NATROMのブログ

ニセ医学への注意喚起を中心に内科医が医療情報を発信します。

Cunliffeさんに質問です。論敵を「殺す」のは構わないのですか?

死村さんという方の『もしも「合理的」で「科学的」な優生思想が見いだされたら、菊池誠や佐々木俊尚や糸井重里のような思想の者は、「合理的で科学的だから」と人を殺すのをよしとする訳です』というツイートが注目されています(■はてなブックマーク - 死村さんのツイート)。

すでにブックマークコメントにありますが、合理性や科学性は倫理よりも下位にあたるものですから、死村さんのツイートは的外れです。たとえば菊池誠さんは血液型性格診断を批判していますが、その科学性とは別に倫理的な側面についても言及しています。仮に血液型性格診断が科学的に正しいとしても、企業が労働者を採用するにあたって血液型を利用するのは差別にあたる、というわけです。企業にとって科学的で合理的であってもです。

死村さんの前後のツイートも読んでみました。強いて擁護すれば、ニセ科学に批判的な論者の一部には、倫理よりも科学性や合理性を上位に置いているように見える人も中にはいるでしょうから、そういう人たちに対する批判であると解釈できなくもありません。だとしても、批判対象の主張を引用するなりしない限り、相手の言っていないことを批判する「架空のわら人形論法」にしか見えません。

死村さんにツイートに対するブックマークコメントに、id:Cunliffeさんによる、




「そろそろニセ科学批判の中から例の長谷川豊を婉曲に擁護する意見が出てくる頃合いだと思ってる。」(■Cunliffe のコメント / はてなブックマーク

というコメントがありました。「例の長谷川豊」とは、「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!」という意見のことです。ニセ科学批判を行っている人はたくさんいますので、中には長谷川豊氏を擁護する人もいるかもしれません。しかしそれなら、長谷川豊氏を擁護した個人を批判対象とすればいいだけです。

私の知る限りでは、ニセ科学批判を積極的に行っている人たちで、長谷川豊氏を擁護している人はおらず、むしろ批判的な立場に立っています。私も、3年前にすでに、■生活習慣病の自己責任論についてにて、人工透析の「自己責任論」対して批判をしています。なぜ「ニセ科学批判の中から例の長谷川豊を婉曲に擁護する意見が出てくる」とCunliffeさんがお考えなのか、私にはわかりません。これも「架空のわら人形批判」ではないかと、私には思えます。

私と同じく、Cunliffeさんも「自業自得の人工透析患者を殺せ」という意見は根本的に間違っているとお考えだと信じます。殺していい人間なんていません。ただ、Cunliffeさんは、「殺していい人間」がいるとお考えであるようです。




「やはり、こいつとかキクマコとか歴史修正主義者の毎日新聞記者の斗ケ沢とかの知識人ぶってる阿呆を殺し尽くすところから戦後をやり直すしかないね。」(■Cunliffe のコメント / はてなブックマーク

「死に絶えるのを待つ」とかではなく「殺し尽くすところから戦後をやり直すしかない」です。論敵が間違ったことを言っているからといって、「殺し尽くす」というのは穏やかではありません。言論には言論で対抗するというのが、民主主義社会ではなかったのですか。もしかすると「キツメのスラング(崩し言葉)」のつもりだったんでしょうか。文脈を調べたらわかるのですか。

それとも「殺せ」ではなく「殺し尽くすところから戦後をやり直すしかない」だからOKなのでしょうか?もし、長谷川豊氏が「自業自得の人工透析患者を殺せ」ではなく「自業自得の人工透析患者を殺し尽くすところから医療制度を見直すしかない」と述べていたらOKだったんですか?

Cunliffeさんの「真意」を聞きたいです。