NATROMのブログ

ニセ医学への注意喚起を中心に内科医が医療情報を発信します。

「論座」の新型コロナ感染症の記事から学べること

「論座」に新型コロナウイルス感染症を疑う症状を経験したジャーナリスト、佐藤章氏による記事が掲載された。患者さんの視点で気持ちの推移やPCR検査の経験を伝える良い記事である。


■私はこうしてコロナの抗体を獲得した《前編》保健所は私に言った。「いくら言っても無駄ですよ」 - 佐藤章|論座 - 朝日新聞社の言論サイト
■私はこうしてコロナの抗体を獲得した《後編》PCR検査の意外な結果、そして… - 佐藤章|論座 - 朝日新聞社の言論サイト


ただ、医学が専門ではない方が書いたため仕方のないこととは言え、いくつか医学的な誤りが散見される。誤解が広まると感染防御の点から弊害が生じることが懸念されるため、ここで指摘しておく。


症状出現から1回目の抗体検査まで

ことの経過は3月29日の深夜12時前に38度の発熱から始まる。適切に家庭内隔離が行われた後、2日間は37度5分前後と微熱が続き、4月1日には平熱となった。PCR検査がなかなか受けられないことを佐藤章氏はご存じであったため、4月1日にナビタスクリニックにて抗体検査を受けた。この日受けたのは比較的早期に抗体価が上昇するとされるIgM抗体の検査で、結果は陰性だった。描写からはイムノクロマト法によるキットだと思われた。保険適用はなく5500円の自費だ。

抗体検査の結果が陰性であることから「すっかり安堵して帰宅し、久々に冷たい缶ビールなどを飲んで過ごした」とあるが、後述するように症状出現後4日目にキットによるIgM抗体が陰性だったとしても、安心はできない。ナビタスクリニックでどのような説明があったかは記載がなく、偽陰性の可能性について適切な説明があったのかどうかはわからない。

4月2日から37~38度の発熱があり、4月3日に近くのかかりつけ医を受診した。事前に電話予約したのは適切な行動だ。かかりつけ医が「抗体検査はまだ十分に確立された検査法ではないとしてCOVID19感染を強く疑っ」ったのも正しい*1。その後も発熱は続き、味覚障害も出現した。


発症後11日目にPCR検査を受けた


 7日午前、部屋の前で珍しく家人が電話口で言い争っている声が聞こえてきた。

 「じゃあ、どうしたら検査は受けられるんですか」

 何度も電話していた保健所の担当者とつながったらしい。私と電話を替わったが、「検査難民」の一人となった私が実際にやり取りをしてみると改めて驚きを感じざるをえなかった。


ここで一つお願いがあるのだが、患者さんやそのご家族が保健所に対して検査を受けるための交渉をしないでいただきたい。ただでさえ多忙な窓口が検査の交渉で塞がるのは望ましくない。なかなかPCR検査を受けられない現状に不満はおありであろうが、その不満を現場の保健所職員に押し付けても問題は解決しない。病状によってPCR検査を行うかどうかを判断する必要もあろうが、その交渉は医師が行うべきだ*2。この点が十分に伝わる報道をしていただけたらありがたい。

佐藤章氏は『なかなかPCR検査を受けられない構造を知っていたので、早々に電話を切り、「かかりつけ医」に連絡した』。これも適切な行動だ。結果として発熱して11日目、4月8日にPCR検査を受けることになった。地域や時期にもよるだろうが、CT検査で特徴的な肺炎像を認められてからしかPCR検査を受けられないような状況もあったが、佐藤章氏はそういうこともなく、PCR検査と同時に胸部レントゲン検査を受けた。

胸部レントゲンでは「軽い肺炎であることがわかった」。ただし、「ほとんど咳がなく、呼吸そのものには何一つ障害がなかった」とのことである。かかりつけ医が4月3日の段階で新型コロナウイルス感染症を疑ったにも関わらず、そのときにはPCR検査を勧めなかったのも、呼吸器症状が重くなかったからだろうと思われる。発熱の持続と味覚障害の出現で検査前確率が十分に高いと評価できたので、PCR検査をしてもよいと判断したわけである。

PCR検査は鼻咽頭スワブ(鼻の奥)、咽頭スワブ(喉の奥)に加え、鼻からの検体採取にあたってせき込んだ時に「痰か痰の混じった唾」も検体として採取された。週末をはさみ、4月13日陰性だったとの説明があった。



 ――では、肺炎の診断は何だったのでしょうか。何が原因だったのですか。

 「コロナではなく、他のウイルス性の肺炎の可能性があります。今後については、抗生剤の必要はなく、解熱剤など対症療法でいいでしょう。肺炎については自然に治っていきます」

 医師はこう答えたが、「ただ、PCR検査の精度は100%ではありません」ということを何度か強調していた。


適切な説明だと思われる。その時点で「少し頭痛は残っていたが、一日中解熱剤なしで36度台の平熱が続いていた」。


症状は落ち着いたが2回目の抗体検査を受けた

症状は落ち着いたが、「ウイルスの正体を正確に摑むために」、ナビタスクリニックで4月21日に再び抗体検査を受けた。このときはIgM抗体ではなくIgG抗体検査を受けた。



国立感染症研究所が4月1日に発表した短いレポートによれば、コロナウイルス患者の血清を採ってこの抗体検査キットで実験したところ、発症後1-6日のIgM抗体の陽性的中率はなんと0%。反対に発症後13日以降のIgG抗体の陽性的中率は96.9%だった。


国立感染症研究所のレポートとは


■迅速簡易検出法(イムノクロマト法)による血中抗SARS-CoV-2抗体の評価


である*3。このレポートによれば発症後1-6日間の検体でIgM抗体が陽性に出たのは14検体中0例であった(0%)。佐藤章氏は、症状出現後4日目にキットによるIgM抗体が陰性で「すっかり安堵」したが、すっかりどころかまったく安堵できない。

