NATROMのブログ

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「過剰診断」の定義の違いを認識しよう

同じ用語が分野によって異なる意味で使われることがあります。たとえば「過剰診断」という用語がそうです。■「過剰診断」とは何かという記事で、過剰診断を「治療しなくても症状を起こしたり、死亡の原因になったりしない病気を診断すること」という定義を私は採用しましたが、注釈で『軽症である疾患を誤って重症であると診断することを「過剰診断」と呼ぶこともある』と述べました。どちらの定義が正しいとか間違っているとかではありませんが、定義が混同されると理解の妨げになります。

「過剰診断」という言葉の意味が複数あることが誤解の原因の一つでしたが、最近、こうした誤解を解消するために役に立つであろう文献が発表されました。ネット上で全文が読めます。



■過剰診断(overdiagnosis)の定義と過剰手術(oversurgery)/過剰治療(overtreatment)の用法:病理医と疫学者の見解の差異



詳細はリンク先で読んでいただきたいのですが、ポイントは、「病理医や細胞診専門家は過剰診断という語を良性病変を癌と診断する様な誤診を示す場合のみに用いている」一方で、疫学者は別の意味で過剰診断という用語を使用しているというものです。これは重要な指摘です。福島県の小児甲状腺がんについて知ろうとする人は必読です。いくつかの誤解が、この文献によって解消されるでしょう。

この記事においては、病理医や細胞診専門家のいう過剰診断を「過剰診断(病理)」、疫学者のいう過剰診断を「過剰診断(疫学)」と表すことにします。■「過剰診断」とは何かで採用した「治療しなくても症状を起こしたり、死亡の原因になったりしない病気を診断すること」は過剰診断(疫学)です。

がん検診や甲状腺がんの文脈で「過剰診断」という用語が使われる場合、多くは過剰診断(疫学)の意味で使われています。福島県小児甲状腺がんで危惧されているのも過剰診断(疫学)です。福島県において、過剰診断(病理)がたくさん起きている、つまり、大量の甲状腺がんの病理学的な誤診が生じているなどという指摘を私は知りません。

個々の症例の病理所見などの情報からは過剰診断(疫学)かどうかはわからない。

福島県の甲状腺がんの過剰診断の問題に関して「個々の症例の詳しい情報が出てくれば解決する」「過剰診断かどうかを判断するには手術症例の開示が必須」という意見があります。しかしながら、術後の病理所見などの詳しい情報があっても、個々の症例が過剰診断(疫学)かどうかは判断できません。それが過剰診断(疫学)のやっかいなところです。

「個々の症例を詳しく調べても過剰診断かどうかわからないのに、過剰診断が起きたとなぜわかるのだ」という反論もしばしばいただきます。がん検診を行えば一定の割合で過剰診断(疫学)が起きるのは不可避ですし、福島県で過剰診断(疫学)が多く起きたと考えられる理由をご説明するのですが*1、ご理解いただけないことがあります。過剰診断(疫学)過剰診断(病理)の違いが十分に認識されていないことが理解の妨げの一つではないかと思います。

執刀医は「過剰診断(疫学)は起きていない」とは言っていない。

「病理所見からは過剰診断(疫学)かどうかはわからない」という事実を受け入れると、執刀医の主張を根拠にした過剰診断に関する誤解を解消することができます。福島県において「過剰診断」は起きていないか、起きていてもきわめて限定的という主張があり、その根拠の一つが、執刀医でもある鈴木眞一医師の報告です。確かに鈴木眞一医師は「福島での手術例に関して,過剰診断を裏付けるような術後病理結果は出ていない」と述べています*2

しかし、上記したように過剰診断(疫学)かどうかは術後病理結果ではわかりません。つまり、鈴木眞一医師は「過剰診断(病理)は起きていない」ということは述べていますが、「過剰診断(疫学)は起きていない」とは言っていないのです。「過剰診断」という用語の意味が複数あることが広く認識され、執刀医の発言は過剰診断(疫学)が起きていない根拠にならないことが理解されることを望みます。

