つくば市議会議員小森谷さやか氏による、ヒトパピローマウイルス(HPV)および子宮頸がんに関する誤った情報が訂正されないままでいる。
HPVワクチンによって恩恵を受ける人の推計は10万人あたり数百人というのがコンセンサス
まずはコンセンサスの得られている情報から紹介しよう。HPVの慢性感染は子宮頸がんの原因だ。HPVに感染しても多くは症状を引き起こさないが、一部は前がん病変や子宮頸がんを引き起こす。HPVワクチンは高リスク型のHPVの感染や前がん病変を予防することが確認され、子宮頸がんも予防することが期待されている((2022年8月21日追記:この記事を書いて2022年時点までにHPVワクチンが浸潤子宮頸がんも予防することが複数の研究で示された))。
もしかしたら「感染しても多くは症状を引き起こさないならワクチン等の対策は不要だ」と考える方もいらっしゃるかもしれない。そのような方は、喫煙者の多くは肺がんにならないし、高血圧患者の多くは心筋梗塞にならないので、喫煙や高血圧に対する対策も不要だとお考えであろう。一定水準以上の医学的知識があれば、喫煙や高血圧と同じく、HPV感染対策が必要であることが理解できるはずだ。
対策にはコストもかかるし、なんらかの医療介入をすると副作用もあるので、HPV感染の害の程度を評価する必要がある。コストや副作用と比べてHPV感染の害のほうが小さければ対策はしないほうがいい。HPVの害はかなり正確に推定できる。日本における子宮頸がんの生涯罹患リスクは1%強(2014年の数字では1.275%、約78人に1人)、生涯死亡リスクは約0.3%(2017年の数字では0.301%、約332人に1人)*1。ワクチンで予防できる高リスク型HPVはそのうちの50~70%に寄与している。
厚生労働省は、ワクチンによる罹患予防効果は絶対リスクで0.60~0.86%、死亡予防効果は0.14~0.20%と見積もっている*2。10万人あたりにすると、HPVワクチン接種により595~859人が子宮頸がん罹患を回避でき、144~209人が子宮頸がん死を回避できるとしている。海外の推計でもだいたいそのくらいだ。これが専門家のコンセンサスである。前がん病変の予防はさらに多くの人が恩恵を受ける。
つくば市議会議員小森谷さやか氏による間違った主張
ところが、つくば市議会議員小森谷さやか氏は、「ワクチンで感染を防げる人の割合は0.007%、10万人に7人ほど」と主張している。医学的には完全に誤りだ。
つくば市民の方が小森谷議員の議会発言についての質問状を送付したところ、以下のような回答があった。
■HPVワクチンに関する質問状へのつくば・市民ネットワークからの回答と、それに対する私の返信|佐々木徹|note
[1] 「HPVワクチンは0.007%つまり10万人に7人にしか有効でない。」の発言について
発言を正確に記述しますと次の通りです。
『計算上ですけれども、この子宮頸がんワクチンの恩恵をうけるかもしれないのは、全体の0.007%、すなわち10万人当たり7人ほど、ということです。』
国会質疑において厚労省が示した数字を用いましたが、ご指摘のような断定的な言い方をしたとの誤解を与えてしまったとすれば、申し訳ないと思います。
厚生労働省が示してない数字を捏造
国会質疑というのは、はたともこ議員(当時)の質疑応答のことだ。小森谷議員の「厚労省が示した数字を用いました」という回答は虚偽である。正確には、政府参考人である厚生労働省健康局長(当時)・矢島鉄也氏の示した数字(これは「厚労省が示した数字」でよい)から、はたともこ氏が間違って解釈して出した数字である。はたともこ氏の誤りについては「ニセ医学」に騙されないためにでも指摘したが、いまだに、はたともこ氏が訂正したという話は聞かない。具体的に国会質疑の記録を引用してあらためて説明しよう。
「厚労省が示した数字」は細胞診正常女性のHPV16型、18型の検出割合がそれぞれ0.5%、0.2%合わせて0.7%、であって、10万人に7人という数字は厚労省は示していない。「日本の研究者が海外の医学系雑誌に投稿したもの」については特定できている*3。子宮頸部細胞診正常3249人中、16型陽性16人(0.5%)、18型陽性6人(0.2%)。3249人の年齢は18歳~85歳で、平均は52.4歳。
50歳超えの子宮頸部細胞診正常女性において高リスク型HPVの感染割合が低いのは当たり前だ。持続感染が続けば細胞診が異常になるからである。当該論文ではそれぞれの型のHPVのオッズ比が示されており、16型は534.6、18型は252.2である。HPVワクチンがカバーする型のHPVが子宮頸がんと強い関連を示しており、「子宮頸がんワクチンの恩恵をうけるかもしれない」人が少ないという主張とはまったく真逆の研究だ。
