NATROMのブログ

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臨床環境医学(Clinical Ecology)と環境医学(Environmental Medicine)は異なる

国語の論説文の問題は、与えられた文章さえ読めば回答できるように出題者によって作られている。しかしながら、専門分野に関係する論文や報告書については国語の論説文のようには必ずしもいかない。前提となる専門知識が必要で、与えられた文章だけでは疑問に回答できないかもしれないからだ。AMA(米国医師会)を含む複数の学術団体が1994年に出した"Indoor Air Pollution: An Introduction for Health Professionals(室内空気汚染:医療専門職のためのイントロダクション)"という報告書(以下1994年報告書)が臨床環境医学に対して肯定的か否定的かの解釈をめぐって、前回・前々回のエントリーで1994年前後の臨床環境医学に関する論文を多数紹介したのはそのためである。

■なぜ「化学物質過敏症」患者に対して包括的な検査が必要なのかでは、1994年報告書における「化学物質過敏症の訴えや疑いがあるなら心因性とせず、包括的な検査を行うべきである」という文章は、臨床環境医が取り組む方向性で検査すべきという意味ではなく、化学物質過敏症とされている患者の中には臨床環境医によって誤診された身体疾患が混じっているがゆえに包括的な検査が必要であることを示していると、複数の論拠をもって論じた。

また、■臨床環境医学は専門家にも注目されていた。悪い意味で。 では、1994年報告書における「臨床環境医学は…専門家にも注目され」という文章は臨床環境医学に肯定的な意味ではなく専門家の注目は批判的・懐疑的なものであること、「臨床環境医学会にはアレルギー医や内科医が集まっている」という文章は「単なる素人の集まりではなく専門性をもった集団であることが強調されている」のではなく、医師の中にも科学的根拠に基づかない診断や治療を行う者が存在することを示していると、複数の論拠をもって論じた。

さて、1994年報告書のおける文章の「アレルギー医やその他の専門家の診察を受けさせることも考えるべき」について、アレルギー医やその他の専門家は誰のことを指すのか(あるいは指さないのか)については、後日述べると約束していた。この点については、実はすでに■忘却からの帰還のKumicitさんに先を越されてしまっている。内容がかぶるが、約束していたので今回述べようと思う。

さて、1994年報告書だけを読んでも「アレルギー医やその他の専門家」に臨床環境医を含むかどうかはわからない。しかし、1994年の段階での他の専門家による臨床環境医の評価を知っていれば、AMAを含む専門家集団が臨床環境医たちの診察を受けさせることを考えるはずがないことはわかる。実は1994年報告書にはもっと明確なヒントがある。■An Introduction for Health Professionals | Indoor Air Quality | US EPAが"clinical ecologists"に触れている部分を引用しよう。




「臨床環境医」とは誰か?

「臨床環境医学」は、主流の医学として認識されていない一方で、一般の人々と同様に医療の専門家にも注目されてきた。臨床環境医、つまり「総合アレルギー」または「多発性化学物質過敏症」によって苦しめられていると信じている患者を治療してきた医師たちの組織は臨床環境医学会として創設され、現在ではアメリカ環境医学アカデミーとして知られている。臨床環境医たちの組織は、他の伝統医学の専門領域からアレルギー医や内科医を引きつけてきた66


矢印で強調した66という数字は参考文献の番号。報告書の末尾に参考文献リストがある。66番はこんな感じ。




DucatamanらによるJournal of Occupational Medicine(職業医学雑誌)の「環境医学とは何か?」という1990年の論文、および、アメリカ内科学会健康公共政策委員会によるAnnals of Internal Medicine(内科学紀要)の「職業および環境医学:内科医の役割」という1990年の論文を参照せよ。


参照せよというからには参照せねばなるまい。というか私は読んだ上で前回、前々回の二つのエントリーを書いた。最後にこの二つの論文を紹介しようと考えていたのだが、■忘却からの帰還のKumicitさんが既に書いてくれたので引用する。まずDucatamanら*1によるJournal of Occupational Medicineの1990年の論文から。


アメリカ職業環境医学会の主張

■メモ「米国職業環境医学会(ACOEM, 旧称ACOM)のMCSについてのポジションステートメント(1990)」: 忘却からの帰還


[American College of Occupational Medicine, Toxicology Committee: Ducataman et al. "What is Environmental Medicine?" ]

Wider recognition of the many features of the environment that may adversely affect human health has attracted the interest of many, including some clinicians who may be insufficiently trained to address epidemiologic and toxicologic aspects of causation and prevention. Untested diagnostic and therapeutic regimens may become attractive to a few health care providers and their patients in the face of major deficiencies in information concerning environmental impacts upon health. Misdiagnosis of conditions related to the environment is as serious a problem as misdiagnosis of other conditions. For example, questions of untested and otherwise problematic aspects of clinical ecology have been noted by allergists and immunologists[5-7], internists[8,9], psychiatrists[10-12], government agencies and advisory panels[13,14], state medical societies where "clinical ecologists" practice[15] and consumer advocates[16-17]. Recently, trial courts also have expressed concern with the "subjective and conjectural" nature of clinical ecology testimony[18-21].

