NATROMのブログ

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日本における「寝取られ男」の割合は?

最近、■夫の10%は妻を寝取られている──危険日の女性が露出度高いのなんでだろう(愛と哲学の自分探し(生きる意味は結婚?)セックスサイエンスと人生論が結ばれる哲学初体験)という記事が100個越えるブックマークを集めた。内容は、タイトルから予想されるように、竹内久美子的なお話。まあ、うまく書けている。私が興味を持ったのは、浮気による子の割合について。



ところが、これほどかりそめの恋で身ごもる確率は低いにもかかわらず、アメリカでは13〜20%、ドイツでは9〜17%の子どもが、実の子でないことが明らかになっています。日本では、裁判所の調査によると子どもの10%は、父親の遺伝子を受け継いでいません。世界的規模で行われた血液検査でも、10%という結果が出ています。皮肉なことに、こういう事実は、子どもが瀕死の病気にかかり、父親から臓器を移植しなければならない段になって初めて発覚することが多いのです。


エントリーのタイトル「夫の10%は妻を寝取られている」はこのデータに由来している。「具体的だな。ソースは?」とブクマコメントをつけたからなのか、現在ではデータの出典が示されている。一般書がソースだが、おそらく原著論文もあるのだろう。具体的な調査方法まで分からないとなんとも言えない。たとえば、「日本の子どもの10%は、父親の遺伝子を受け継いでいません*1」というのは裁判所のデータに由来するわけで、裁判所で鑑定をしようかってケースは浮気が強く疑われている状況であるから、"寝取られ率"*2が高目に出るのは当然で、一般化はできない。

"寝取られ率"は文化の影響を受けるだろうから、アメリカやドイツの状況については分からないが、日本の10%というのはいくらなんでも高すぎるように思える。私の知り合いの劇画原作者によれば、日本の"寝取られ率"の推定値は1-2%であるそうだ。彼が大学院生のころ、とある病気に関係する遺伝子を探す研究をしていたのが、その方法というのが病気の同胞(兄弟姉妹)を数多く集めて連鎖解析するというもの(罹患同胞対解析)だった。何でそんなことで病気の遺伝子が探せるのか説明は省略するが、要するにたくさんの同胞対の遺伝子型の情報を持っていたわけだ。あるときボスが言うには、「これだけ同胞対を集めていたら、異父兄弟(もしくは異母兄弟)とか混じっていてもおかしくないよね」。同胞であるという前提で解析するものだから、異父兄弟が混じると不正確な結果になってしまい、いささかまずい。同胞と異父兄弟を区別する方法はあるのか?両親の遺伝子型データがあれば簡単だが、この場合は同胞のデータのみしか使えない。

ある遺伝子座について、一卵性双生児であれば遺伝子型は同じなので2つの対立遺伝子を共有する。同じ両親から生まれた同胞(full-sib)であれば、共有する対立遺伝子数の期待値は1である*3異父兄弟(half-sib)なら0.5。あくまで期待値なので、一つの遺伝子座の情報からはそのペアが同胞なのか、異父兄弟なのかは区別できない。ならば多数の遺伝子座の情報があればどうか。全ゲノム解析をしていたので、数百個の遺伝子座についての情報があった。これだけのデータがあれば、同胞と異父兄弟とが区別できるのではないか。

私の知り合いの劇画原作者は、それぞれのペアにおいて、すべての遺伝子座における対立遺伝子を共有する数の平均値を出した。理想的な遺伝子マーカーだけならば対立遺伝子共有数は1となるが、実際のところは十分な多型を持たないマーカーが混じるので1.35ぐらいのところにピークをもつ正規分布となった*4





私の知り合いの証言を元にテキトーなシミュレーションによって再現したヒストグラム


だがしかし、仲間外れが3ペアほどあった。非常に低い確率だがたまたま偶然に多くの遺伝子座で対立遺伝子を共有しなかった同胞という可能性も否定できないけど、まあ異父兄弟(もしくは異母兄弟)なのだろう。X染色体の情報もあったので、やろうと思えば異母兄弟か異父兄弟かを区別できたかもしれないが、そこまではやっていないそうだ。150ペア300人ぐらいの中で、そのうちの3ペアが異父兄弟(もしくは異母兄弟)。300人中の3人が浮気の結果の子と考えれば1%、夫婦150ペアのうちの3ペアと考えれば2%。少なくとも10%というような数字ではない。遺伝子型を調べた対象の年齢は大体20歳から60歳ぐらいですべて日本人(のはず)。

もちろん、真の"寝取られ率"と乖離する要因はいくらでもあるのであくまで参考値として。対象は病気の人だけ集めた偏ったものである。再婚しての子であるなら「寝取られた」ことにはならないが、本人たちが再婚後の子であることを知らされていなかったかもしれない。あるいは、異母兄弟(異父兄弟)であることを知った上で、遺伝データを提供してくれたのかもしれない。臨床の現場では「ご兄弟に同じ病気の方はおられますか?」などと聞くが、「確かに同じ両親から生まれた」のか確認し忘れるってこともある。何より、この遺伝情報からは「この同胞の生物学的父親は同一である」とは言えても、「生物学的父親と戸籍上の父親が同一である」ことは保障されない。同じ男に二度寝取られたかもしれないではないか。


*1:現在では裁判所のデータであると、きちんと明記されている

*2:子ができなくても浮気されたら「寝取られた」と言えるので、寝取られ率というのはおかしいのだが、他に適当な用語を思いつかなかったので。「結婚している夫婦間に生まれた子の生物学的な父親が戸籍上の父親と異なる確率」のことと思ってくれ。

*3:受精のとき、両親からそれぞれ一つずつ対立遺伝子をもらう。両親は一つの遺伝子座について二つの対立遺伝子を持っているが、そのどちらが子に伝わるかは半々である。父親の遺伝子型をAB、母親の遺伝子型をCD、長男は父親から対立遺伝子A、母親から対立遺伝子Cを受け取って遺伝子型ACであるとしよう。さて、問題となっている遺伝子座において次男と長男が共有する遺伝子[IBD:identical by descent]の数はいくつか。次男の予想される遺伝子型は、AC、AD、BC、BDの4通りであり、それぞれの確率は25%ずつである。共有する対立遺伝子の数は、ACのとき2個、AD,BCのとき1個、BDのとき0個である。2×0.25+1×0.25+1×0.25+0×0.25=1。

*4:十分な多型のないマーカーだと、見た目の対立遺伝子共有数は増える[たとえば、父親の遺伝子型AA、母親の遺伝子型CCだと、子はすべて遺伝子型ACになって、共有する遺伝子数は見かけ上2個となる]。それに、本当は各マーカーは連鎖しており独立していないので、単純に対立遺伝子共有数の平均をとるのは不正確。でもまあ、half-sibを見つけ出すという目的ならこれで十分。