれてしまうのだ。過剰診断を恐れて治療を手加減したら、今度は助かるはずのがんを治療しないことにつながる。
また、私には不思議でならないのは、ワクチンについては「健康な人へ接種するのだから高い安全性が必要だ」などと言って、ワクチンとの因果関係が必ずしも明らかでない有害事象も問題視する人が、同じく健康な人が対象のがん検診の不利益については、因果関係が明確であってもあまり問題視しないことである。患者のQOLや後遺症を無視しているのだろうか。
今後、乳がん検診の推奨基準は変更される可能性がある。とくにカナダでは。2014年にカナダから「40歳から59歳の女性に対するマンモグラフィーによる乳がん検診は、通常の胸部診察と比較して、乳がん死を減らさない」という研究が発表された*4。「ギリギリで有意差が出なかった」とかではなく、ほとんど差がなかった。ハザード比で0.99、95%信頼区間は0.88から1.12であった。この研究のみで乳がん検診の推奨が取り消されるとは限らないが、次のガイドラインの改定では、より弱い、より範囲の狭まった推奨になるだろう。