NATROMのブログ

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靴や鞄の修理と「医療」とは何の違いも無い?

「がんは感謝すべき細胞です。」というブログの■現代医療という「異物」というエントリー、およびコメント欄が興味深い。ちなみに、「がんは感謝すべき細胞」というのは比喩や皮肉ではない。千島学説では、癌細胞は血液を浄化するとされる。いわば、「風の谷のナウシカ」の腐海のような役割だ。



ガン細胞も自然治癒力の賜物で、感謝すべき細胞です。
すなわち、汚れた血液を綺麗にサラサラにしてくれる浄血装置です。
ガン細胞に感謝申し上げ、食習慣を中心とした生活習慣を人間本来のものに戻しますと、自然治癒力が高まり、自分でガンを根治できます。


まあ、こういう感じで現代医学はほぼ全否定であるのだが、救急医療だけは例外であり、「私が権力を持ったら、救急医療以外の病院は、全部、つぶす」のだそうだ*1。さて、「がんは感謝すべき細胞です。」のブログ主であるところの健康かむかむさんは、昨年の11月に「左足の脛骨などの開放骨折」のため、現代医療を受けた。これはまあ救急医療に含めてもいいだろう。さらに、今年の2月に「脛骨などを固定していたピンを抜く手術」を受けた。これは待機手術であるから救急医療には該当せず、よって健康かむかむさんが権力を持ったらこの手術は受けることはできなかったのであるが、これもまあいい。問題は、その後の経過で、左足の膝の辺りに痛みを伴う「シコリ」ができてからの受診行動である。



10月2日、入浴して、このシコリが大きくなって「瘤」になっていることが判明。座ることが出来なくなりました。直ちに、病院へ電話して、10月7日の診断を予約しました。

「瘤」の由来は自明でした。2月9日の「ピン抜き手術」の際、私の左足に「異物」として装着されていたピン全部を抜かなかったため、残しておいた「ピン」が移動して瘤にまでなってしまつたのです。当時の主治医は他の病院へ移動となったため、本日は、別の医師が診断しました。

医師曰く「ピン抜き手術当時、、ピンを抜かないで残しておいた判断は正しかった。このような瘤になることは、前例もなく、予想もできなかった。ですから、医療ミスではないので、今後、予定されているピン抜き手術の患者負担分3割は負担していただきます」

私「これは判断ミスです。私は、再度、ピン抜きの手術は受けますが、自己負担分は払いません」

医師「それでは、こちらで手術をすることは出来ません」

私「そうですか、それでは、長妻さんと話し合ってみます」と言って、席を立ち、診察室から退出。背中から「長妻さんって誰ですか?」と。


癌細胞は感謝によって根治できるのに、「瘤」は根治できないようである。それはともかく、この限られた情報から判断すると、整形外科手術の際に使用したピンによる合併症が生じたわけである。医師は判断ミスはなかったと主張しており、その主張が正しいのならば3割の自己負担を請求するのは当然だ。判断ミスの有無については情報不足のために判断できないが、抜去が困難な場合はピンをそのままにしておくことはありうる。しかし、健康かむかむさんによれば、医学上はともかくとして、常識として異物を取り除くのは当たり前だとのこと。



私「骨折して、その治療のため、異物を入れ、その骨が正常に回復しましたら、その異物を取り除くのは当たり前でしょう。何も、レントゲン撮影したときのX線や薬物の毒を取り除いてくださいと言っているわけではない」

若造「そういうことは、医学上、正しいかどうかは分かりません」

私「医学上の話ではなく、常識の話ですよ。私は、主治医や本日、診断した医師を含む当病院を責めているのではなく、異物を体内に放置している現代医療が間違っていると主張しているのです。ですから、この話を長妻さんにお話すると言ったのです」

若造「長妻さんって、議員の?」

私「どこかの大臣をやっているでしょう」


まあ、「癌細胞は感謝すべき細胞だ」などと主張する人にとっての常識の話だから。医学についての素人であっても、異物を取り除くのが困難であれば、ムリヤリ取り除くよりそのままにして置いたほうがよい場合だってあることは、常識的にも理解できるであろう。医療機関側には、是非とも毅然とした対応をとっていただきたい。ここまでは、話がこじれた原因は、健康かむかむさんが現代医学を信頼していない点にあるのだろうと思っていたが、コメント欄を見ると、別の理由もあることに気付いた。



端的に言って、靴や鞄の修理屋さんと「医療」とは何の違いも有りません。
修理をお願いして、完全に修理していただけなければ、お客さんは怒りますよ。お客は代金の返済を求めますし、修理屋さんは無料で再修理してくれますよ。
このような常識が何故、医療には無いのですか?


靴や鞄の修理屋が完全な修理が要求されるのと同様に、医療においても完全さが要求されるべきだと、健康かむかむさんは主張されておられるのだ。医療の不確実性に対する理解不足がみてとれる。靴や鞄であっても完全な修理が困難なこともあるだろうが、それ以上に、というか比較にならないほど、人体は複雑で予測不可能である。医療者にできることは、良い結果になる確率の高い医療を選択することだけであって、完全な「修理」は保障できない。正しい選択をしても結果が悪いこともある。

現代医学を否定する人が、理想的な医療を靴や鞄の修理に喩えるのは興味深い。なぜなら、彼らはしばしば、現代医学は人体を単純に、パーツの集まりに過ぎないようにみなしているとして批判するからだ。彼らの典型的言い分は、たとえば、「癌の原因を考えずに、外科的に癌を切り取ってもダメだ」「心臓が悪ければ心臓を、肝臓が悪ければ肝臓を取り換える移植医療ではダメだ、全身を診ろ」といったものだ。実際には、癌の予防についても現代医学は成果を挙げているし、全身を診らずに移植医療などできようはずもないのだが。人体を単純にみているのは、現代医学と、医療を靴や鞄の修理に喩える方と、いったいどちらであろうか。


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*1:必要なのは「救急医療」だけ! URL:http://plaza.rakuten.co.jp/kennkoukamukamu/diary/200812010001/