NATROMのブログ

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武田邦彦氏の過去の発言を検証してみる

ネットでは武田邦彦氏を信用している人がそれなりにいる。武田邦彦氏を信用する理由もさまざまあるだろうが、「『御用学者』たちは原子力発電所は安全だなどと言っていた。武田氏は震災前から原発の危険性を指摘していた」「政府は言うことがコロコロ変わっている。武田氏のほうが信用できる」というものがあるようだ。少なくとも、そのような理由で、武田氏を信用するのは妥当ではないと私は考える。武田氏は、震災前は原発は安全だと言っていたし、震災前後で言っていることがコロコロ変わっているからだ。いくつか引用し、検証してみよう。強調はすべて引用者による。引用部分や強調が恣意的ではないか、という批判が予測される。引用元はすべて明示しているので、恣意的な引用がなされていないかどうかは、読者は適宜検証をおこなって欲しい。武田氏は、しばしば、引用元を明示せずに論評を行うが、私の引用の仕方を気にするような人は、武田氏はさらに信用に値しないことに同意するであろう。


原子力発電所は、確かに事実は安全

■第7回 原子力安全基準・指針専門部会 速記録(平成19 年12月25日) PDFファイル


○武田委員1つお願いというか、提案というほど大げさではないんですが、ち
ょっとお話しさせていただきます。
大変に長い間、日本の原子力発電所は、簡単に言うと、極めて安全に運転され
てきた。多分、他のエネルギー産業の中でも、統計的な数字を細かく述べること
はできないんですが、最も安全なエネルギー産業の1つではなかったか。そうい
う意味では、原子力安全委員会が大変正常に機能した数十年だったと評価できる
のではないかと思うんですが
、一方、新潟の地震による火災のときの国民の反応
のように、ほとんどの国民は「原子力発電所は安全でない」と認識しているので
はないかと危惧しているわけであります。
どういうことかというと、この前、この指針の部会のときにちょっと発言させ
ていただいたんですが、否定されたりして余りうまくいかなかったんですが、
「安全」という言葉が2つあるのではないか。1つはここで言っている安全とい
うもので、フィジカルに安全であるというもの。それから、国民が言っている安
全というのはその安全ではなくて、「安全である」という認識が安全である。も
ちろん、実態的に安全であることはもちろんなんですが、それが認識の段階にな
って初めて「安全である」と理解すべきであるというメッセージを、ここ数十年、
発しているのではないかと思うんですね。
例えば、今度の火災が一番典型的な例だと思うんですが、幾ら原子炉が安全に
なっていると言っても、目の前の原子炉からもくもくと黒い煙が上がっていて
「安全だから全然通報も要らないよ」例えばそういうことですと、それがいわゆ
る国民側から見て安全という状態になっているのかということになるのではない
か。
それで、「安全」という用語の定義を変えたらどうか。もうこれ数十年になる
のでね、国の方は安全だ、安全だと言っていて、確かに事実は安全なんですが
しかし、国民は不安だ、不安だと言っているのでは、もうこれは平行線でどうに
もならない。従って、例えばこの基準とかそういうものも、その中に「安全だと
思うこと」というのを指針の中に入れたらどうか。今までの指針は全部、フィジ
カルに安全であれば、もう「おまえらが知識ないから悪いんだ」というような言
い方なんですが、そうも言えないのではないか。せっかく長く安全が保たれてき
たにもかかわらず信頼されないというのは、やはり基本的なところを少し考え直
して、もう一つ踏み込んだらどうかと思うんです。
今度、黒い煙がもくもく上がったというのは不幸中の幸いでありまして、これ
は不等沈下だとか附属装置の安全性を高めればいい、要するにフィジカルな安全
性を高めればいいんだということではなくて、この現象を別の意味にとらえて、
この機会に「安全」という概念を変えて、今後の指針とかそういうものをつくっ
ていくチャンスではないかと思われますので、ご考慮いただければと思います。