「子宮頸がんワクチンの恩恵をうけるかもしれない」人の数を推測したいのなら、高齢の子宮頸部細胞診正常女性の高リスク型HPVの感染割合の数字を使うのは不適当だ。ワクチンを接種する世代の女性が将来リスク型HPVに感染する割合の数字がわかっているのなら、その数字を使って推測できる。この数字を正確に知るには多くの若い女性のHPV感染状況を長期間継続して観察しなければならないので、だいたいのところしかわからない。数十%ぐらいだとされており*4、はたとこも氏と小森谷さやか氏の推計と100倍ぐらい違う。
そもそも子宮頸がん患者や死亡者における高リスク型HPVの感染割合の数字がわかっているのだから、そちらを使えばよい。それが冒頭に述べた「10万人あたり595~859人が子宮頸がん罹患を、144~209人が子宮頸がん死を回避できる」という数字である。やはり100倍ぐらい違う。
「10万人あたり850人としてもたったの0.85%だ。HPVワクチンの害は利益に見合わない」との主張もあるかもしれない。私は同意はしないが、そのような主張をするのは自由だ。それはそれとして、「10万人に7人にしか有効でない」という主張は誤りだし、厚生労働省が示したというのも間違いである。同様の誤りは2013年5月12日に出た「東京新聞こちら特報部」の記事にもある。実名・所属機関を明らかにした上で「東京新聞へのご意見・ご要望」として指摘するも、「いただきましたメールは担当の特報部へ申し伝えます」とだけしか返事が返ってきていない。東京新聞特報部は不誠実だ。そもそも、はたともこ氏も、東京新聞特報部も、小森谷さやか氏も、しかるべき専門家に確認すればこのような間違いを犯すこともなかったのだ。専門家に確認しなくても、子宮頸がんの生涯罹患リスクを知っていればこのような間違いはしない。
国会質疑を利用した「ファクトロンダリング」
これらの間違いはみな、はたともこ氏の国会質疑に由来する。国会を利用した、いわば「ファクトロンダリング」といえる。この手法を使えば嘘の主張に偽りのお墨付きを与えることが可能になる。たとえばこんな具合だ。
質問者:哺乳類は恒温動物か。また、哺乳類は肺呼吸か。簡潔にお答えください。政府参考人:答弁いたします。哺乳類は恒温動物で、また、肺呼吸をしています。
質問者:ニワトリは恒温動物か。また、肺呼吸か。
政府参考人:ニワトリは恒温動物で、肺呼吸をしております。
質問者:哺乳類は恒温動物で肺呼吸である、また、ニワトリも恒温動物で肺呼吸だとのご答弁をいただきました。つまりニワトリは哺乳類ということになります。では、次の質問です…。
専門家から間違いの指摘があっても無視していればよい。新聞や地方議員が「国会質疑における政府参考人の回答を用いた」として「ニワトリは哺乳類だ」と主張し続けるだろう。そしてファクトに興味のない追随者が「ニワトリは哺乳類である主張を否定する答弁を政府参考人がしていないことも事実」などと思考を停止する。
はたともこ氏はたまたま野党議員であったが、同様の手法は与党だってできる。とくに官僚側が忖度する場合は容易だ。はたともこ氏の間違いを見逃すことは、将来、政府に都合のよい事実を与党が国会質疑でつくりだしても批判できないことになってしまうのではないか。
*1:国立がん研究センターがん情報サービスのウェブサイトによる
*2:https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-10601000-Daijinkanboukouseikagakuka-Kouseikagakuka/0000186462.pdf
*3:https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/15122519
*4:たとえば、Human papillomavirus (HPV) is a very common STD, with an estimated 80 percent of sexually active people contracting it at some point in their lives…, http://www.ashasexualhealth.org/stdsstis/hpv/fast-facts/. 80%というのは高リスク型に限らないのに注意。