NATROMのブログ

ニセ医学への注意喚起を中心に内科医が医療情報を発信します。

マクガバン・レポートから考えた日本の食生活

皆様はマクガバン・レポート(マクガバン報告)をご存知だろうか。マクガバンレポートで検索してみると、いろいろ怪しげなサイトが引っかかってくる。典型的なのは、こんなの。


■なぜ昔、日本人はタンパク質をあんまり摂ってなかったのに死ななかったんですか?*1(Yahoo!知恵袋)


マクガバンレポートを知ってますか。アメリカ上院議員のマクガバン氏がその議員生命をかけて取り組んだレポートです。アメリカ人の生活習慣病(癌、白血病、動脈硬化、糖尿病その他)はもうひどいもので医療費は国政を圧迫していました。数年の歳月を費やし原因を追及した報告書をマクガバン氏の名前でマクガバンレポートといいます。結果は肉食中心の食生活をあらためることでした。理想的には日本の江戸時代の食生活がよいとレポートには書かれています。日本人がいまのように1億総半病人のようになってしまったのは、タンパク質中心主義が原因です。江戸時代の日本人はほとんど病気もせず天寿をまっとうしていました。江戸時代の日本人は医者いらずだったのです。これからの日本はインフルエンザの凶暴化、アレルギーアトピー大国、癌大国、糖尿病大国そのほか生活習慣病で医療費はいくらあってもたりなくなるでしょう。そこらじゅう癌患者だらけになります。すべてタンパク質礼讃主義が招いたものです。インフルエンザの凶暴化はタンパク質重要主義と関係があります。乳癌卵巣癌子宮癌大腸癌もタンパク質重要主義と関係があります


いかにもマクロビ系の人が好きそうな主張だよね。他に、「アメリカ合衆国はマクガバンレポートによって癌が減少したが、日本では取り組みが遅れている」「最も理想的な食事は元禄時代以前の伝統的な日本人の食事であることが明記されている」「食養生(マクロビオテック)を広めた久司道夫の働きかけが背景にあった」などとも主張されている。理想的な食事については、「元禄時代以前」ではなく、「1960年頃の日本人の食事」とされていることもある。なんだかとってもトンデモくさいけど、「幻影随想」の黒影さんが、米国保険福祉省のサイトにマクガバンレポートについての記述があることを指摘している。



■マクガバン・レポートとは(幻影随想)


結局のところマクガバン・レポートとは何かと問われれば、アメリカの食生活ガイドラインのプロトタイプだ、という答えになる。
以下、米国保険福祉省のサイトの記述。
2005 DGAC report - Part G. Appendices, Sect. 5. Brief History of Dietary Guidelines


In early 1977, after years of discussion, scientific review, and debate, the Senate Select Committee on Nutrition and Human Needs, led by Senator George McGovern, recommended Dietary Goals for the American people. The Committee recommended that the American diet.
・Increase carbohydrate intake to 55 to 60 percent of calories
・Decrease dietary fat intake to no more than 30 percent of calories, with a reduction in intake of saturated fat, and recommended approximately equivalent distributions among saturated, polyunsaturated, and monounsaturated fats to meet the 30 percent target
・Decrease cholesterol intake to 300 mg per day
・Decrease sugar intake to 15 percent of calories
・Decrease salt intake to 3 g per day

1977年前半に、何年もの議論、科学的評価および討論を経て、上院議員ジョージ・マクガバン率いる栄養学と人間の基本的要求に関する上院特別委員会は、アメリカ人のための食生活の目標を勧告した。委員会は、以下の内容をアメリカ人の食生活として推奨する。
・炭水化物摂取量を、総摂取カロリーの55〜60%に増やす
・脂肪の摂取量を、総摂取カロリーの30%未満に減らし、中性脂肪の摂取も減らす。そして飽和脂肪酸、単価不飽和脂肪酸、多価不飽和脂肪酸をほぼ同量ずつ、30%程度を目安に均等に摂取する事を推奨する。
・コレステロール摂取量を、一日300mgまで減らす。
・砂糖の摂取量を、総摂取カロリーの15%まで減らす。
・塩分の摂取量を、一日3gに減らす。