過剰診断(疫学)は誤診でもなければ医療ミスでもない。

「福島県で多くの過剰診断が生じているのなら、不要な手術を行った医師に対して民事訴訟や刑事告訴をなぜしないのか」といった意見があります。過剰診断(疫学)過剰診断(病理)の違いがわかったみなさんは、この意見が的外れであることがおわかりでしょう。過剰診断(病理)は誤診ですが、過剰診断(疫学)は誤診ではありません。もちろん、医療ミスでもありません。

広く推奨されている乳がん検診でも一定の割合で過剰診断(疫学)が生じます。前がん病変に治療介入する子宮頸がん検診はさらに過剰診断(疫学)の割合が多くなります。「過剰診断なら刑事告訴すべき」と主張する論者は、乳がん検診や子宮頸がん検診についても医師を刑事告訴すべきと主張しているのでしょうか。主張しないとして、福島県の甲状腺がん検診とどこが違うのでしょうか。

確かに違いはあります。乳がん検診や子宮頸がん検診は、がん死を減らすという利益が確認されています。過剰診断という害はあるけれども、害よりも利益の方が大きいと考えられているため、推奨されているのです。一方で、甲状腺がん検診はがん死を減らすという利益は確認されていません。手術に伴う合併症や拡大手術を減らすという証拠もありません*3。害よりも利益が大きいかどうかという以前に、利益が存在するかどうかも不明確です。福島県の甲状腺がん検診の問題は、誤診や医療ミスではなく、利益が不明確のまま十分な説明なしに続けられていることです。

もしかすると、甲状腺がん検診には害に見合うだけの十分な利益があるとする論者もいらっしゃるかもしれません。過剰診断(疫学)過剰診断(病理)の違いやがん検診の疫学について十分に理解した上で、そのように主張している論者がもし存在すれば、有意義な議論ができることでしょう。

過剰診断(疫学)過剰診断(病理)を区別しよう

繰り返しますが、誤診という意味で「過剰診断」という言葉を使ってはいけないとは私は言っていません。慣例的に複数の意味で用いられている用語について、一方の立場で他方の立場に対して「その用語の用い方は不適切だ。別の用語を使え」などと批判するのは傲慢であり、非建設的だと考えます。異なる意味で使われることを認識した上で、必要に応じて定義を示して用語を使えばよいのではないでしょうか。

残念ながら、定義が不明確なまま「過剰診断」という用語が使われてきたのは事実です。同じ文献の中で、「過剰診断」という用語が過剰診断(疫学)という意味で使われたのに、いつのまにか別の場所では過剰診断(病理)で使われるような混同もありました。あるいは、過剰診断(疫学)の有無を問われているのに、過剰診断(病理)はないと答えるような的外れなやり取りもありました。

過剰診断(疫学)過剰診断(病理)を区別することでこうした混乱が減ることを期待します。Public Health Research and Practice誌に掲載された論説では「過剰診断について議論することは良い科学(good science)であり、過誤の告発ではありません」と述べられています*4。もちろん、この「過剰診断」は過剰診断(疫学)のことです。みなさん、良い科学を目指しましょう。

2023年5月9日追記。国際的にも疫学的な意味においての過剰診断が公的な定義です。

上記したように「過剰診断」という言葉は異なる意味で使われていましたが、2021年に米国国立医学図書館 (NLM) は、疫学者のいう「過剰診断(疫学)」を公式としました。


■Overdiagnosis: it’s official | The BMJ
■MeSH Browser


正確に引用すると以下の通りです。「良性病変を癌と診断する様な誤診を示す場合」といった「過剰診断(病理)」は公式な過剰診断の定義には含まれていません。



The labeling of a person with a disease or abnormal condition that would not have caused the person harm if left undiscovered, creating new diagnoses by medicalizing ordinary life experiences, or expanding existing diagnoses by lowering thresholds or widening criteria without evidence of improved outcomes. Individuals derive no clinical benefit from overdiagnosis although they may experience physical, psychological or financial harm.

