NATROMのブログ

ニセ医学への注意喚起を中心に内科医が医療情報を発信します。

地雷原を走る勇者

癒着胎盤からの出血のため帝王切開中に妊婦が死亡した福島県立大野病院事件、あるいは、転送先の国立循環器病センターにて脳出血により妊婦が死亡した奈良県大淀病院事件について、医師のブログの間では概ね産婦人科医について好意的である。どちらの事件においても、診断や救命が困難な症例であり、医師の手落ちが死亡の原因ではないとみなされている。医師のかばいあいに過ぎないとみなす人もいるかもしれないが、いつも医師同士でかばいあうわけではなく、マスコミからバッシングを受けても医師からあまり擁護されない例もある。

病腎移植を行なった宇和島徳洲会病院の万波医師は、特に報道の初期のころはマスコミから激しいバッシングを受けていた。にも関わらず医師のブログでは擁護のコメントはあまり見られていない。大淀病院事件のときは第一報を報じた毎日新聞の記事を含め、記事の誤りが検証され、記者の名前が医学的に不正確な報道を行なうマスコミの象徴としてウィキペディアで(一時的にだが)項目が作られたりしたのと対照的である。私は最近知ったのだが、万波医師への支援を表明する非医療従事者がかなりいる。大野病院事件・大淀病院事件の産婦人科医の支援者の多くが医療関係者であるのに比べても対照的だ。この違いはどこから来るのだろう?

対象疾患の違いは理由の一つであろう。産科医のお世話になるのは一生に数度のみで、癒着胎盤や分娩中の脳出血はきわめてレアである。一方で、腎移植を待ち望む慢性腎不全患者の数は多い。だが、それ以外にも理由があるように見える。私の見るところでは、万波医師の人柄に対する信頼、支持者の医学的知識の欠如、学会に対する不信感などである。伝え聞く話では、万波医師の人柄は尊敬に値するものであることは確からしい。病腎移植は、移植腎の不足している現在においては、十分に考慮に値する医療である。しかし、万波医師の行った医療の是非と、万波医師の人柄や病腎移植の是非は独立した問題である。

たとえば、万波医師はB型肝炎ウイルス陽性(HBs抗原陽性、HBe抗原陰性、HBe抗体陽性)ドナーから腎移植を行なっており、「肝臓専門医にコメントを求めたところ、当時の肝臓病の常識として感染性はないと判断されるとのことです」とコメントしている*1。実際のところは、移植が行なわれた当時であっても弱いながらも感染力があるとするのが常識であり、少なくともこの件では万波医師の行った移植には大きな問題点があったと言わざるを得ない。腎臓病については私の専門外であるが、「HBe抗体陽性なら感染性はない」などと移植医であるにも関わらず発言する医師の言うことには懐疑的にならざるを得ない。センセーショナルな見出しはどうかと思うが、読売新聞では「息子は万波医師の実験台…B型肝炎感染者の腎移植*2」と報じた。実験台ならばまだマシである。後の患者さんの役に立つからである。実際には万波医師は十分なデータを取っていなかった。万波医師は自分のやっていたことが実験的な医療であるという認識に欠けていたと思われる。万波支援者は、医学的知識の欠如ゆえかB型肝炎ウイルス陽性ドナーからの移植を問題視していない*3。万波医師の不備は不備として認め、それとは別に病腎移植を推進したほうが結果的に透析患者の救済に役立つであろうに。

予測が難しく急激に予後が悪くなる疾患を扱うことも、倫理委員会の承認や文書によるインフォームドコンセントなしに実験的医療を行なうことも、どちらも現状においては危険である。しかし、前者の危険は避けることができない。誰かが産科医療や救急医療を行なわなくてはならない。内科医であっても、踏む確率が小さいだけで、「歩いてくるクモ膜下出血」や「症状のない心筋梗塞」などの地雷の上を歩いている。だからこそ、大野病院や大淀病院の産婦人科医が地雷を踏んだとき、多くの医師が擁護したのである。しかし、後者はどうか。いまどき、万波医師のような無茶な実験的医療を行なう医師はそうはいないだろう。倫理委員会の承認を取ることや、きちんとしたインフォームドコンセントを取るのは確かに煩雑な手続きである。しかし、勇み足で問題のある医療(たとえば感染対策なしのB型肝炎陽性ドナーからの移植など)が行なわれるのを未然に防ぐために必要な手続きである。少し遠回りになるが安全な道があるのにも関わらず、わざわざ地雷原を突っ切り、しかもそこに地雷があることを認識していないのは勇者ではない。


*1:病気腎移植推進・瀬戸内グループ支援ネット - 市立病院調査委員会の報告について:URL:http://www.setouchi-ishoku.info/article.php/20070501164629986

*2:息子は万波医師の実験台…B型肝炎感染者の腎移植(読売新聞):URL:http://www.yomiuri.co.jp/iryou/news/iryou_news/20070501ik0a.htm

*3:たとえば
市立宇和島病院の調査委員会、最終報告を発表〜“腎移植→B型肝炎感染→死亡”だったのか?(Because It's There):URL:http://sokonisonnzaisuru.blog23.fc2.com/blog-entry-380.html

なんで急性膵炎でなくなったのに、ウィルス感染死になるの?肝炎ウィルスって急性膵炎になるんだあ?(地獄への道は善意で舗装されている):URL:http://blogs.yahoo.co.jp/sxed2004/4732082.html