NATROMのブログ

ニセ医学への注意喚起を中心に内科医が医療情報を発信します。

コメント欄での警告の記録

2021年3月18日からしばらくの間、「自己紹介なし、あいさつなしでの初見の書き込み」を制限する。違反した場合は、問答無用で削除することもあり。

理由。コミュニケーションを取る気がない、あるいは、その能力のない同一人物による書き込みが強く疑われる状況であったため。

詳細。■(主に)過剰診断の定義に関する記録 - NATROMのブログのコメント欄にて、「菊池誠先生が力説」「癌検診学」「菊池誠の流儀」「無知の知」「希望者の検査」「同程度に病気」「ガイドラインの問」といった、これまで使われていないハンドルネームでのコメントが相次いだ。挨拶や自己紹介なし。コメントに対して返答するも返事なし。2021-03-16 08:36にブログの管理者である名取宏が「挨拶も自己紹介もなしにいきなり書き込むのは無礼です。そろそろ自己紹介なし、あいさつなしでの初見の書き込みを制限することを検討するころあいでしょうか」と注意を喚起した。にも関わらず、「希望者の検査」というハンドルネームで、「自己紹介なし、あいさつなしでの初見の書き込み」が発生したため。



2021年1月28日から、KDNuc氏(KDN氏)のコメントを禁止する。禁止の解除の条件は、断りなく自分のコメントを削除したことが誠実さに欠けていたと認め、謝罪し、今後はそうした行為をしないと約束することである。

理由。KDNuc氏は議論の最中に何の断りもなく自分のコメントを削除することによって、健全な議論を著しく阻害したため。

詳細。■「過剰診断」とは何かのコメント欄において、しばらくの間は新規コメントがない状態であったが、2021年1月19日にKDNuc氏がコメントを書き込み、その後、TAKESANさんや私が応答したが、2021年1月26日の段階でKDNuc氏のコメントが見えなくなっていることに気づいた。その点について指摘してはじめて、KDNuc氏は「お邪魔にならぬよう下記のまとめに移動しています」とコメントした。もちろん、邪魔であるとも移動しろとも言っていない。

KDNuc氏の最初のコメントの内容は質問とも答えともつかない意味がよくわからないものであったし、その後もKDNuc氏は過剰診断の基礎的な知識に欠けるようなコメントを続けた。それでも誠実に議論を行うつもりであればコメントは歓迎する。しかし、断りなく自分のコメントを削除するのは誠実に議論を行う態度とは言えない。これでは議論を振り返ることができない。現在(2021年3月18日)ではTAKESANさんが突然、「なぜ右側の割合を書かないのですか?」(2021-01-19 09:55)と意味不明のコメントをしたように見える。

KDNuc氏は過剰診断のごく基本的な知識に欠くだけでなく、議論をするにあたってきわめて不誠実であると私はみなしている。「邪魔になったから移動した」のではなく、一覧性の高い場所で自分のコメントを読まれると自分の間違いが明確になるがゆえにKDNuc氏は自分のコメントを削除したと私は考える。



2020年4月5日から、浅見真規氏のコメントを禁止する。
理由。ネットやテレビ番組の情報を根拠に医師をはじめとした専門家の持つ知識を類推し、その点を指摘されても理解できず、健全な議論ができないため。
詳細。■もし家族が肺炎になったら新型コロナの検査を要求するか?のコメント欄において、議論らしきものが起きた。浅見真規氏のコメントには多くの問題があるが、たとえば、『「新型コロナは両肺に病変が出るのが特徴」という事を知っていた日本人医師は少数』と述べ、その根拠として医学論文や医師向けの日本語の雑誌にすらはあたらず、「ネットのニュース記事」「テレビでのインタビュー」を持ち出してきた。このブログに限らず、浅見真規氏は「あらゆる分野について自分は専門家より詳しいと思い込んでいる人」のようで、ネット上の複数の場所で、有意義な議論ができないと評価されている。■新型インフルエンザワクチンを打ったよを参照のこと。



2021年12月5日から、喫煙に関係のないエントリーでまさ氏が喫煙に関するコメントをすることを禁止する。

理由。まさ氏は喫煙の害を過小評価する発言をしばしば繰り返しており、迷惑であると再三指摘されていた。コメント欄の質を恒常的に低下させている。逐一反論するのは手間であるし、無視していてもやめない。