(機械翻訳)発見されなければその人に害を及ぼさないはずの病気や異常な状態にレッテルを貼ること、通常の生活体験を医学的に解釈して新しい診断を作ること、または転帰が改善したという証拠なしに閾値を下げたり基準を広げたりして既存の診断を拡張すること。身体的、心理的、経済的な被害を受けるかもしれないが、個人は過剰診断から臨床的な利益を得ることはない。


もはや、特別な注釈なしに過剰診断と言ったときには、過剰診断(疫学)という意味に捉えるのが標準といっていいでしょう。

解説:台湾女性における低線量CTによる肺がん検診と肺がんの過剰診断

高リスク者(現喫煙者・過去喫煙者)を対象とした低線量CTによる肺がん検診が、肺がん死亡率を下げるという複数のランダム化比較試験があります。高リスク者に限り、低線量CT肺がん検診が推奨されている国もあります。では低リスク者(非喫煙者)には?私の知る限りでは低リスク者に対し低線量CTによる肺がん検診を公的に推奨している国はありません。ただ、推奨されていなくてもやろうと思えばできます。なんなら日本でも自費でなら受けられますし、補助金を出している自治体すらあります。

台湾でも、低線量CT肺がん検診を比較的低価格(150~230ドル)で受けられ、特定のグループ(教師や消防士など)には無料のサービスとして提供されているそうです。台湾女性の約95%は喫煙習慣がなく肺がん低リスク者です。そのような人たちが低線量CT肺がん検診を受けた結果、肺がんの発生率や死亡率がどうなったのか、最近の研究をご紹介します。台湾の医療情報は政府によって一元管理・データベース化されており、こうした研究がよく行われています。


■Association of Computed Tomographic Screening Promotion With Lung Cancer Overdiagnosis Among Asian Women - PubMed


結果は、低線量CT肺がん検診の導入前の基準年と比較して、早期肺がん(ステージ0~I)の発生率が約6倍になった一方で、後期肺がん(ステージII~IV)の発生率や肺がん死亡率はおおむね安定したままでした。

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台湾では、早期肺がんの発生率が約6倍、肺がんの5年生存率が約2倍になった一方で、後期肺がんの発生率や肺がん死亡率は安定している。

進行がんの発生率やがん死亡率の増加を伴わないがん発生率の増加は過剰診断の存在を強く示唆しており、著者らは7000~12000人の過剰診断が発生していると推計しています。もちろん、この研究は人口ベースの生態学的研究であり、一定の制限はあります。しかし、既知の肺がんの危険因子(喫煙、受動喫煙、大気汚染)が減っているなか、何らかの原因で早期肺がんが6倍になるほどの真の増加があった一方で、後期肺がんの発生率や肺がん死亡率がこれほど安定している可能性はどれほどあるでしょうか。

この研究から興味深い教訓がいくつか得られます(がん検診や過剰診断に興味のある読者や、興味がなくてもがん診療に関わる医療者は、ぜひとも論文を読むことをお勧めします。全文無料で読めます)。一つは、がん検診の有効性は対象者のリスクによって変わることです。著者らは、低リスク者への低線量CT肺がん検診から利益を得られた人がいる可能性は否定していません。ですが、もともと肺がんリスクの低い人が検診から得られる利益は小さなものです。過剰診断や偽陽性といった害に見合うものでしょうか。

がん検診と生存率の関係についても教訓が得られます。低線量CT肺がん検診の導入後、肺がんの5年生存率は18%から40%へと劇的に上昇しました。同時期の他国でも肺がんの5年生存率は改善傾向にありましたが、台湾と比較するとわずかです*1。台湾は世界でももっとも肺がんの5年生存率が高い国となりました。

「5年生存率が改善したんだからいいことだ」と誤解している人もいらっしゃるでしょう。医師の中にもそのような誤解がまだ残っています。しかし、がん検診の有効性を5年生存率で評価してはいけません*2。過剰診断は見かけ上の5年生存率を上昇させます。5年生存率は、5年後に生存している人数(分子)をがんと診断された人数(分母)で割って計算します。検診によって死亡の原因にならないがんが多数発見されると、分母と分子が増え、検診がまったく生命予後の改善に寄与しなくても5年生存率が改善したように見えます。

検診によって早期がんが発見されること自体は検診の有効性を証明しないことも教訓の一つです。しかしながら、検診で早期がんが発見され、治療を受け、予後がよいと、検診のおかげで命が助かったと誤認します。患者さんも医師もです。台湾では肺がん検診で命を救われたという著名人や、医療関係者から、肺がん検診の保険適用を求める強い声があがっているそうです。逆説的ですが、■過剰診断が多いほど検診から恩恵を受けたと感じる人が多くなります。こうして「誤解を招くフィードバック」がはじまります。いったん検診が広まってしまうと、利益がなく害だけある検診でも中止することが難しくなります。