原子力発電所は、「事実は安全」だが、「国民は安全でない」と認識している、という主張である。「原子力安全委員会が大変正常に機能した数十年だったと評価できる」という点も、実はポイントである。311以降は、武田氏は、保安院が強い影響力をもったせいで安全委員会が十分に機能できなかった、というようなことを言っているからである*1


日本の原子力発電所は爆発させようとしても爆発しないので安全

■武田邦彦 (中部大学): 原子力を考える (3)(平成19年4月)

 
 爆発しない原子力発電所というと「軽水炉」である。水を使って燃料を冷やし、熱を取り出すこの簡単な原子炉は安全である。なぜ安全かというと「温度が上がると中性子を吸収する」という水の性質を利用しているからである。

 何かの間違いで原子炉が原爆のような状態になることがある。そうなると核反応が進み、ドンドン温度が上がる。そうすると水が中性子を吸収して反応を止める。つまり「自動安全装置」が水なのである。実に簡単で素晴らしい。よく水がそんな性質を持っていたものだ。

 水のおかげで人類は安全な原子炉を作ることができた。なぜ「安全」かというと、原理的に原子爆弾にならないということと、なんと言っても過去50年ほど、世界で動いてきた軽水炉は爆発状態にならなかったという実績である。



■武田邦彦 (中部大学): 原子力を考える (2)(平成19年4月)


 つまり原子爆弾を作ろうと思ってもそんなに容易にはできないのである。逆に原子力発電所を作る時には、できるだけ爆発しないように設計するので、原理は原子爆弾と原子力発電所が同じであっても、原子力発電所が突然爆破するということは起こらない。

 特に日本の原子力発電所は「水」を使って炉を冷やしているが、水は「核反応が進めば進むほど反応を止める方向に行く(負のボイド効果)」という特徴を持っているので、爆発させようとしても爆発しない

 でも旧ソ連のチェルノブイリ原子力発電所は違った。この発電所は別の目的があったので「爆発しやすいように設計」されていた。黒鉛減速というこの発電所の方法は「反応が進むほど進む(正のボイド効果)」がもっとも高い設計だった。だから暴走が始まると止まらない。


311以前であれば、「軽水炉は爆発しない」という発言は、仕方がないと私は考える。だが、「『御用学者』は原発は安全だと言っていたが、実際には爆発した」という理由で、武田氏を信用する人はどうお考えだろうか。また、「爆発」という言葉の意味の揺らぎもポイント。武田氏は、臨界という言葉を、核爆発で言いかえている*2。いい加減な用語の使用法だけでもどうかを思うのだが、「爆発」という言葉の意味は一貫していない。


研究者の多くが「放射線を少し浴びた方が発癌性が低い」と考えている

■武田邦彦 (中部大学): インフルエンザとはなにか? (4)(平成21年5月)


放射線の害を一言で言えば,「放射線で障害を受けることは,少ない.なかなか障害を受けることはできない」と言える。


そして,その理由を一言で言えば,「太陽が原子炉だから.宇宙は原子力ばかりだから」というのが正しいだろう。


さらに,注意することといえば,「普通の生活をする事」と言うことに尽きる.日本の原子炉はまだ自身で倒壊する可能性があるので,やや危ないが,そのほかで放射線の被害を受けることはまずない.


どうしてこんなに放射線が安全かというと,もともとは危険なので,防御機構が発達するからであり,なぜ防御機構が発達しているかというと太陽が原子炉で,そこから有害な放射線が降ってきた時代に,生物は頑丈な防御を作ったからである.


原始的な生物の一つ,大腸菌ですら放射線に対して5段階の防御を持っていて,容易にはやられない.まして高等動物中の高等動物である人間は,ものすごく精密な防御システムを持っている.