人間の健康に悪影響を与えるかもしれない環境の多くの要素についての幅広い認識が、因果関係や予防の疫学及び毒物学的側面に取り組むための教育を十分には受けていないかもしれない一部の医師たちを含む、多くの人々の関心を引きつけている。健康に対する環境のインパクトに関する情報が不足しているにもかかわらず、検証されていない診断法や治療法が、一部に医療提供者や患者たちを引きつけるようになってきている。環境に関連する症状の誤診は、他の症状の誤診と同様に、深刻な問題である。たとえば、「臨床環境医学」の検証されていない、あるいは問題のある側面についての疑問が、アレルギー医・免疫医・内科医・精神科医・政府機関・諮問委員会や、「臨床環境医」や消費者運動の活動している州の医療団体から指摘されてきた。最近では、裁判所が、臨床環境医学証言の「主観的かつ推測的」な点に懸念を表明している。

In these matters, we join other medical and scientific bodies in recommending, first, that all physicians must refrain from untested, unproven[22], or needlessly debilitating[23] diagnoses and treatments. Second, we ask that physicians recognize that the symptoms often leading to the diagnosis of "multiple chemical sensitivity" are real to the patient, even if the validity of the diagnosis and its proposed mechanisms are conjectural. Patients with multiple sensitivities need the same supportive, tolerant, and encouraging care that all patients deserve. Third, despite initial impressions that these patients may have simple misdiagnoses of other better known problems[7] or else learned psychologic reactions[10,11,24,25], occupational physicians should support and participate in scientifically designed studies of the phenomenon now characterized as multiple chemical sensitivity.

これらの問題について、我々は他の医学団体及び科学団体と歩調を合わせ、まず医師全員に、検証されていない、あるいは証明されていない、あるいは不必要に身体に負担をかける診断法や治療法を差し控えることを強く推奨する。第2に、たとえ診断法の正当性や提唱されたメカニズムが推測的であっても、「多種化学物質過敏症」の診断につながる症状は患者にとっては現実であると認識してもらいたい。他の全ての患者と同じく、多種過敏症の患者も、協力的で寛容で元気付けられるケアを必要としている。他のよく知られた病気の誤診あるいは、学習心理反射であるという第一印象を持ったとしても、職業医は、多種化学物質過敏症として特徴付られる現象についての、科学的にデザインされた研究を支援あるい参加を支援すべきである。


まさかとは思うが、この文章を臨床環境医学に擁護的だと読む人はいないと願う。ちなみに、『「臨床環境医学」の検証されていない、あるいは問題のある側面についての疑問を指摘』した内科医団体とはアメリカ内科学会であり、州の医療団体とはカリフォルニア医学協会である。どちらも■臨床環境医学は専門家にも注目されていた。悪い意味で。で紹介した。


アメリカ内科学会の主張

1990年のアメリカ内科学会のposition paperも引用しよう。職業医学および環境医学における内科医の役割についてが主な内容で、臨床環境医学についての言及はごく一部である。


■環境医学は、実証されていない「環境病」の理論を信頼する「臨床環境医学」とは別物である: 忘却からの帰還


[American College of Physicians Health and Public Policy Committee. "Occupational and Environmental Medicine: The Internist's's Role". Annals of Internal Medicine 1990; 113:974-82.]

As a clinical specialty, environmental medicine is in its infancy. It is distinct from the controversial practice known as “clinical ecology,” which often relies on unproved theories of “environmental illness”

臨床専門分野として、環境医学は幼年期にある。これは、実証されていない「環境病」の理論を信頼する「臨床環境医学」として知られるコントロヴァーシャルな実践とは別物である。


この文章にリファレンスとして提示してある文献は、やはり■臨床環境医学は専門家にも注目されていた。悪い意味で。で紹介したアメリカ内科学会の1989年のposition paperである。


まとめ

以上、アメリカ職業環境医学会もアメリカ内科学会も、「環境医学(environmental medicine)と臨床環境医学(clinical ecology)は異なる」としている。環境医学はまともな医学の分野に含まれるが、臨床環境医学においては検証されていない診断法や治療法がまかり通っている。さて、最初の話に戻ろう。1994年報告書において、「臨床環境医」を述べた項目で、わざわざ「環境医学と臨床環境医学は異なる」とした臨床環境医学に批判的な論文が参考文献に挙げられていた。なぜか?「アレルギー医やその他の専門家の診察を受けさせることも考えるべき」という文章において、診察を受けさせるべき専門家に臨床環境医が含まれるとしたら臨床環境医学に批判的な論文を参考文献として提示するであろうか。

1994年報告書だけしか読んでいなければ、臨床環境医学に肯定的か批判的かは判別はつかない。「臨床環境医等の診断の意義も認めるべき」かどうかは、1994年報告書だけを読んでもわからない(「臨床環境医等の診断の意義も認めるべき」と解釈するのは、国語の論説文の問題であっても不正解である)。しかしながら、1994年当時の臨床環境医学の評価を知り1994年報告書で示されている参考文献を読めば、判別がつくと私は考える。

*1:正確にはAmerican College of Occupational Medicine Toxicology Committeeによる。DucatamanはCommittee Chairmanである。