また、佐藤章氏は「発症後13日以降のIgG抗体の陽性的中率は96.9%だった」と書いているが誤りである。疫学では、陽性的中率(陽性的中割合)とは検査で陽性になった人の中で実際に疾患がある人の割合のことをいう。国立感染症研究所のレポートからは陽性的中率はわからない。新型コロナウイルス感染症患者の血清において、発症後13日以降はIgG抗体の陽性割合が32検体中31例であった(96.6%)。これは実際に疾患がある人の中で検査で陽性になる人の割合、つまり感度であって陽性的中率ではない。陽性的中率を知るには、感度に加え特異度と検査前確率の情報が必要である。ただ、佐藤章氏が間違うのも仕方がない。佐藤章氏が「COVID19取材を通じてウイルス自体や医学界全般の知識などについて教えをいただいていた」上昌広・医療ガバナンス研究所理事長も、陽性的中割合の計算を間違ったぐらいだ*4

国立感染症研究所のレポートでは、発症後1-6日においてIgG抗体の陽性割合が14検体中1例であった(7.1%)。IgM抗体も陽性に出ていない時期のIgG抗体陽性は偽陽性である可能性がきわめて高い。キットにもよるが、イムノクロマト法による新型コロナウイルス抗体検査において数%の偽陽性が生じうることはすでに知られている。下気道検体も含めてPCR検査が陰性であることも考慮すると、佐藤章氏のIgG抗体陽性は偽陽性である可能性がそれなりあると私は考える。


抗体検査の結果説明の際に気をつけるべきことなど

きわめて問題があると私が考えるのが、この陽性結果の説明である。


 「おめでとうございます。コロナウイルスを乗り越えられました」

 久住氏が最初にこう言葉をかけたことには理由がある。

 この抗体検査は日本以外の各国では積極的に採用されつつある。少量の血液採取で済むために、PCR検査のように医師が患者の咳やクシャミなどの飛沫を浴びる恐れが極めて小さい。

 そして何より、私の検査結果のように適正な日にちを置けばかなり正確な抗体の存在が確認できる。つまり、COVID19に対して免疫を獲得できた人間を正確に捕捉することができるということだ。

問題は二点。一つは上記したように偽陽性の可能性の説明がないことだ。PCR検査のときには、説明の際に精度は100%ではないことが何度も強調されたと記載されているが、ナビタスクリニックで検査の不確実性について説明があったという記載はない。

もう一つが、よしんば偽陽性ではなくIgG抗体が本当にできていたとしても、現時点で「おめでとうございます。コロナウイルスを乗り越えられました」と説明するのは不適切であることだ。抗体があることと免疫が獲得できたことは同義ではない*5。新型コロナウイルス感染症において抗体の意義はまだ不明である。「抗体があると感染しにくい」と誤解させるような不適切な説明が不適切な行動につながり、再感染や感染の拡大につながるかもしれない。現時点で抗体検査を行うなら、抗体がついたからといって免疫ができているとは限らないことを患者さんが十分にご理解できるような説明が不可欠である。

そもそも、ナビタスクリニックにおいて、なぜIgG抗体とIgM抗体を同時に測定しなかったのだろうか。感染初期に抗体が陰性で、経過中に陽性化したのが確認できれば、かなりの確度でウイルスに感染していたと言えたのに。研究目的であれば中途半端に初期にIgM抗体だけ、治癒後にIgG抗体だけ測らずにきちんとデータを取るべきだ。また、研究費用を患者が負担するのもあまりよくない。研究目的と称してエビデンスに乏しい医療がお金儲け目的で行われかねないからである。

抗体検査は血液で可能なので検査者に感染するリスクは小さいし、過去の感染が分かるという利点がある。今後、海外でも日本でも抗体検査が広く行われ、PCR検査だけではわからない実際の感染状況をより正確に推測できるようになるだろう。ただ、現時点では個人が抗体検査を受ける意義に乏しい。早期の診断はできないし、治ってからの診断は診療方針に影響しない。この点について佐藤章氏によるルポはよく伝えている。抗体検査を受けるために外出するのは感染を広げるリスクもあるので、抗体検査を受けたいと考える読者のみなさんは参考にしていただきたい。また、医師が患者さんに説明するときに、何に気をつけるべきかについても参考になった。医療の不確実性を踏まえた医学的に正確な説明よりも、わかりやすく断定的・楽観的な説明をしたほうがその場の患者さんの満足度は上がるが、長期的には弊害が生じることを再確認できた。患者さんにとっても医療者にとっても、「論座」の新型コロナ感染症の記事は読む価値のある記事だと考える。


*1:細かいことを言えばCOVID-19は疾患の名称なので感染はしない。「COVID-19罹患を強く疑う」がより正確

*2:兵站の不備への文句は前線の兵士ではなく上層部へ。保健所は最前線だ。

*3:キットによって検査の性能は異なるが、この時点で日本で利用可能なキットは限られているので、ナビタスクリニックで使用されたキットと同一である可能性が高い。佐藤章氏も同一であるとして記事を書いておられる

*4:https://twitter.com/KamiMasahiro/status/1232529986243837952 感度7割、特異度9割、有病割合(検査前確率)2割だと、陽性反応的中割合は約0.64。検査対象が1000人いると仮定すると分かりやすい。200人が新型コロナ感染症でうち検査陽性が140人。800人が非新型でうち検査陽性が80人。140÷(140+80)≒64%。

*5:たとえば慢性C型肝炎においては抗体ができてもウイルスを排除できない