だから,容易なことでは放射線で障害を受けない.むしろ,あまりに複雑なので,長く使わないとリストラされる。むしろ,免疫と同じだから,少しは放射線を浴びておいた方が「異物を取り除く体の中の自衛隊」を育てておくことができる.


放射線と人体の関係を研究している人の多くが「放射線を少し浴びた方が発癌性が低い」と考えている。でも,決して口に出さない.口に出すと袋だたきにあうからだが,民主主義だから専門家はおそれずに「本当の事」を言うべきだ.


「放射線を少し浴びた方が発癌性が低い」という仮説は、放射線ホルミシス仮説という。別に武田氏が放射線ホルミシス仮説を支持するのはいい。しかし、「放射線と人体の関係を研究している人の多くが「放射線を少し浴びた方が発癌性が低い」と考えている」というのは、単に誤りである。「「放射線を少し浴びた方が発癌性が低い」と考えている研究者もいる」なら正しい。


人間が放射線によって障害を受ける最低の放射線は200ミリシーベルト付近

■武田邦彦 (中部大学): 原発 緊急情報(2)(平成23年3月13日)


原子力発電所から漏れている放射性は協会でだいたい1ミリシーベルトから0.1ミリぐらいとされています
.
放射線としてはわずかな量なので、このくらいの変化が生じても別段、問題はありません。記者会見では変化が問題になっていますが、それは放射線と健康の関係を知らないからです
.
人間が放射線によって障害を受ける最低の放射線は200ミリシーベルト付近ですから。現在の200倍ぐらいに相当しますので、人間に直接的に影響が及ぶということはありません。
さらに放射線で死ぬということを考えますと、1シーベルとぐらいですから、その点ではまだ1000倍程度の余裕があります。ちなみに、4シーベルトぐらいになると半分ぐらいの人が放射線で死にます
.
現在の状態では、原子力発電所の横に1時間ぐらいいても大丈夫でしょう


これは311以降の発言。「人間が放射線によって障害を受ける最低の放射線」があるというのが、「閾値あり」仮説。少なくとも、平成23年3月13日の時点では、武田氏は、放射線の害には閾値があると考えている。それが、いつのまにか、「閾値なし」仮説に基づいている*3。地味に、「1ミリシーベルトから0.1ミリぐらいとされています」というのもポイント。このころ(3月13日)ごろは、武田氏も、ミリシーベルトとミリシーベルト毎時を厳密には区別していなかった。賭けてもいいが、武田氏支持者に、この引用部分を見せたら、「御用学者の発言だ」とみなすと思う。

最初のうちは情報が不十分であった。また、ミリシーベルトとミリシーベルト毎時の区別といった細部の知識を持っていなかったとしても、別に批判に値することではない。私だって、放射線の害についての知識は、ここ1ヶ月で身に付けたものだ。ただし、マスコミや政府や「御用学者」の誤りについては、初期の知識不足を責めたり、あるいは陰謀論的な解釈を行うのに、武田氏の誤りに寛容なのは、ダブルスタンダードであろう。


発癌リスク1.4倍は「毒性がない」と表現しても間違いではないほどの弱い毒性である

311以降は、もしくは放射線の害に限定すれば、武田氏は集団へのリスクを重要視している。


■武田邦彦 (中部大学): 生活と原子力02   1ミリ、100ミリ、「直ちに」の差は?(平成23年4月2日)


また、わたくしは、「100人に1人」という数はかなり高いように思います。親の気持ちなれば、1000人に1人でも危ないと思い、1万人に1人ぐらいになれば、何とか防いであげることができると思うのではないでしょうか。
渡邊先生と同じ長崎大学の先生は、「100ミリシーベルトで、100人に0.5人しかがんにならないので大したことがない」というふうに発言されていました。渡邊先生とほぼ同じ数値です
.
わたくしは交通事故が「1万人に0.5人」ということを考えれば、これも100倍の危険ですから、非常に大きな値ではないかと思います。


