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日本医師会が混合診療解禁に反対する理由

■混合診療のメリットとデメリットというエントリーに対し、「日本医師会はなぜ混合診療に反対しているのか」という質問が寄せられた。日本医師会の公的なコメントは、■混合診療ってなに?〜混合診療の意味するものと危険性〜などで読める。この主張を、利権団体のポジショントークかもしれないと疑うのは、適切な懐疑であろう。日本医師会が、主に開業医の意見を代表しがちであることはよく知られているところである。

たとえば、池田信夫氏は、日本医師会が反対するのは「被害妄想」「卑しい既得権のレトリック」だとしている。


■池田信夫 blog : 医師会はなぜ混合診療をいやがるのか - ライブドアブログ


何のために、こんな世界にも類のない規制をしているのだろうか。医師会は「混合診療を認めたら、金のある人だけが高度医療を受けられるようになって格差が広がる」と主張しているが、そんなことはありえない。必要な高度医療の多くは保険でカバーされており、自由診療で受けるのは海外で開発されたばかりの技術など特殊なものに限られる。自分の意思で保険外のサービスを受けることを禁止する理由はない。

医師会のもともとの理由は、混合診療で高度医療が認められると、開業医の市場が奪われることを恐れたためだった。しかし開業医のほとんどは保険外の高度医療なんかできないのだから、混合診療を解禁しても彼らのビジネスに影響はない。農産物の関税と同じで、影響のない規制改革を恐れる被害妄想なのだ。


「医師会のもともとの理由は、混合診療で高度医療が認められると、開業医の市場が奪われることを恐れたためだった」というのは事実だろうか。「開業医のほとんどは保険外の高度医療なんかできない」ことが理解できないほど開業医たちは愚かだったのか。池田氏は、「開業医の市場が奪われることを恐れたゆえに日本医師会は混合診療解禁に反対した」と言えるだけの根拠を示すべきだと思う。根拠なしに「お前らは被害妄想で反対しているだけ」と指摘するほうが妄想だ。

混合診療を解禁しただけでは、必ずしも直ちに保険給付範囲内の医療が縮小されることにはならないことは、■混合診療のメリットとデメリットでも指摘した。しかしながら、混合診療を全面解禁すれば、将来的には保険診療は縮小されると予測される。これが日本医師会が混合診療解禁に反対する一番大きな理由ではないかと私は推測する。「混合診療を解禁しても彼ら(開業医)のビジネスに影響はない」という池田氏の指摘は誤りである。開業医の多くが保険診療を行っているのであるから、影響はある。将来の保険診療の縮小の危惧については「被害妄想」とは言えない。と言うのも、混合診療解禁派自身からして、「混合診療を解禁すれば、保険診療を縮小できて、公的保険財政が健全化するでしょ」と言っているからだ。

日本医師会は、「必要な医療は保険適応するのがスジ。保険財政の悪化は、保険料のアップや税金からの補てんで対応すればいい」という立場で、このあたりは利権団体のポジショントークの香りがしないでもない。しかし、いつ患者になるのかわからない個人の立場で言っても、混合診療全面解禁よりは、保険料・税金アップで保険診療の堅持のほうが望ましいと私は考えている。保険診療が縮小したら、「金のある人だけが高度医療を受けられるようになって格差が広がる」のは当たり前の話。「海外で開発されたばかりの技術」がいつまで経っても日本で保険適応にならないのであれば、それは医療格差が広がったことに他ならない。


■池田信夫 blog : 医師会はなぜ混合診療をいやがるのか - ライブドアブログ


他方、混合診療を解禁する効果は明白だ。自由診療を受ける患者の負担が減り、新しい技術にチャレンジする総合病院が増えるだろう。小泉内閣のとき混合診療の解禁が打ち出されたのは、医療費を抑制するためだった。今後、日本が急速に高齢化する中で、老人医療費も激増する。これを抑制するためには、自己負担できる医療費は負担してもらい、本当に必要な医療だけに保険の対象を縮小しなければならない。

それがまさに医師会のいやがることなのだ。自由診療が増えると、社会主義でやってきた開業医の世界に競争が起こる、と彼らは恐れている。しかし「われわれの既得権である保険診療を守れ」とはいえないので、「格差が拡大する」などと弱者をだしに使い、「TPPでアメリカが市場原理主義を医療に持ち込む」とナショナリズムをあおる。農協と同じ、卑しい既得権のレトリックである。


