『体罰は教育です!』『子供には「体罰を受ける権利」があります』と主張する、「体罰の会」というサイトに、コンラート・ローレンツに関する記載があった。
水が高いところから低いところに流れるように、学級生徒の中に怠惰な者がいて、それに対して教師が何らの教育的矯正をなさないとしたら、学級全体が怠惰を是認することになって、克己心を持って研鑽している他の生徒にも悪影響を与えます。その結果、学級全体の生徒の進歩が遅れ、学級の秩序が乱れます。
そのことを動物行動学を確立してノーベル賞を受賞したコンラート・ローレンツが科学的に証明しました。それは、「種内攻撃は悪ではなく善である」ということです。ここで「善」というのは、種族保存のために必要な秩序維持に必要不可欠なことを意味します。決して、理性的、宗教的に判断した「善」のことではありません。善悪は、理性で決するものではなく、固体と種族の本能(生命原理)に適合するか否かによって科学的に決定されることを意味します。種内攻撃は、すべて種内の秩序の形成と維持のためになされます。決して秩序を壊し秩序を乱すためになされるものではありません。人間以外の動物は、秩序を壊し秩序を乱す結果を生む種内攻撃をすることがありません。そして、本能的行動としての種内攻撃、つまり、同種内における有形力の行使は、種族維持、秩序維持のために必要なものであることを説いたのです。この種内攻撃の最も重要なものに「体罰」があるのです。
彼らによれば、「ノーベル賞受賞者のローレンツは種内攻撃は悪ではなく善であると証明した。体罰は種内攻撃である。よって体罰は善である」ということらしい。そいつは初めて知った。おそらくは、体罰に「科学的」なお墨付きをつけたい人が、中途半端にローレンツを読んで思いついちゃったのであろう。
「体罰は種内攻撃である。よって体罰は善である」という理屈で、殺人も種内攻撃であり善であると言い張れそうである。ローレンツの時代にはまだ知られていなかったかもしれないが、ライオンやチンパンジーは「子殺し」をする。ライオンの子殺しは「種内攻撃」であり「善」であるとして、ヒトの子殺しも種内攻撃で善であると「体罰の会」の方々は考えるのだろうか。理性ではなく「本能」に適合するかどうかで善悪を決めるのならば、生徒のためを思ってなされる冷静な「愛の鞭」よりも衝動的な殺人のほうが善ということになりはしないか。もしかしたら、「体罰の会」の方々は、理性的にではなく、「本能的に」体罰を行っているのかもしれないが。
よしんば体罰が「本能的行動」であるとして、それが人間の社会において容認されるべきかどうかとは別問題である。それに、私の知る限りではローレンツが体罰を本能的行動だとしたり、善だとしたりしたことはない。むろん、ローレンツの著作を全部読んだわけではないので、どこかでローレンツが体罰を容認する旨を書いた可能性は否定できないが、きちんと引用元を明示されない限り、ローレンツを体罰容認に持ち出す主張を私は信用しない。そもそも「種内攻撃は悪ではなく善である」とローレンツが証明したというところからして信用できない。
■ローレンツが体罰を肯定したの? - じゃんけんをする猫:文房具のことなどによれば、石原東京都知事(当時)が「動物行動学者のコンラッド・ローレンツは、体罰も含めて、子どものころに我慢を強いられることである肉体的苦痛を遭わされることがなかった人間は非常に不幸なことになるということをいっておりますが、私は至言だと思います」と言ったことについての「この著作のどこにこの文章が出ているのか、説明してください」という質問に対して、心の東京革命推進担当部長は「今回の引用は、全体の趣旨を損なわないように要約をしたもの」と回答している。要するに要約する過程でローレンツが言ってもいない体罰肯定を勝手に付け加えたということである。いかにもありそうな話である。
体罰を受けていたバスケ部の主将が自殺した問題について、ローレンツを絡めて考えるとしたら、同族をいびり殺すハトが私には思い浮かぶ。ローレンツの書いた「ソロモンの指環」という本の中で、交雑品種を育成しようとしてヨーロッパキジバトとジュズカケバトを同じカゴの中に入れておいた話が出てくる。
あくる日帰ってみると、ぞっとするような光景がくりひろげられていった。キジバトはかごの一隅の床にたおれていた。その後頭部と首のうしろ側、さらに背中じゅうが、尾のつけ根にいたるまで羽毛をむしられて丸坊主にされていたばかりでなく、一面にベロリと皮をむかれていた。この赤裸の傷口のまん中に、もう一匹の平和のハトがえものをかかえたワシのようにふんぞりかえっていた。(P210)
ローレンツによれば、オオカミのように武器を持つ動物は「同類虐殺を防ぐ保証」、つまりは仲間に対する攻撃行動の抑制を進化的に発達させてきたが、ジュズカケバトはその必要はなかったという*1。
ジュズカケバトはそのような抑制を必要としない。この動物は相手を傷つける力がごく弱く、おまけに逃げだす能力がじつによく発達しているからである。したがって、ハトのようにくちばしが弱く、つっつかれても羽毛が二、三本ぬける程度の武器しかもたぬ鳥どうしなら、そのような抑制なしでも十分やってゆけるわけだ。負けたと感じたほうのハトは、相手から第二の攻撃が加えられる前に、さっさと逃げてしまう。けれど、せまいおりのように不自然な条件のもとでは、負けたハトはすばやく逃れる可能性を封じられてしまう。そこでいよいよ、このハトには仲間を傷つけさいなむことを妨げる抑制が欠けていることが、完全に露呈されてしまうのだ。(P219)
むろん、ハトは体罰も自殺もしない。しかし、逃げ場のない環境でなされる攻撃の危険性について、なにがしかの教訓は得られるだろう。
*1:ローレンツは群淘汰説による説明を行っているが、現在ではそのような素朴な群淘汰説は否定されている。現在の進化生物学でどのような説明がなされているのかは私は詳しくは知らないが、「仕返し」をされるリスクを考慮すれば説明可能なように思う。オオカミのように武器を持つ動物が相手を本気で攻撃すると、たとえ最終的には勝利するとしても反撃されて怪我をするかもしれない。よほどのことがない限り仲間を本気で攻撃しないライバルの個体のほうが有利かもしれない。群淘汰説による説明が正しかろうと正しくなかろうと、反撃できない個体を閉じ込めておくとろくなことが起きない点は変わりない