救急救命士が「交通事故負傷者を搬送中に、救急救命士法に違反する点滴を行っていた」という報道があった。
■救急救命士、「生命の危険」で患者に違法点滴 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
同本部によると、救命士は先月7日、常滑市内で起きた交通事故現場に出動。負傷した男性(35)に、救急車内で血流確保のための輸液を静脈に点滴した。救命士は「大量出血で意識がもうろうとしていたため、搬送先の常滑市民病院の医師と連絡を取りながら輸液を行った」と説明したという。負傷した男性は病院で治療を受け、現在は快方に向かっている。救急救命士法の施行規則では、心肺停止状態の患者に限って医師から具体的な指示を受けながら、点滴や気管にチューブを挿入して酸素を送ることができるが、男性は心肺停止状態ではなかった。
同本部の事情聴取に対し、救命士は「施行規則のことは知っていたが、生命の危険があると思ったので輸液を行った」と話しているという。救命士は2004年に資格を取得した。石川忠彦消防長は「救命のためだったが、違法行為は遺憾。病院とのやりとりを含めて、当時の状況を検証していく」と述べた。
大量出血患者にいち早く輸液を開始するという医学的判断は現時点では妥当だったと個人的には考える。消防本部による発表や報道の必要性についても疑問である。それはそれとして、ネット上の反応では、「法律の方がおかしい。救急救命士による輸液を早急に認めるべき」という趣旨の意見が多かったことに危惧を覚えた。なぜなら、救急救命士による輸液が本当に死亡率を下げるかどうか、十分なエビデンスがないからだ。それどころか、搬送前の輸液が死亡率をかえって増大させるというエビデンスがある。
■ヘルスデージャパン - 搬送前の静脈内輸液により外傷患者の死亡リスクが増大する可能性も(2011.1.17掲載)
重症外傷患者を病院に搬送する前に現場で静脈内輸液(IV fluid)を行う処置が長年施行されているが、実際は死亡リスクを増大させる可能性のあることが新しい研究で示唆された。約77万7,000人の外傷患者を対象に分析したデータから、搬送前に静脈内輸液を受けた患者の死亡率は、受けていない患者よりも全体で11%高いことが判明。搬送の遅れだけでなく、輸液による血圧上昇に伴う出血リスクの増大も死亡原因になると考えられている。米ジョンズ・ホプキンズ大学(ボルチモア)医学部准教授のElliott R. Haut博士らによる今回の研究は、医学誌「Annals of Surgery」2月号に掲載された。
分析の対象となった患者の多くは40歳以下の白人男性であり、約半数が外傷センターに搬送される前に静脈内輸液を受けていた。輸液を受けた患者の死亡率が高いことに加え、外傷の種類によってはさらに予後が悪化することもわかった。例えば、刺し傷や銃創を負った患者に輸液を実施すると、実施していない患者に比べ死亡リスクが25%増大。重度の頭部外傷を負った患者や、後に病院で緊急手術を受けた患者では死亡リスクが35%増大した。「この研究が最終的な結論であるとは考えていないが、輸液は必ずしも有益ではなく、むしろ有害である場合もある」と同氏は述べている。
"Annals of Surgery"2月号に掲載された論文はこちら→■Prehospital Intravenous Fluid Administration is As... [Ann Surg. 2010] - PubMed result。本文は入手できず、私は要約しか読んでいない。「搬送前に輸液を受けた患者の死亡率のほうが高い」という、一見常識とは異なる結果に対し、「輸液が害を及ぼすのではなく、重症例だと輸液をされる確率が高いだけ」という解釈もありうるが、当然その辺の補正はなされているようだ。ただ、無作為化試験ではないので、何らかの偏りがある可能性は排除できない。「死亡リスクを増大させる可能性」「この研究が最終的な結論であるとは考えていない」とあるのは、そのためだ。
また、これはアメリカの研究であるので、日本でも同じことが言えるとは限らない。この研究だけで、直ちに「救急救命士による点滴は不要である」という結論は出せない。しかしながら、今後、日本において、心肺停止状態以外の患者に対する救急救命士による点滴を認めるのであれば、「輸液により死亡リスクが増大する可能性もある」ことを念頭において、同時に検証も行うべきである。ついでに言うなら、現在でも合法である心肺停止状態の患者に対する点滴も、本当に効果があるか検証すべきだと私は考える。
木内ら*1は、現場で「静脈路確保も何度か試みたがうまくいかなかった」、自宅で心肺停止に陥った78 歳の男性の例を提示し、「今回の場面では,患者との接触現場での特定行為にこだわり過ぎたあまり,いたずらに現場滞在時間が延びてしまった可能性が高い」と述べている。また、「気管挿管の実施によって現場滞在時間の延長が見られていないことが確認された」という報告を紹介する一方で、「現場滞在時間は救急救命士制度の導入後,救急救命士の業務拡大で延長したとの報告がある」とも述べている。
文献6とは、「小濱啓次.都会でも救急医療の過疎化が起こっている. 日臨救医誌.10(5),2007,509-16」 |
点滴に限らず、救急救命士の業務拡大が有益かどうかは検証してみないとわからない。点滴や気管内挿管に時間をかけるより、一刻でも早く搬送したほうがいいという可能性もある。検証抜きに、心肺停止状態以外の患者に対する救急救命士による点滴がなし崩しに認められるようなことになりませんように。
*1:エマージェンシー・ケア 21巻7号 (2008) p.671-674 特集 “ちょっと待った”な救急シーン20 常識のウソ? その嘘ホント?【前編】 、タイトル:(1)プレホスピタルでのシーン (4)CPA患者は静脈路確保,気管挿管をしてから搬送すべき?、著者:財団法人田附興風会医学研究所北野病院 木内俊一郎 新谷 裕 箱田 滋