わりとまともな内容じゃないか。正式名称は"Dietary Goals for the United States"で、「マクガバン・レポート」というのは俗称/通称であるようだ。私が調べた限りにおいて、公的なサイトで、マクガバンレポートに「日本の江戸時代の食生活がよい」などと書かれているという記載はなかった。マクガバン・レポートで推奨されている食事と、現代日本の食事を比較してみよう。まず、炭水化物摂取量と脂質の摂取量から。





エネルギー摂取の栄養素別構成割合*2


2003年の日本の炭水化物*3の総摂取カロリー比は60%。脂肪は25%。マクガバン・レポートで推奨された通り。1950年の日本では炭水化物が多すぎる。日本の米の消費量は1960年ごろが一番多いので、一部で主張されている「マクガバン・レポートで1960年頃の日本人の食事が理想的とされた」という主張は矛盾している。飽和脂肪酸/単価不飽和脂肪酸/多価不飽和脂肪酸の摂取割合の推移についてのデータは発見できなかったが、日本の食事には飽和脂肪酸量が少なく、多価不飽和脂肪酸量が多いことは、日本で虚血性心疾患の死亡率が低い理由としてよく挙げられていることからも分かるように、現在の日本の平均的な食事における脂肪酸の質は悪くない*4。次に、コレステロール摂取量。





日本人のコレステロール摂取量*5


1970年台から、300mg/日を若干超えて、現在はだいたい350mg/日ぐらい。マクガバン・レポートの基準で言えば、コレステロールはやや過剰摂取である。ちなみに米国保健省NCHSによる調査による米国健康栄養調査(National Health and Nutrition Examination Survey: NHANES 1999〜2004)によると、米国におけるコレステロール摂取量は、男性307mg/日、女性225mg/日だそうだ。これは意外。なお、「日本人の食事摂取基準(2005年版)」では、日本人のコレステロールの食事摂取基準は、成年男性で750mg/日未満、女性で600mg/日未満とされており、現在の基準では平均として日本人のコレステロール摂取量は多くない。

次は砂糖の摂取量。吉田(2007)には、「(1977年の)アメリカは糖質の中で砂糖の占める割合がすごく高いのです。日本では糖質の依存度が60%ですが、このうち90%は穀物に由来するデンプンであり、砂糖の割合は少ないのです」との記載がある*6。とすると、日本では砂糖の摂取量は総摂取カロリーの6%以下となり、「総摂取カロリーの15%まで減らす」という基準は楽々クリアだ

塩分については、一日3gというのは非常に厳しい。病院食でそれぐらいの厳しい塩分制限を行うときがあるが、味気なくてとても食べれたものじゃないそうだ。最近の欧米での指針では6g以内、日本での「健康日本21」では10g未満を目標としている。日本でも高血圧患者は1日6gが目標である。塩分に関しては、目標に達していない。上島(2005)*7によると



1日12g程度までに低下したわが国の食塩摂取量は他の先進工業国に比べて多いであろうか。INTERMAPは日本、中国、イギリス、アメリカの4ヵ国17集団、40歳〜59歳男女の調査であるが、24時間蓄尿2回分の平均食塩換算排泄量は1日当り日本人男性11.9g、女性10.6gであった。中国は日本より多く、イギリス、アメリカの男性は9.1g、10.2gであった。イギリス人、アメリカ人の女性ではそれぞれ7.3g、8.0gであった。女性が男性よりも少ないのは食事量が少ないためである。体格が大きいと食事量が多く、摂取される総食塩量も多い。体重kg当りの食塩摂取量にするとイギリス人、アメリカ人では日本の約1/2程度であった。したがって、国民の体重当りの食塩摂取量はいまだイギリス、アメリカの2倍近くあるといえる。


現代日本の食生活では、塩分は摂り過ぎになる。1960年ごろの日本*8、あるいは「元禄時代以前」の食塩摂取量の統計を発見することはできなかった。味噌やしょうゆといった調味料や、漬物をはじめとした保存食品を考慮するに「伝統的」な日本食のおいて食塩摂取量が少ないとは思えない。まとめると、現在の日本の食生活は、炭水化物摂取割合、脂質摂取割合、脂肪酸の質、砂糖摂取量については合格。コレステロール摂取量はわずかに過剰。塩分は明らかに摂り過ぎとなる。ただし、現在の基準ではコレステロールも過剰摂取とは言えない。吉田(2007)は、



