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小児においては「有病割合≒罹患率×平均有病期間(D)」という式を適用するには注意が必要である

福島県の小児を対象として甲状腺がん検診において、10例の細胞診陽性者およびそのうち3例が甲状腺がんと診断された件について、有意に甲状腺がんが多いかどうかが議論になっている。



■福島県での甲状腺がん検診のこれまでの結果で、甲状腺がんの発生が多発と言えるのか? - warblerの日記
■福島の小児甲状腺ガンが意味するものを、スクリーニング効果までふまえて考えてみる。 - Togetter



「有意に甲状腺がんが多い」という主張の根拠の一つとして、


・有病割合≒罹患率×平均有病期間(D)


という近似式が挙げられている。平均有病期間を7年、あるいは3.6年と仮定すると、確かに有意に甲状腺がんが多いという結論になりそうだ。しかしながら、以下に述べるような理由により、小児においては「有病割合≒罹患率×平均有病期間(D)」という式を適用することができない場合もあると私は考える。■福島県での甲状腺がん検診のこれまでの結果で、甲状腺がんの発生が多発と言えるのか? - warblerの日記のコメント欄で述べた理由により、ここでは(D)を「癌がスクリーニング検査で検出可能な大きさになってから臨床的な症状を引き起こすまでの期間」と定義し、「平均有病期間」と区別するため「潜在期間」と呼ぶ*1。集団における疾病の発生状態が安定している場合において、2


・有病割合≒罹患率×潜在期間(D)


という式が成立する点については、おそらくは異論はないものと考える*2。しかしながら、潜在期間が長い場合には、小児においてはこの式は成立しない。厳密に言えば「式が成立しない」というよりも、潜在期間が長い疾患についてはタイムラグがあるがゆえに、小児の罹患率を用いるのは不適切だということになる。極端な場合には、実測した有病割合と式から求めた有病割合の比が無限大になることもありうる。まずは説明のために仮想的な極端な事例を提示しよう。

潜在期間が長いため小児において「有病割合≒罹患率×潜在期間(D)」が成立しない仮想的な疾患の例

Mofmov型前立腺癌は特徴的な病理所見を示しその他の前立腺癌と明確に区別できる前立腺癌の一タイプで、特徴的な罹患率の年齢分布を示す。腹部エコー等のスクリーニングが行われていない時代にはMofmov型前立腺癌は自覚症状を呈してから診断されていた。その場合、成人においてはどの年齢層においても罹患率は10人/10万人年である。しかしながらこれまで19歳以下の小児のMofmov型前立腺癌の報告はなく、小児のMofmov型前立腺癌の罹患率はゼロである。

成人に対してスクリーニング検査を行ったところ、有病割合は100人/10万人であることが判明した。また、治療をせずに経過をみた症例の知見から、スクリーニング検査でやっと見つかるぐらいの大きさのMofmov型前立腺癌を放置すると10年後に自覚症状を呈することが明らかになった。つまり、潜在期間(D)は10年である。有病割合≒罹患率×潜在期間(D)という式にも合致する。さらに剖検(死亡者の前立腺を細かく刻んで顕微鏡で見る)での知見やダブリングタイム(腫瘍の体積が2倍になるのに要する時間)からの逆算により、最初の癌細胞が発生してからスクリーニング検査で検出可能な大きさになるまでの時間が10年であると推測された。まとめると、Mofmov型前立腺癌の自然経過は以下の通りである。





Mofmov型前立腺癌の自然経過





50歳でMofmov型前立腺癌を発症した人は、30歳の時点で癌細胞が発生し、40歳以降ならスクリーニングで検出可能であった。


癌細胞の発生はどの年齢層においても10人/10万人年に起こっており、10年かけてスクリーニング検査で検出可能な大きさになり、さらにもう10年かけて自覚症状を呈するまで大きくなると考えると、小児において罹患率がゼロであるにも関わらず、成人においてどの年齢層でも罹患率は10人/10万人年であることが説明可能である。さて、小児に対してスクリーニング検査を行ったらどうなるか?