311以前はどうだったか。


■武田邦彦 (中部大学): 工学倫理講義 第八回 イタイイタイ病・カネミ油症事件(平成19年4月)


 その後、ヒトでは13万人の15−50年にわたるダイオキシン高濃度曝露群(一般人の10倍から10,000倍)の追跡調査が行なわれ、急性毒性、慢性毒性、発ガン性、生殖毒性、神経発達毒性について詳細なデータが出てきた。2002年時点で、これらのデータを全体を見渡すと、モルモットの急性毒性では青酸塩の6万倍の毒性を示すが、ヒトでは高濃度長期間曝露者で塩素座そう以外の急性毒性は認められていない。また発ガン性に関するヒト疫学では100−1000倍の曝露20年以上で一日煙草1本程度(リスク1.4倍)が見られる。

 一日煙草一本という毒性は「毒性がない」と表現しても間違いではないほどの弱い毒性である。それと社会が認識した毒性の間にこれほどの大きな差があるのは何故だろう。第一に、データが不確かなのにそれを確定的なもののように解説する学者やマスコミ、第二にデータをよく確かめずに意見を述べる技術者や医師、そして第三にダイオキシンの毒性について確かめずに装置や分析にはお金になると判断する技術者や企業、の存在である。そこに関係している技術者一人一人には言い訳が用意されているが、全体としては「ダイオキシンは猛毒で、高いお金を払っても排出を阻止しなければならない」という魔女狩り状態になったのである。


発癌リスク1.4倍が「毒性がない」と表現しても間違いではない、としよう。発癌リスク1.4倍のリスクに100万人の人が晒されると、約7万人の約20万人*4の発癌が増える計算になる。被曝のリスクと比較しよう。100ミリシーベルトで、発癌が50人が51人に増えるという推定では、発癌リスクは1.02倍であるので、「毒性がない」と表現しても間違いではないことになる。

読解力のない人から的外れな批判をされるだろうから、あらかじめ答えておく。「放射線の被曝は好きでもないのにリスクに晒されるが、喫煙のリスクは本人が選択したものなので、比較するのは不適切だ」という批判が予測できる。しかし、武田氏が、発癌リスク1.4倍を「毒性がない」と表現しても間違いではないとしたのは、喫煙でなく、ダイオキシン曝露のリスクのことである。

「発癌リスクは1.01倍は無視できない害である」という批判もあるかもしれない。その通り。無視できない。少なくとも私は「無視できる」とか「大したことない」とか言っていない。「長崎大学の先生」は、「大したことがない」と発言したと武田氏は言うが、引用元が明示されていないので検証できない。単なる武田氏の勘違いや、あるいは何らかの前提条件付きだったかもしれない。


私見

なお、私が武田氏を信用するべきでないと考える理由は、震災前の原発安全発言ではない。これは仕方がないと思う。主張が変わることでもない。情報や新しい知識で主張が変わるのは自然なことだからだ。武田氏を信用するべきでないと考える理由はいくつかあるが、たとえば、疫学に関する知識の欠如、知識の乏しい分野における慎重さの欠如、批判相手の主張を正確に引用しない/引用元を明示しない議論の方法、リスクを比較するという概念の欠如などである。



*1:原発 少し落ち着いたので・・・「保安院という化け物」 http://takedanet.com/2011/03/post_0cc6.html

*2:「良く「原子炉が臨界に達した」と言われますが、「原発が核爆発を始めた」でも良いのです」URL:http://takedanet.com/2011/04/post_ac30.html

*3:たとえば、URL:http://takedanet.com/2011/04/481_ecc3.html

*4:4月18日訂正。非曝露集団の発癌の生涯リスクを0.5とすると、曝露集団の発癌生涯リスクは0.5×1.4=0.7となる。100万人集団における発癌数は、非曝露集団と曝露集団で、それぞれ50万人と70万人。曝露によって増えた発癌数は70万人-50万人=20万人