現在の日本は伝統的なアジア型のパターンに米国の影響が加わり、畜産物由来の脂肪摂取が増えたことによってちょうどいいところにあります。これにアメリカも気付き、日本を見習えといいだしたのです。アメリカの食事の目標(ダイエタリーゴール)は現在の日本の食事パターンです。何度もいいますが現在の日本の食事パターンが理想的だからです。


と、現在の日本の食事を高く評価する(強調は引用者による)。諸外国や過去の日本と平均寿命・健康寿命を比較してみれば、容易に納得できる話である。ただし、これはあくまで平均であり、個々の食事が健康的であると言っているわけではない。コンビニ弁当やファーストフードばかり食べると脂質や塩分を過剰摂取しがちになる。コンビニ弁当の成分表をきっちりチェックして適切なバランスとなるよう計算して食べることも不可能ではないにせよ、困難だと思われる。コンビニ弁当食は、厳密なマクロビ食と同じくらい体に悪いだろう。普通にいろいろなものをバランスよく食べるというのが、一番てっとり早い。ただし塩分は控えめに。もともとはまともな内容のマクガバン報告が、トンデモな内容と連鎖してしまった原因は、おそらく、日本に紹介される過程において、不正確な和訳がなされてしまったものと思われる。現代日本の平均的な食事が、塩分過剰摂取以外はわりと理想的であることが知られては困る人たちがいるのだろう。



追記(2009年11月19日):「火薬と鋼」にて、マクガバンレポートについての誤解が正されている。読む価値がある。検索で上位に表示されるべきだ。

マクガバンレポートが5000ページに及ぶというのは誤り。伝統的な日本食を理想とするという記述はない。新谷弘実らによる誤った記述が、マクガバン・レポートに関する「伝説」を広めたのであろう、と考察されている。


*1:URL:http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1327356348

*2:栄養学がめざすものと日本人の食生活、吉田宗弘(関西大学 化学生命工学部)、環境と健康 20巻3号 Page356-376(2007.09)

*3:糖質は「食物繊維ではない炭水化物」のことなので、摂取カロリー比で考えるときは炭水化物と糖質はほぼ同義としてよいだろう

*4:たとえば、脂肪酸の質と虚血性心疾患、池田郁男(東北大学 大学院農学研究科食品機能健康科学講座)、Functional Food 2巻2号 Page127-131(2008)。食事摂取基準(2005年度版)では飽和脂肪酸の摂取量の目標上限は18 g/日程度とされている。現在の日本人の平均的飽和脂肪酸摂取量は16g/日程度。モノ不飽和脂肪酸はほとんどオレイン酸と考えてよく、平均的日本人のオレイン酸摂取量は22g/日程度。オレイン酸には弱い血漿コレステロール濃度低下作用があるが、多価不飽和脂肪酸を多く摂取する日本人ではほとんど影響がないので目標値は設定されていない、とのこと。

*5:日本人のコレステロール摂取量、辻悦子(兵庫大学 健康科学部栄養マネジメント学科)、45巻12号 Page1511-1515(2007.12)

*6:具体的な数字を探してみた。■主要国の1人当たり砂糖消費量というサイトによると、現在の米国の砂糖消費量は約30kg/年に対し、日本では約18〜19kg/年である

*7:高血圧の疫学 わが国における高血圧の実態、上島弘嗣(滋賀医科大学 医学部医学科社会医学講座福祉保健医学、医学のあゆみ 214巻5号 Page285-290(2005.07)

*8:「秋田県の食塩摂取量のデータでみると、昭和27年[1952年]には1日22.1gでしたが直近の平成18年では11.3gと半分になっています」という記述はあった(日本医師会雑誌 136巻12号 Page2333-2347(2008.03) 食と生活習慣病 「飽食の時代」に蔓延・急増する生活習慣病の予防と対策を考える(座談会/特集))。ただし、東北地方は特に食塩の摂取量が多かったわけで、日本の全国平均は1日22.1gより少なかったと思われる