がんの治療を行っている医師は、がん検診の害を過小評価し、利益を過大評価する傾向があります。乳幼児の神経芽腫の場合でも、乳がんの場合でも、前立腺がんの場合でも、甲状腺がんの場合でもそうでした。進行したがんの患者さんをたくさん診て、「なんとか助けたかった、もっと早く診断、治療できていればよかったのに」という心から患者さんを助けたいという気持ちがそうさせているのはよくわかります。しかしながら、専門家たる医師は、検診の害や限界について十分に理解しておかなければなりません。発見率が胸部レントゲンより高いから、患者さんが希望するからといって、安易に胸部CTを撮影するべきではありません*3

「我々は適正に診断、治療をしているのに、なぜ過剰診断なのか」と、がん治療を行う医師が抵抗を示すこともよくあります。しかし、がん検診において*4過剰診断は医療過誤でも誤診でもありません*5。推奨された検診を行っても、治療する対象を慎重に選んで適正に治療しても、一定の割合で過剰診断は生じます。有用な薬やワクチンにも一定の割合で副作用が生じるのと似ています。薬の副作用が容認されるのは、副作用の害を薬から得られる利益が上回るからです。過剰診断をはじめとしたがん検診の害についても、がん死亡を減らすといった利益が上回る場合のみ容認されるべきです。そのためには、がん検診の害や利益について知らなければなりません。


*1:治療の進歩でも5年生存率は改善するが、台湾での5年生存率の上昇は治療の進歩では説明できない

*2:■検診で発見されたがんの予後が良くても、がん検診が有効だとは言えないのはなぜか?で詳しく解説した

*3: https://www.choosingwisely.org/patient-resources/ct-scans-to-find-lung-cancer-in-smokers/

*4:「治療しなくても症状を起こしたり、死亡の原因になったりしない病気を診断すること」という定義がよく採用されている。細かい違いはあるが大勢には影響しない

*5:https://www.phrp.com.au/issues/july-2017-volume-27-issue-3/what-is-overdiagnosis-and-why-should-we-take-it-seriously-in-cancer-screening/

患者家族とのトラブル

埼玉県ふじみ野市において、訪問診療をしていた医師が患者の息子に散弾銃で撃たれ死亡するという事件が起きた。患者である母親が亡くなったことがきっかけになったという。事件については報道でしか存じ上げないし、これから新事実が出てくるかもしれない。この記事は、医療職と患者家族の関係の難しさの一端について知ってもらうのが目的であって、個別の事件において真相はこうだったのかもしれないといった推測ではない。

また、以下に述べる事例は、私の見聞きした経験をもとに改変したものであり、事実そのままではない。仮に当事者が目にしたとしてそれが自分たちのことであるとはわからないようにまで変えてある。ただし、問題の本質については伝わるはずだ。ご理解をいただきたい。

患者さんがよいケアを受け、病状が改善することをご家族が願うのは当然だ。ただ、その願いがきわめて強い患者家族がいらっしゃる。介護のためにご家族が仕事を辞め、ずっと付きっ切りで看病しているケースもある。患者さんとご家族の関係が濃厚で、介護がご家族の生きがいになっているような患者さんが入院したとき、病院は必ずしもご家族が満足できるケアを提供できるとは限らない。

たとえば食事の介助について、一挙手一投足にまでご注文をつける。ご家族はずっと食事介助をしていらっしゃったのであるからそのやり方については教えていただくが、こちらがまったく同じようにできるわけではない。マンパワーの問題で十分な時間をかけることが難しいときもある。ご家族はご不満に感じ、その不満は医療従事者に向かう。

病状についても同様だ。もともと若くて元気な患者さんであれば、治療により元通り元気になることも期待できるが、高齢者はそうではない。老衰は治せない。医学は徐々に衰えていく状態となんとか折り合いをつけることしかできないが、加齢による衰弱を受け入れられないご家族もいらっしゃる。数年前までは元気に立って歩いていたのに、いまでは寝たきりで会話もできなくなったのは医師の治療が悪かったせいになる。

