NATROMのブログ

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サードハンドスモーク ―疫学では見えないリスク―

日本における受動喫煙による超過死亡数は年間約6800人という推計がある*1。この推計は疫学的に「見える」リスクに基づいて計算されたものである。セカンドハンドスモーク(二次喫煙)のリスクは疫学的に見える。セカンドハンドスモークとは燃えている煙草の端からの煙や喫煙中の人の吐く煙のことで、一般的にいう受動喫煙のことである。

比較的新しい概念であるが、サードハンドスモーク(三次喫煙)と呼ばれるものもある。サードハンドスモークとは、衣服や髪、家具などの屋内環境に残留するタバコの汚染物質のことである*2。たとえば、非喫煙者の親が外でセカンドハンドスモークにさらされ、服を着替えずに帰宅すれば、家の中にいる子はサードハンドスモークに曝露するというわけである。ProtanoとVitaliは、「セカンドハンドスモークという用語を受動喫煙と同じ意味で使うのはもはや適切でない」と述べている。受動喫煙はセカンドハンドスモークのみならず、サードハンドスモークも含む概念であるというわけだ*3

サードハンドスモークの害がどれくらいかはわからない。私が知る限りにおいてサードハンドスモークの長期的な健康障害が疫学的に観察されたことはない。仮に害があったとしても、常識的に考えればきわめて小さいものであろう。しかし、害がゼロだという証明はできない。タバコの煙の害に閾値(これ以下ならリスクは無いというレベル)はないとすれば*4、どんなに微量であっても害はあるということになる。合理的に達成可能であれば、サードハンドスモークの曝露は少なければ少ないほど良い。ただ、問題となるのは、どこまでが合理的に達成可能とみなすか、という点である。

自分で好んで喫煙をしているのではなく受動的にタバコの煙にさらされる側は、何のメリットも無くリスクだけ負わされる。これは不当なリスクであり、可能ならばゼロのほうが望ましいことには議論の余地は無い。しかし、サードハンドスモークの曝露をゼロにするのは、きわめて難しい。

喫煙ゾーンや喫煙室を設けたり、時間で分煙したりでは、どれだけ徹底してもサードハンドスモークはゼロにならない。施設内全面禁煙としても、サードハンドスモークはゼロにならない。通勤途中の自家用車内での喫煙や、昼休みに施設外で一服するのもダメ。細かいことを言えば、本人が非喫煙者であっても、喫煙している人のそばを通り過ぎるだけでもダメ。サードハンドスモークを含めた受動喫煙がゼロである社会は、喫煙者が存在しないか、完全に隔離されている社会である。不当なリスクはどんなに小さくても許されないとする非寛容な社会は息苦しいと思う。


*1:■受動喫煙による死亡数の推計について(解説)

*2:本エントリーの記述は主に、Protano C, Vitali M., smoke: why passive smoking does not stop at secondhand smoke., Environ Health Perspect. 2011 Oct;119(10):A422、及び、Matt GE et al., Thirdhand tobacco smoke: emerging evidence and arguments for a multidisciplinary research agenda., Environ Health Perspect. 2011 Sep;119(9):1218-26. に基づく

*3:ProtanoとVitaliの意見に従えば「日本における受動喫煙による超過死亡数は年間約6800人」ではなく「日本におけるセカンドハンドスモークによる超過死亡数は年間約6800人」と言うべきだ、ということになる

*4:■「受動喫煙に閾値なし」世界禁煙デー記念シンポジウム開催/専門家ら招き講演や討論:医師のための専門情報サイト[MT Pro]