10歳まではスクリーニング検査を行ってもMofmov型前立腺癌は見つからない(ただし剖検を数多く行えば微小なMofmov型前立腺癌が見つかるであろう)。11歳時においては、スクリーニング検査でやっと見つかるぐらいの大きさのMofmov型前立腺癌が10万人あたり10人見つかる。12歳時においては10万人あたり20人となる(0歳時において癌細胞が発生した10人と、1歳時において癌細胞が発生した10人がその内訳である)。12歳時においては10万人あたり30人、と以下同様に、19歳時には10万人あたり90人となる。そのうちの10人は癌細胞の発生から19年が経っており、次の年には自覚症状を呈するようになる。





Mofmov型前立腺癌の特徴的な罹患率の年齢分布を説明するシェーマ


まとめると、小児0歳〜19歳に対してスクリーニング検査を行うと、10万人あたり22.5人のMofmov型前立腺癌が見つかる。これが実測した有病割合である。一方で、「有病割合≒罹患率×潜在期間(D)」という式から有病割合を計算すれば、小児の罹患率はゼロであるので有病割合もゼロである。「式から推測される有病割合と比較してスクリーニングで観察された有病割合が著しく大きいことから、環境ホルモンや被曝などの影響があるに違いない」などと考えるのは早計であろう。

なお20歳以降は10万人あたり10人の自覚症状のあるMofmov型前立腺癌が発生し、スクリーニングでは10万人あたり100人のMofmov型前立腺癌が見つかる。罹患率10人/10万人年、有病割合100人/10万人、潜在期間(D)10年となり、「有病割合≒罹患率×潜在期間(D)」という式が成立することを確認していただきたい*3

実際の甲状腺がんについてはどうか

Mofmov型前立腺癌の例は、説明のためにきわめて単純で非現実的な仮定を置いた。現実の疾患はもっと複雑であるが、しかし、少なくとも小児の疾患に「有病割合≒罹患率×潜在期間(D)」という式を適用するには注意が必要であることは、ご理解していただいたと思う。

単純化した仮定の一つが、どの症例においても潜在期間が一律に10年だとした点である。現実の疾患は個人差があり、進行が早い症例では潜在期間が5年ということもあるだろうし、あるいは進行が遅く20年である症例もあるだろう。その点を加味し、潜在期間の平均が10年であるがばらつきのあるモデルをつくることも可能である。その場合、小児の罹患率はゼロにはならない。しかしながら、「有病割合≒罹患率×潜在期間(D)」という式から計算された有病割合と、実際にスクリーニングを行ったときに観察される有病割合が著しく乖離することには変わりがない。

単純化したモデルでは19歳まで罹患率ゼロであったが、20歳以降は突然に10人/10万人年となった。一方、潜在期間がばらつくモデルでは年齢が上がるにつれて連続的に罹患率も上がる。実際の甲状腺がんも年齢が上がるにつれて連続的に罹患率も上がっている。福島県でのスクリーニングの結果および実際の甲状腺がんの年齢別罹患率の両方を説明できるモデルを作ることも可能であろう。興味深くはあるが、「甲状腺がんが有意に多いとは断定できない」、とまでは言えても、「甲状腺がんは有意には多くない」ことを示す目的には使えない。潜在期間以外の仮定(たとえば癌細胞の発生はどの年齢層においても一定である、など)が正しいかどうかがわからないからである。

現時点で観察されている福島県での甲状腺がんの「多発」が、被曝によって甲状腺がんが有意に多くなったためか、それともスクリーニングによって掘り起こしただけなのか、現時点では判別できない。他の地域と比較するか、福島県のスクリーニングの2順目、3順目の結果を待つしかない*4。ただ、少なくとも、既知の小児の甲状腺がん罹患率から「スクリーニングで発見される甲状腺がんの有病割合」を推定するのは不適切であるとは言える。


*1:2017年3月27日追記:ここで「潜在期間」と呼ばれている概念は、診断可能前臨床期/DPCP:detectable preclinical phaseというもっと適切な用語があった

*2:有病割合は「単位人口当たりのスクリーニングで発見された有病者数」、罹患率は「単位人口年当たりの自覚症状を呈して医療機関に受診し診断された患者数」とする。warblerの日記およびwarblerの日記で言及されている津田敏秀氏による考察と同様の定義である。

*3:この例では潜在期間(D)を「癌がスクリーニング検査で検出可能な大きさになってから臨床的な症状を引き起こすまでの期間」と定義し、診断から「治癒あるいは死亡」までの期間は含まれていないことに注意されたし

*4:現時点で被曝で増えたと断言できないから対策が不要と主張しているわけではない