NATROMのブログ

ニセ医学への注意喚起を中心に内科医が医療情報を発信します。

耳垢の遺伝子の研究のすごいところ

耳垢の乾湿は、ヒトにおいて単純なメンデル遺伝する形質の古典的な例である。耳垢の乾湿を決める遺伝子が、一塩基多型のレベルまで明らかになったという記事。ネイチャー・ジェネティクス誌に掲載された。「目に見える遺伝的形質を決定するDNA多型の最初の例」なのだそうだ。


■耳あか遺伝子:長崎大研究者ら発見 薬処方に役立つ可能性


 耳あかの乾湿は遺伝によることが約70年前から分かっていたが、具体的な遺伝子は不明だった。日本人は7割以上が乾型だが、白人や黒人は97〜99%が湿型など、民族で違いが大きいことも知られていた。
 長崎大大学院医歯薬学総合研究科分子医療部門の吉浦孝一郎助教授と新川詔夫(のりお)教授らは、長崎県在住の日本人126人の耳あかの型を調査した。同時に「ABCC11」と呼ばれる遺伝子の特定の部分が「アデニン」(A)という塩基でできているか、グアニン(G)でできているかを分析した。
 乾型は88人おり、うち87人が、父母の両方から「A」でできた遺伝子を受け継いでいる「AA」型に分類された。湿型は38人で、全員が父母の片方または両方から「G」を受け継いだ「GA」型か「GG」型だった。
 このため吉浦助教授らは、この遺伝子が耳あかの乾湿を決め、父母のどちらかから「G」を受け継ぐと、耳の中で脂肪分が分泌されて耳あかが湿型になると結論づけた。
 1人だけ、「GA」なのに乾型の人がいたが、この人の遺伝子は一部が欠けており、脂肪分を分泌する働きが失われていると考えられた。
 さらに詳しく遺伝子を分析し、考古学の研究と合わせると、この遺伝子はもともと「G」型が一般的だったが、約2万年前にシベリアなど北東アジアに「A」型に突然変異した人が1人現れ、その子孫が世界に広がったことも推測できたという。

「薬処方に役立つ可能性」ってのは、本当は、比較的どうでもいい部分。でも、どのように役に立つのか?と聞かれて、「いや〜、役に立つかどうかはわからないけど、興味深いでしょ。だって、耳あかの乾湿がメンデル遺伝することはみんな知っていたけど、これまでどの遺伝子が決定しているのか誰も知らなかったんです」じゃ、科学者以外の人はあまり納得しないだろう。「ABCC11は薬剤など化学物質の代謝にかかわっており、将来処方に役立つ可能性がある」などと答えておくのが正解。予算もとりやすい。

耳垢の乾湿の遺伝子については、2002年のランセット誌に同じグループによる連鎖解析の論文が載った。家系を探し、インフォームドコンセントをとり、DNAサンプルを集め、遺伝マーカーをタイピングし、解析するのはそれなりに大変な仕事であるが、もともとは「発作性運動誘発性コレオアテトーシス」の原因遺伝子を調べるための研究であったので、遺伝マーカーのタイピングまでは済んでいる。解析するときに表現型のデータを変えればそれでOK。余計なコストはほとんどゼロ。それでランセット誌。

ここまでが古典的な連鎖解析。おおまかに言えば、連鎖解析とは大家系を調べて目的の遺伝子がどの染色体のだいたいどの辺にあるのかを調べる研究だ。たとえるなら、○○市○○町ぐらいまで特定できていたわけ。何丁目の何番地の誰それまで特定したのが今回の論文。耳垢が湿っている人とそうでない人で、連鎖解析で絞り込まれた範囲の遺伝的多型をかたっぱしから調べて、差があるところが目的の遺伝子だ。これを相関解析という。

耳垢の乾湿はメンデル形質だから、サンプルサイズは126人で十分。「GAなのに乾型である」という例外も、問題となっているSNPs以外に変異があったわけで、こうした例外こそがABCC11遺伝子が耳垢の乾湿に寄与する遺伝子であることを示している。これが糖尿病や心筋梗塞といった、非メンデル的な形質であったら、サンプルサイズが100人ぐらいじゃ全然足りない。非メンデル的な形質では、疾患感受性遺伝子を持っていても発症しなかったり、逆に持っていなくても発症したりする。よってたくさんのサンプルを調べて統計的に有意差を示す必要がある。

下手すりゃ、何百人、何千人もの全ゲノムの遺伝マーカーを調べて、空振りという結果になったりする。予算をつぎこんだあげく、あまり良い論文にならない。そういう研究に比べると、使った予算は100分の1にもならないだろう。それでネイチャー・ジェネティクス誌。耳垢の遺伝子をつきとめたこの研究のすごいところは、そのコストパフォーマンスにある。