ほかにも、たとえば、約束のない主治医面談を要求するご家族がいらっしゃる。急に状態が悪くなったので説明して欲しいとかであればまだわかるが、とくに緊急の要件ではなかったりする。しかし、ご家族の主観では重要度が高く優先されるべき案件であるので、対応しなければご不満が溜まる。断ると窓口がクレーム対応をしなければならない。一方で特別扱いすれば他の患者さんやご家族に申し訳ないし、面談要求は約束がなくても応じてもらえて当然という誤解を招くことになりかねない。私は「本来はお断りするのだがたまたま主治医が院内にいたので本日のみ特別に面談する」という体裁で面談に応じることが多い。不平等は承知の上である。

あまり一般的ではない治療をご希望されるご家族もいる。サプリメントのたぐいなら、よほど医学的に問題がない限りは併用可とする。困るのは、テレビ番組や週刊誌で報じられた最先端のまだ実験段階の治療法だ。なんとか患者さんを助けたいというご家族の気持ちの表れであることはわかるが、当院ではできない(というか日本国内のどの病院でもできない)ことをご説明するが、やはりご不満の元になる。最近私は、共通の敵を設定する方法を覚えた。「よくご存じですね。我々もこの治療法を使いたい。しかし、けしからんことに国が承認しないのです」などと言う。方便である。お許し願いたい。

当院で提供する医療にご不満があると転院をご希望されるが、これがすんなりとはいかない。A病院にご紹介しようとすると「そこは以前に医療ミスをされたことがあり嫌だ」とおっしゃる。ご家族から経過を聞く限りでは医療ミスではなく標準的な医療行為による経過でも説明可能だが、もちろんそんなことはこちらからは言わない。ならばB病院にご紹介しようとしたら今度はB病院から受け入れを断られる。建前では医学的な理由や病床の不足が挙がるが、過去に家族とB病院の間でトラブルがあったのだろうと推測できる。覚悟を持って当院で診続けるしかない。

医療ミスならともかく「A病院では人体実験されていた」「毒を点滴に混ぜられて殺されそうになった」というようなことを仰るご家族もいる。訂正不可能な誤った信念をお持ちであるように見える。ご家族は私の患者ではないので、自傷他害の恐れがなければ、余計な介入はできない。患者ご本人の利益を第一に考えて対応する。

家族の間で意見が一致しないこともある。もともと折り合いが悪い兄弟で、遺産の分配でもめているのがうかがえる。原則としてはキーパーソンを一人に定め、ご家族で意見を集約していただくのであるが、いつも原則通りにいくとは限らない。キーパーソンである兄が「弟も病状を聞きたがっている。説明してやってくれないか」とおっしゃったとしよう。同じ病状説明を2回するのは手間であり、病状を聞きたいのなら同席して聞いていただくのが原則なのだが、断ると兄からも弟からも不満が出て医師-患者家族関係が悪化する。別途、弟との病状説明の場を設けると、病状はそっちのけで兄が決定した治療方針に対する不満と愚痴が述べられる。立場上、兄の方針を否定するわけにはいかないが、「そういうお考えもありますね」「お気持ちはよくわかります」などと相槌を打って傾聴すれば治まる。

患者家族へのケアも医師の仕事の範囲内だ。プロフェッショナルとして十分な仕事は行う。ほとんどの場合は医師-患者家族関係はおおむね良好であって、問題になるのは少数のケースに過ぎない。ご家族の事情はそれぞれだし、ご家族がなんらかの問題を抱えているとして、だからこそ十分な支援を要するのだ。ただ、一臨床医としては、正直、しんどいと感じることが最近は多い。医学のことだけ考えていたい。

たいていは時間をかけてお話を聞き丁寧にご説明すればなんとかなる。最悪の場合でも訴訟されるだけだとこれまでは考えていた。幸いなことに訴訟されたことはないし、仮に訴訟になっても負けるような診療はしていない。ただ、今回の事件のようなことが起きることまでは予測していなかった。どうすればいいのか考えているところだ。きわめてレアケースであるので考えても仕方ないのかもしれない。