詳細のごく一部。■「万能薬」ができるわけにおいて、2021年12月4日に、元外務官僚で作家の佐藤優氏が前立腺がんと診断されたこと、末期腎不全であること、妻がドナーである腎移植を断念したことに続いて、まさ氏は『この場合、禁煙学会などは、佐藤さんが喫煙者であれば「タバコが原因」と喜んで拡散するでしょう。残念でしたね』と発言した。脈絡がなく意味がわからない。そもそも万能薬のエントリーで佐藤氏のエピソードを紹介する意味がわからない。



2021年12月20日から、まさ氏のコメントを禁止する。上記したように、まさ氏のコメントには迷惑を被っており、それが累積した上での禁止であるが、直接の理由は■「万能薬」ができるわけにおける、専門家軽視のコメントである。

まさ氏はしばしば、自身が読んでもいない論文に対して批判するなど、安直な専門家否定を繰り返しており、「批判をするのであれば論文を読むべきだ」「教科書を読むなどして最低限の知識を身に付けるように」と指摘されていた。2021年12月19日、まさ氏は、新潮文庫『日本の聖域 ザ・コロナ』の医学部教授の言葉、「専門誌を読み込めるようになるには最低10年程度の訓練が要る。医系技官ではどんなに優秀でも難しいだろう」などを引用し、『医学部教授の言葉が正しいとすれば、私が新聞等で読んだことをこちらで書き込んで「それは原著論文(またはそれに近いもの)を読んだのか?」とか「論文も読めない人に云々」といった、なとろむ先生やTAKESANさんなどのご指摘は正しくないことになる』と主張した。

医学部教授の言葉が正しいとしても、「論文を批判するには10年程度の訓練を要する」ことになり、私やTAKESAN氏の指摘が正しくないことにはならない。まさ氏の「私のような者にそれほどの条件が必要でしょうか」というコメントから推測するに、10年程度の訓練どころか、批判対象の論文すら読まなくても、まさ氏のような人物は論文を批判できるらしい。もちろん、批判は自由であるが、このブログのコメント欄では発言には責任を持っていただきたいので、そのような批判はどこか別のところでやっていただきたい。再三、まさ氏に申し上げてきたことである。繰り返すが、まさ氏のような、論文を読まずに論文を批判できると思っている人物が『NATROMのブログ』でコメントするのはたいそう迷惑である。

まさ氏に『主張を撤回し、謝罪し、今後同じようなことを起こさないことを約束』するようにと通告したが、撤回と謝罪はしたものの約束がなされなかったため、2021年12月20日以降、NATROMのブログでのコメントを禁止することとした。なお、謝罪についても口先だけのものだと私はみなしている。「素人でというなら専門家否定をやめろというのは、社会や各専門分野、科学界のルールでなく、なとろむ先生やTAKESANさんが設定した条件」だと、まさ氏は主張*1するが、私の知る限りにおいて、自分が読んでもいない論文を否定することが許されているアカデミックな場は存在しない。むしろ、そのような無法が容認されているのは、コントロールされていない掲示板やSNSのような、いわゆる「便所の落書き」とされるような場所だけである。『NATROMのブログ』のコメント欄にはそのような場所ではない。

コメントが禁止された後も、まさ氏は何度もコメントしてきた。荒らし対応は無視が基本であり、粛々と削除している。きわめて迷惑である。IPアドレス規制などの強制力を伴う処置も行ったが、他の方が巻き込まれるのを防ぐために時間とともに解除したり、あるいはIPアドレスの変動によって、書き込めてしまうことがある。まさ氏は、自分に都合よく、コメントが許されたと解釈する。認知のゆがみがあると私は考えている。

*1:言わずもがなであるば「素人であれば専門家否定をやめろ」というような雑なことは言われていない。非専門家にも専門家に対する批判は開かれている。10年の訓練が必要だとは私は考えない。しかしながら、論文自体を読まずに論文を批判する、などといった怠惰が許されるかどうかは別である。「素人にどこまで求めるのでしょうか」とまさ氏は言うが、論文を批判するならまず論文を読め、というのが果たしてそれほど高い要求なのか