NATROMのブログ

ニセ医学への注意喚起を中心に内科医が医療情報を発信します。

マイコプラズマ・ファーメンタンス・インコグニタスについての噂

■エイズに似た怪病が中国で急速に拡散しているという話はたぶんガセのコメント欄にて、「エイズに似た怪病」の原因が“マイコプラズマ・ファーメンタンス・インコグニタス株”なのではないかという噂について情報提供をしていただいた。調べてみたところ、阿修羅掲示板に「米国のばら撒いた生物兵器」なんて話まである一方で、ちゃんとした医学論文もある。2ちゃんねるの「非クラミジア性非淋菌性尿道炎」というスレッドでは、この感染症の蔓延を危惧する書き込みもあり、ネット上での不確かな情報の拡散は恐ろしいことであるなあと再認識した。リスクのある性行動に慎重になってもらえるという一面はあるものの、個人輸入した薬剤の不適切使用や特定の民族差別につながりかねないので、まとまった対抗言論があったほうがいいだろう。まず、マイコプラズマ・ファーメンタンス(Mycoplasma Fermentans)およびincognitus株に関する噂を箇条書きをしてみよう。ガセの可能性が高いと思われる情報を上のほうに、それなりに信用のおける情報を下のほうに並べた。

  • このままゆけば人類は確実に滅びる。地球が人類を削減する目的で新しく設定した新病である。
  • インコグニタス株は、自然界に存在するマイコプラズマ・ファーメンタンスを人工的に病原性を持たせた細菌である。
  • マイコプラズマ・ファーメンタンスは米国のばら撒いた生物兵器である。
  • マイコプラズマ・ファーメンタンスと言う大変恐ろしい細菌が性産業で蔓延している確率が高い。
  • 非クラミジア性非淋菌性尿道炎の患者のうち、尿道炎とは全く結びつかない神経疾患に悩むものが出てくるであろう。
  • 性行為だけでなく、結核のような空気感染もある。キスだけや、コップのまわしのみでも感染する。
  • ドキシサイクリンという抗生剤の長期投与が効果がある。
  • マイコプラズマ・ファーメンタンスはALS(筋萎縮性側索硬化症)の原因の一つである。
  • マイコプラズマ・ファーメンタンスは湾岸戦争症候群(GWSもしくはGWI)の原因の一つである。
  • マイコプラズマ・ファーメンタンスは慢性疲労症候群(CFS)の原因の一つである。
  • マイコプラズマ・ファーメンタンスは関節リウマチの原因の一つである。


玉石混交である。比較的まともな情報は、マイコプラズマ・ファーメンタンスとある種の疾患の関係についてで、ちゃんと医学論文となっている。自己免疫性疾患が感染症をきっかけに発症することは以前からよく言われており、関節リウマチとマイコプラズマに関連があったとしても、ぜんぜん不思議ではない。論文も多く、日本語の総説もあった(川人豊・松田和洋、Mycoplasma感染症と関節リウマチ、リウマチ科 41巻3号 P293-298(2009))。少し引用しよう。



関節リウマチ(RA)の発症機序として以前より感染説があり,そのなかでMycoplasmaは最も有力な候補として注目されてきた。とくに,M. Fermentansに対する血清抗体価やPCRを用い,RA患者の血液,関節滑膜組織,関節液で30〜40%前後の陽性率があることが報告されているが,RAの病因との関連性について明確な結論が得られていない.


「抗リウマチ薬である金製剤やミノサイクリンはマイコプラズマに対する抗菌活性を持つ」なんて話*1も面白いが、それはそれとして、報告が多い*2関節リウマチとの関連についてすら「明確な結論が得られていない」のが現状である。慢性疲労症候群となると、報告数はぐっと減る*3。慢性疲労症候群についても先行する感染症が原因じゃないかとは以前から言われてきたが、EBウイルス(EBV)やヒトヘルペスウイルス6(HHV-6)との関連のほうが注目されており、マイコプラズマ原因説はマイナーな部類である。湾岸戦争症候群も同様で、心的外傷後ストレス障害(PTSD)、劣化ウラン、油田火災の煙、化学兵器などとならんでマイコプラズマ説もあるよ、といった程度のもの*4。そもそも、湾岸戦争症候群は、化学物質過敏症と同じく、疾患概念自体が懐疑的にみられている。まとめると、マイコプラズマ・ファーメンタンスと各種疾患の関連は、まだ「可能性がある」という段階。ましてや、「コップのまわしのみでも感染する」「性産業で蔓延している」という情報には根拠はない。

