NATROMのブログ

ニセ医学への注意喚起を中心に内科医が医療情報を発信します。

小径腎細胞癌の腎臓を移植しても結構大丈夫だけど

■そろそろ感染する癌について一言いっておくか(SaitoToshiki.com)で、「感染する癌」という興味深い話題が取り上げられた。感染する癌といっても人ではなくイヌの話。人の癌は感染しない。がん細胞を取り出して培養するとよく増える。しかし、ある人のがん細胞を取り出して、別の人に植え付ける実験を行っても、普通は増殖しないと考えられる。リンク先で指摘されているように、がん細胞を免疫系が異物として認識し排除するからだ。だからこそ、「感染する癌」の話を聞いたときに「ありえない。まず、どうやってアロのバリアーを先ずクリアーするんだ?」という疑問が生じるし、「感染する癌」は珍しいのだ。では、がん細胞を移植してもレシピエントの体内で増殖しないのなら、臓器移植のときに、ドナー側に悪性腫瘍があるとなぜ禁忌となるのだろう?難波紘二先生は「がんは伝染病ではない。遺伝子病だ。だから、仮にがんそのものを他人に移植しても移植は成功しない」*1と主張しているが、移植の際には拒絶反応を抑えるために免疫抑制剤を使う。移植片に対して拒絶を起こさないほど免疫を抑制すれば、がん細胞に対する排除だって働かなくなるかもしれないではないか。これは「実験してみないとわからない」類の話である。

難波紘二先生は「病理学的予測では、強力な免疫抑制剤サイクロスポリンを使用していても、レシピエントに移植腎に由来するがんの再発や転移はないはず」とも述べているが、あまりに単純すぎる見方だ。偶発的ではあるが、移植に伴なうがんの移入のケースはある。たとえば、髄膜炎による死亡とされ、腎臓(2個)、肝臓、膵臓を移植に使用され、あとから髄膜炎ではなく悪性リンパ腫と診断されたケースは、肝レシピエント、膵レシピエントは死亡、腎レシピエントは2名とも腎摘出+化学療法を受けた。(詳しくは、mixiで病気腎移植について@病気腎移植を冷静に語るの2008年07月14日 22:12から述べた。)未治療の悪性リンパ腫がヤバイというのはわかる。じゃあ、どの程度までなら移植に使ってOKなのか?どんなに小さくても癌があったらダメなのか?*2宇和島徳洲会病院の万波医師による病腎移植がよく知られているが、よく万波医師擁護の文脈で言及される、オーストラリアのクイーンズランド大学のデビッド・ニコル教授による論文があったので読んでみた。ちなみに万波医師の論文は参考文献として挙げられていなかった。



Nicol DL et.al, Kidneys from patients with small renal tumours: a novel source of kidneys for transplantation., BJU Int. 102(2):188-92(2008)


移植症例数は43例。ドナーは小径腎腫瘍(3cm未満)を持った患者で死体ドナー3例を含む。(ネフローゼ症候群をドナーにしたりしない。話のわかるヤツだ。)組織学的には淡明細胞癌(clear cell carcinoma) 25例、乳頭状腎細胞癌(papillary carcinoma) 5例、嫌色素細胞癌(chromophobe carcinoma) 1例の31例が悪性腫瘍。残りは血管筋脂肪腫などの良性腫瘍および死体ドナーの対側腎。フォローアップ期間の平均値および中央値はそれぞれ32ヶ月と25ヶ月。再発したのは1例だけ。再発は移植の9年後に、移植片の腫瘍を切除された側と離れた位置に認めた。4例死亡があるが、腎臓とは無関係な死因であった。

まあもうちょっと様子を見たいところではあるが、意外と良い成績である。部分切除後の局所再発率が0-4%だそうだから、多分、それとあまり変らないのだろう。"a novel source of kidneys for transplantation"と論文のタイトルにあるように、移植腎の新しい供給源になりうる。ただ問題は、レシピエントの再発率ではなく、ドナーからの腎摘出の妥当性である。たとえ癌の危険性があっても腎移植を希望するレシピエントはいるだろう。十分なインフォームドコンセントがなされていればそれはかまわない。しかし、腎癌患者が移植のためにリスクのある治療法が選択されることがあってはならない。この論文では、ドナーからの同意の取り方に気を使っている。まず、摘出腎を移植に利用する可能性に言及する前に部分切除か全摘出かの選択をさせ、全摘出を選択を決定した後に腎臓を移植に利用して良いか尋ねた。もちろん、移植とは無関係に治療法が選択されるようにという配慮からである。また、レシピエントの手術は腎摘出に関わっていない外科医によってなされた。

そこまで気を使っても、やや批判的なEDITORIAL COMMENTがついている。"Unlike 10 years ago, there is now persuasive information that patients with RCC are at risk of chronic kidney disease.(10年前と違って、腎細胞癌患者には慢性腎臓病のリスクがあるという説得力のある情報がある)"。慢性腎臓病(CKD)とは比較的新しい疾患概念で、たとえ透析が必要なほどではなくても、腎機能の低下自体が心疾患や脳血管障害のリスクとなるという話。"As such, this issue now provides a compelling medical rationale for nephron-sparing surgery.(このように、CKDの問題はいまやネフロン*3を温存する外科手術に無視できない医学的根拠を提供している)"。腎細胞癌患者は、術後の癌の再発よりも、慢性腎臓病による諸リスクを心配するべきかもしれないのだ。病腎移植に関する問題は、結局、以下のEDITORIAL COMMENTからの引用につきる。



Above all, these patients need to be considered as 'renal tumour patients' first and that any consideration for using the kidney for transplantation must be secondary. (何よりもまず、これらの患者は、「腎腫瘍患者」とみなされる必要がある。移植のために腎臓を使用するいかなる考慮も二次的であるべきだ。)


今後、病腎移植を行っていくのであれば、ドナーの権利が十分に保護されなければならない。それはそれとして、「部分切除すれば小径腎細胞癌の腎臓が移植に使える」という知見は、親族間の腎移植や死体腎移植に活用できるだろう。


*1:URL:http://www3.realint.com/cgi-bin/tarticles.cgi?koukogakuiken+325

*2:ちなみに日本移植学会の生体腎移植ガイドラインによれば、悪性腫瘍であっても原発性脳腫瘍及び治癒したと考えられるものは適用基準内

*3:nephron:腎単位