NATROMのブログ

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「A型肝炎というのは、全く怖くない」のか?

肥田舜太郎(著) の内部被曝 (扶桑社新書) [新書]の■アマゾンレビューに、「事実を曲げて不安を煽るのはいけません」という肥田舜太郎氏に批判的なvseprさんのレビューが載り、さらにそのレビューに対して岩清水宏さんのコメントがついた。現在ではそのコメントは「投稿者により編集済み」であるため、■”「地図のない分野」で、必死にもがいている身から、一言だけ言わせていただければ” - kom's blogより引用する。



医学部を出た人間には常識だと思いますが、A型肝炎というのは、全く怖くない。 急性期に、ドカンと肝臓が炎症を起こすが、休んでいれば、肝臓も再生されて、元通り。肝硬変、肝癌なんかにはならない。 ところが、B型C型肝炎の怖いのは、たとえチョロチョロと持続する炎症でも、 長期には、肝硬変に至り、肝癌にも高率でなってしまう。 「急性炎症=全然怖くない」「慢性持続炎症=いろんな障害を引き起こし、怖い」ということ。 近年、癌に限らず、糖尿病研究でも、神経変性疾患でも、難病研究でも、「慢性持続炎症」が注目されている所以です。


医学部を出た人間には常識であるが、急性A型肝炎は劇症肝炎を起こし死亡することがある。劇症化する確率は報告によって差があるが、教科書では「1%以下」とされていることが多い。なるほど、A型肝炎の劇症化は稀であるので過度に心配する必要はないだろうが、「全く怖くない」というのが「常識」かと言えば明確に間違いだと断言できる。たとえるならば、「100 mSv程度の被曝であれば全く怖くない」と言っているようなものである。

低線量放射線被曝のリスクについては、「放射線医や物理学者が安全デマを垂れ流した」などという批判もあるが、さすがに「100 mSv程度の被曝であれば全く怖くない」とまで断言している安全論は珍しかったと思う。「100 mSv以下の被曝ならば健康への影響はない」ぐらいの安全論はあったが、それでもICRPに準拠した立場の「放射線医や物理学者」の多くはそこまでの安全論はとっていなかった。

「急性炎症=全然怖くない」というのも明確に誤りである。いくらでも例を挙げることができるが、たとえばインフルエンザ脳症のことを知っていれば急性炎症でも死亡したり、後遺症が残ったりする事例があることが、別に医学部を出ていないくても常識的にわかるだろう。「急性炎症だから怖くない」「慢性炎症だから怖い」という見方は単純に誤りで、リスクの大きさは炎症の性質や強さによる。

「A型肝炎というのは、全く怖くない」というコメントしている岩清水宏氏は、全体的には内部被曝の未知の危険性を指摘している。「たった1ベクレルのβ線核種に汚染されている微粒子でも鼻血を引き起こしうる」「慢性内部被爆は慢性炎症を通じて未知のリスクがありうる」という内容である。内部被爆や慢性炎症についてはリスクを過大に評価する一方、医学部生が読む教科書にすら載っている急性炎症のリスクを無視しているのは不自然だと感じた。低線量で鼻血が起きる可能性を過大に評価している人たちを「釣る」目的でもあったのかとも思ったぐらいだ。だが、「投稿者により編集」後には急性炎症のくだりが(この記事を書いた時点では何の断りもなく)削除されていることから、「釣り」の可能性は低いと思われる。

ついでに言えば、A型肝炎の怖さは劇症肝炎だけではない。腎不全や造血器障害やギランバレー症候群などを合併することが知られている。これぐらいまでは教科書レベルの話であるが、仮説レベルでいいのなら、慢性疲労症候群と関連する可能性が指摘されている*1。他にも自己免疫性疾患と関連していたとしても不思議はない。「1ベクレルの微粒子でも鼻血を引き起こしうる」レベルの話でよければ、いくらでもA型肝炎が未知のリスクを引き起こすメカニズムを考案することができる。



目の前の鼻血の患者を目にしたときに、あなたのようなアセスメントしか、鑑別診断、メカニズムに想定が及ばない医学教育というのは、いったいどのような6年間を過ごされたのかな、と純粋に不思議に思います。


目の前の急性A型肝炎の患者を目にしたときに、「全く怖くない」と評価する医師がいたとしたら、さすがに6年間の医学教育は失敗だったと言えるだろう。だが、慢性疲労症候群やましてや未知のリスクについてまではいちいち評価しない医師がいたとしても不思議はない。あるいは、仮の話として、「じわじわと命を蝕む、A型肝炎の恐怖」などと患者の不安を煽る本*2が書かれ、A型肝炎の既往を持つ母親が真に受けていたとしたら、「事実を曲げて不安を煽るのはいけません」とレビューする医師がいても不思議はない。



最後に、医学者として、別分野ではありますが、「地図のない分野」で、必死にもがいている身から、一言だけ言わせていただければ、「教科書に書いてあることがすべてはない」 特に、慢性内部被爆のように、ほとんど、調査もされていない学問分野では、沢山疑ってかからないといけないテーマが、山積みなんですよ。 ちょっと医学の常識があれば、放射線医学の教科書は、何も我々に教えてくれない、ということくらいは、すぐに気が付きそうなものだと思いますがね。


「教科書に書いてあることがすべてはない」というのはその通りであるが、その前に教科書に書いてあることぐらいは把握しておいたほうがいいと思う。未知のリスクに対して警鐘を鳴らす必要性はあるが、適切なバランス感覚も必要であろう。


*1:Berelowitz GJ et al., J Viral Hepat. 1995;2(3):133-8., Post-hepatitis syndrome revisited.

*2:本も売れないし、講演会にも人が集まらないし、サプリメントも売れないので、A型肝炎の恐怖を煽る人はそうはいないだろうが