NATROMのブログ

ニセ医学への注意喚起を中心に内科医が医療情報を発信します。

非典型例の恐ろしさ

ワクチンで防げる病気(VPD)に対して、「免疫力があれば難なく乗り越えられる」と主張している自称医師がいた。




ワクチンで予防可能な疾患は「ごく当たり前で自然に備わった免疫力があれば難なく乗り越えられる」というのはたいていの場合はという限定付きでしか正しくない。医療においては、典型的でない経過をたどる例はある。残念ながら、健康であった子供がワクチンで予防可能な疾患で死んだり、障害が残ったりすることもある。実例はいくらでもあるが一例として■ムンプス難聴にかかった方および子どもたちの保護者からのメール その1 - 杉原 桂@多摩ガーデンクリニック小児科ブログを挙げておく。「知っていたら、絶対に予防接種を受けたのに」という保護者の言葉は重い。

確かに、健康な子供がおたふくかぜ(ムンプス)に罹っても、たいていの場合は後遺症なく治る。しかし稀ながら後遺症が残ったり、亡くなったりすることもある。稀と言えば、ワクチンによる重大な副作用も稀である。特に死亡といった重大なものは、ワクチンと因果関係があるのか、それとも偶然なのか区別が付き難いぐらい稀である。健康な子がワクチンで予防可能な疾患で亡くなるよりもずっと稀だ。だからワクチンが推奨されている。ワクチンの必要性はメリットとデメリットを勘案して判断すべきものである。

「ごく当たり前で自然に備わった免疫力があれば難なく乗り越えられる」とツイートした自称内科医は、「急性肝炎の劇症化は臨床では容易にわかります」とも言った。外来から入院1日でだいたいわかるのだそうだ(■急性肝炎の劇症化は臨床では容易にわかります - Togetter)。

急性肝炎もほとんどの場合は自然治癒するが、稀に(約1%)劇症肝炎に進展し、死亡したり、肝移植を要したりすることがある。かの自称内科医は、劇症肝炎を5例、急性肝炎を50例経験したそうだ。たったこれだけの経験でどうやって「容易にわかる」という自信を持ったのか謎である。たとえ1000例の急性肝炎を診た経験があり、そのすべてで劇症化を正確に予測できたとしても、1001例目で予測を外すかもしれないではないか。「どのような方法で劇症化がわかるのか」と質問したが返事をもらっていない。返事できるはずがない。答えずに逃げるしかない。

ハッキリ言えば、この自称内科医は劇症化予測が困難な例を経験したことがないだけである。ついでに言えば自験例が無くとも肝臓内科領域について医学雑誌を読んだり学会発表を聞いたりしていれば、劇症化予測が困難な例を見聞きすることはいくらでもある。また、まともな指導医は、非典型的な経過をたどる症例の経験について教えてくれる。この自称内科医は劇症肝炎について勉強もしていなければ指導もされていない

■山口新生児ビタミンK欠乏性出血症死亡事故 - Wikipediaはまだ記憶に新しい。山口市の助産師はビタミンKの代わりに薬効の無い砂糖玉を投与していた。ホメオパシー団体もビタミンKの代わりに砂糖玉を与えていいと言っていた(■ホメオパシー訴訟の和解がもたらした最大の成果を参照)。ビタミンKを投与されていない母乳育児の新生児は約2000人に1人の割合でビタミンK欠乏性出血症を起こす。ということは2000人のうち1999人は砂糖玉を投与されていても何も起こらない。そのためホメオパスたちは事件が起きるまで砂糖玉を与え続けたのだろう。ホメオパスたちはビタミンK欠乏による出血を経験したことがなく、また、ビタミンK欠乏が出血が引き起こしうることを不勉強で知らなかったため、子供が犠牲になったのだ。

たいていの臨床医は、自分の専門分野において、非典型例を経験したことがあるものだ。たとえば、劇症肝炎はおろか急性肝炎を一例も見たこともなく、さらに急性肝炎について勉強したことのない眼科医であっても、眼科領域で「ほとんどは問題ない経過を取るが、稀に問題を生じることがある」事例を知っている。よって、まともな臨床医であれば、専門外領域について少々の経験を積んだぐらいで非典型例を見抜けるなどとはうぬぼれない。

「ワクチンで防げる病気は自然に備わった免疫力があれば難なく乗り越えられるもの」などと主張する医師は、感染症についてよほどの多くの症例を経験したか、でなければ、自分の専門分野というものがなく非典型例を診たことがないか診ても気付いてない、臨床経験に乏しく非典型例の恐ろしさを知らないヤブ医者のどちらかである。後者は、砂糖玉をビタミンKの代わりに投与していたホメオパス助産師と同レベルである。