ほら、「本当に必要な医療だけに保険の対象を縮小しなければならない」って書いている。まさしく医師会が混合診療をいやがる理由がそこにある。池田氏は、「必要な高度医療の多くは保険でカバーされており、自由診療で受けるのは海外で開発されたばかりの技術など特殊なものに限られる」と書いておられるが、ドラッグラグの問題をご存じないのであろう。治療する側にとっても問題だが、患者側にとっては命がかかった問題である。患者は、自称経済学者よりも混合診療についてよく考えている。


■混合診療訴訟:禁止は適法、最高裁初判断 患者側の敗訴確定 - 毎日jp(毎日新聞)


卵巣がん体験者の会「スマイリー」の片木美穂代表は「混合診療の解禁が長期的にみて患者の利益になるかは疑問が残る。有効な薬をいち早く承認し、副作用があれば迅速に知らせる体制などを整備する方が先ではないか」と話した。


卵巣がんは固形癌の中でも比較的、抗がん剤が効く。生存期間は伸びているが、その分、使える抗がん剤の種類が制限されることはときに死亡宣告に等しくなる。確かに、混合診療を解禁した直後であれば、ある程度の経済的余裕のある患者の選択肢は増える。しかし、いつまで経っても新薬が保険適応にならなければ、長期的にみて患者の利益にはならない。混合診療枠で一定の売り上げがあれば、製薬会社はコストをかけて保険適応をとりにいくインセンティブが薄れる。患者側も、混合診療を受けられる人と受けられない人とで分断され、一枚岩で保険適応を求める運動がしにくくなる。

原理的には混合診療解禁とドラッグラグの問題は独立している。「混合診療は解禁するけど、それはそれとして必要な医療はバンバン保険適応にする」のであれば、混合診療解禁に対する反対は少なくなるであろう。だが、混合診療解禁賛成派で、そのような主張をしている人はあまりいない。たいていは、池田氏のように、「保険の対象を縮小しようぜ。公的保険財政は苦しいから仕方ないじゃん」と言っている。反対されて当然とは思わないのだろうか。

日本医師会が利権団体として「公的保険が拡大したら収入が増えて(゜Д゜)ウマー」と内心では考えているかもしれないとしても、「有効性、安全性が確認された医療は個々に検討し、普遍的な医療は必ず保険適用するということを国民に保証すべき」と公言しているだけまだマシだ。だいたい、利権とか内心とか言い始めたら、混合診療解禁派だって、「混合診療が解禁されたらウチの会社が扱っている民間医療保険がバカ売れ」「貧乏人の医療費のために税金や保険料が増えるのはまっぴらごめん。俺様は民間医療保険に入るぐらいのお金はあるし〜」だろう。

混合診療が全面的に解禁されたら、「社会主義でやってきた開業医の世界に競争が起こる」という指摘については、おそらくその通りであろう。しかし、「開業医のほとんどは保険外の高度医療なんかできない」。中には外来で可能な良質な医療を提供する医師もいるかもしれないが、競争相手はビタミン注射のような代替医療まがいのことをしてくるだろう。良心的な医師であれば、そのような競争に巻き込まれることを危惧して当然である。患者からみてもあまり利益はない。

勤務医からみても保険診療が縮小すると仕事がやりにくくなる。「保険診療外なのでできません」と言わなければならないことが格段に多くなるだろう。アメリカ合衆国のように、民間医療保険会社にどこまでの医療を行ってよいか、お伺いをたてなくてはならなくなるかもしれない。のんきな人ならば、「最小限の医療が保障されているから国民皆保険が崩壊したわけではない」などと言うかもしれないが、そんな状況は国民皆保険の崩壊に他ならないと私は考える。

日本医師会がそこまで先を読んでいるかどうかはわからないが、仮に混合診療が解禁され、予想通り医療格差が広がり、多くの患者の不利益になったときに、「ほらね、だから混合診療解禁はヤバいって言ったでしょ」と言える保険にもなる。国民皆保険制度は、医師会の既得権であるが、同時に国民の既得権でもあるのだ。