論文を検索して、だいたいの流れが見えてきた。キーパーソンは、ニコルソンという医師(Dr. Nicolson GL)。マイコプラズマ・ファーメンタンスに関する論文をいくつか書いている。湾岸戦争症候群やALSとの関連についてはこの人が発端のようである。"mycoplasma fermentans ALS"で検索して唯一ひっかかる論文がニコルソン医師によるものだ。最近では、自閉症スペクトラム障害(Autism Spectrum Disorders)との関連についても報告している。リウマチ性関節炎と関係があるなら、他の疾患とも関係があるだろう、という推測は妥当なものである。ニコルソン医師はいろいろ調べて報告したわけだが、あまり他の専門家の興味を引いていないというのが現状。

ここから私の推測。性感染症を疑い恐れるものの、客観的検査で異常所見の出ない「患者」が、マイコプラズマ・ファーメンタンスの慢性感染という疾患概念に乗っかったのだろう。苦しい自覚症状があるにも関わらず、客観的な異常所見を認めないことはざらにある。患者さんを安心させるような説明を行い、対症療法を行えば多くはそのうち自然に良くなるのだが、医師の初期対応が悪かったり(「気のせいでしょう。これぐらいで病院に来ないでね」)、症状が持続したりしたときに問題が起こる。患者は、症状を説明してくれる病名を探し求めることになる。「やっぱり私の症状は気のせいなんかじゃなく、精神病でもなく、マイコプラズマによるものだったんだ」という説明そのものが、患者にとっては癒しになるのだ。「エイズに似た怪病」もそうだし、「化学物質過敏症」の少なくない例もそうだろう。「エイズに似た怪病」やマイコプラズマ・ファーメンタンスの感染を疑っている人たちを臨床環境医が診察したら、化学物質過敏症と診断すると思う。症状は化学物質過敏症とまったく一致する。実際、■エイズに似た怪病が中国で急速に拡散しているという話はたぶんガセのコメント欄で、臨床環境医と思われる医師からネオニコチノイド系の急性農薬中毒を疑われたというコメントがあった。

気のせいだと突き放されるよりかは、何でもいいから説明がついたほうがいいのかもしれないが、リスクのある治療法が勧められるとなると話は別である。2ちゃんねるでは、抗生剤の個人輸入と長期内服を勧める書き込みもある。





個人輸入でビブラマイシン、すなわちドキシサイクリンを購入するのだ


さまざまな症状に何らかの感染症が関与している可能性は確かにゼロではない*5。けれども、冷静になって考えてみて欲しい。湾岸戦争は約10年前、関節リウマチとの関連性が指摘されたのはそのさらに前だ。マイコプラズマ・ファーメンタンスが死ぬような病気を高い確率で引き起こすようなら、とっくに気付かれている。関節リウマチや湾岸戦争従軍者が、ここ10年でバタバタ死んでいるか?感染力についてもそう。関節リウマチや湾岸戦争従軍者の家族が、どんどん同じ病気になっているか?性産業の従事者が、リウマチやらALSやらを発症しているか?2ちゃんねるの素人集団が気付くほど感染力・病原性が強い感染症を、専門家集団が見落とすという可能性がどれくらいあるだろう。

ましてや2ちゃんねるの情報を信じて薬を服用するなど正気の沙汰ではない。ネタにしにくい話だったが、さすがになんらかの注意を喚起しておいたほうがいい思ってこのエントリーを書いた。自己判断での内服はお勧めしない。もし、薬を服用して、さらに不調になったり、死んだりしたら、たとえ薬の内服との因果関係がなくても、「ネットの真偽不明の情報を鵜呑みにして薬を飲んだからだ。自業自得」とされてしまうぞ。そんなギャンブルをする前に、精神科受診も含めて、病院をかえてみるなど、やれることがあるだろう。


*1:念のため。最近のリウマチの薬は、むしろ感染症に弱くなる副作用を持った薬である。また、関節リウマチとマイコプラズマ感染に関連があるとして、抗生剤で良くなるかどうかは別問題。禁煙しても肺癌は良くならないでしょ。

*2:"mycoplasma fermentans" "rheumatoid arthritis"でpubmed検索したら31件

*3:"mycoplasma fermentans" "chronic fatigue syndrome"だと7件

*4:"mycoplasma fermentans" "Gulf War"で6件

*5:ピロリ菌が胃潰瘍と関係しているという前例もあることだし。