NATROMのブログ

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閾値とかホルミシス効果とかをバナナで説明してみる

バナナ毒

もうそろそろ、地震や原発事故とは関係ない話をしてもよい頃だろう。今回は、バナナの毒(バナナトキシン)の話をしよう。バナナトキシンについては、知らない人のほうが多いかもしれない。ある特定の品種のバナナに含まれるバナナトキシンは、ハイアイアイ熱という疾患のリスク因子となる。ハイアイアイ熱は、南太平洋にあるハイアイアイ諸島の風土病である。比較的若い人に発症しやすく、断続的な発熱を繰り返し、最終的には消耗して死に至る。ハイアイアイ熱が猖獗を極めた1900年頃は、ハイアイアイ人の死因の5割近くに達したという。

現在では、ハイアイアイ熱はハイアイアイ人特有の遺伝的素因と環境因子(バナナトキシンの経口摂取)が複合して起こる、ある種の膠原病であると考えられているが、当初は感染症ではないかと疑われた。しかし、感染症のパターンをとらないこと、病原微生物を確認できないこと、昔から「バナナ知らずは熱知らず」という言い伝え*1があったことから、バナナとの関与が疑われた。

予備的な疫学調査の結果、特定の品種のバナナの摂取と疾患の関係が判明した。さらに、ハイリスク品種に多く含まれる植物アルカノイドの一つが、実験動物にハイアイアイ熱に類似した病態を引き起こすことが確認された。バナナトキシンと命名されたその植物アルカノイドが本当に疾患のリスク因子であるかどうかについて激しい議論が起こった。バナナトキシンの摂取がほとんどない集団においても、一定の頻度でハイアイアイ熱が見られたからである。しかし、バナナトキシン摂取量とハイアイアイ熱の罹患率についての詳細な疫学調査*2によって、現在ではバナナトキシンがハイアイアイ熱のリスク因子であることについて専門家の間で議論はない。

バナナトキシンの含有量は、バナナの品種によってきわめて幅がある。バナナトキシンをまったく含まない品種もあれば、大量に含有する品種もある。なお、ハイアイアイ諸島以外で採れるバナナにバナナトキシンが検出されたことはない。日本で食べるバナナは安全である。ハイアイアイ諸島のバナナが特異的な毒を持つようになった理由についてはわかっていないが、ハイアイアイ群島に固有な哺乳類の目(もく)であるRhinogradentiaに対する防御機構を進化させたとする説が有力である。

バナナトキシンについての疫学調査

さて、バナナトキシンがハイアイアイ熱のリスク因子であることについてはコンセンサスが得られたが、では、どのくらいの量でハイアイアイ熱のリスクが増すのかについては、いまだ議論がある。詳細な疫学調査(30万人近い集団を追跡したコホート研究である)の結果を引用しよう(表)。バナナトキシン暴露量は体重当たり1日当たりである。たとえば、毎日1000μgのバナナトキシンを摂取している体重50kgの人のバナナトキシン暴露量は1000/50 = 20μg/kg/日となる。



症例(人)は1年間で集団中に発症した人数である。罹患率は症例(人)を観察集団の人口で割った数字である。表から、200μg/kg/日を摂取している集団のハイアイアイ熱発症の相対危険度は約3.3であるとわかる。まったくバナナトキシンを摂取していない人と比較して、体重1kgあたり200μgの量のバナナトキシンを毎日摂取し続けていると、ハイアイアイ熱を発症する確率は約3.3倍となるわけだ。表を見ただけで、明らかにバナナトキシン摂取量の多い集団で症例が多いことがわかるが、グラフにするとさらに用量反応関係がよくわかるだろう。



あなたがハイアイアイ人で、ハイアイアイ熱に罹りたくないのなら、バナナトキシンの多いバナナを食べない方がよさそうだ*3。疫学調査の結果を受けて、ハイアイアイ政府は、バナナトキシン規制を検討したが、どの程度の規制を行うかについて、激しい議論が起こった。専門家の意見は、主に3つに分かれた。「閾値あるよ派」「閾値ないよ派」「ホルミシス派」である。それぞれの意見を見てみよう。

閾値あるよ派〜5μg/kg/日で十分すぎるほど安全〜



閾値(いきち)というのは、「それより低ければ影響が全くない量」のことである。バナナトキシン摂取量ゼロの集団と比較して、5 μg/kg/日までは統計学的有意差がない。疫学的には、バナナトキシンのリスクが観察されるのは10 μg/kg/日からである。実際の基準値は、ある程度の余裕をもって決めるべきであるが、「閾値あるよ派」の専門家たちは、5 μg/kg/日以下のバナナトキシンは、リスクは全くゼロであると考える。

閾値ないよ派〜少しでも摂取していればリスクはゼロではない〜



閾値ないよ派は、もうちょっと慎重な立場をとる。バナナトキシンの害に閾値がなく、単純に暴露量が増えれば増えるほどリスクが増すと仮定する(「線形しきい値なし仮説」という)。概ね、バナナトキシンの暴露量が1 μg/kg/日増えるごとに、約5人/10万人/年のリスクが増えることになる。この程度のリスク増加は、10万人規模の疫学調査でも容易には観察できない。しかし、観察できないからリスクなしと決め付けてはいけない、とするのが「閾値ないよ派」の立場。

この疫学調査だけでは、「閾値ないよ派」と「閾値あるよ派」のどちらが正しいかはわからない。「閾値ないよ派」も、「絶対閾値はねーよ」と言っているわけではない。「閾値があるのかないのか、わかんないよね。わかんないのはしょうがないとして、今後の研究課題として、仮に閾値がなかったとしても大丈夫なように基準値とか決めた方がいいんじゃね」と言っている。「5 μg/kg/日まではOK」としてしまって、もし閾値がなかったとしたら、10万人年あたり約25人の発症が生じてしまう。だったらもっと安全側に振った方がいいだろってわけ。

ホルミシス派〜微量のバナナトキシンはむしろ体にいい〜



ホルミシス効果とは、大量では有害なものが、微量ではかえって体に良いという効果を指す。バナナトキシンホルミシス派は、それほど数は多くなく、一部ではトンデモ扱いされている。だが、正しい可能性がまったくないというわけではない。統計学的有意差はないものの、暴露量 5 μg/kg/日で、もっとも罹患率が小さい。バナナトキシン暴露量とハイアイアイ熱罹患率のグラフを、もっとも自然に解釈した仮説とも言える。バナナトキシンホルミシス仮説が正しいという明らかな証拠はないが、ホルミシス派に言わせれば、閾値あるよ仮説も、閾値ないよ仮説も、正しいという明らかな証拠はないわけである。

基準値を超えるバナナトキシンが検出された

議論の末、ハイアイアイ政府は、1 μg/kg/日を越えないことを目標にバナナトキシンの基準値を設定した。以後、ハイアイアイ熱の発症は緩やかに減少しつつある。近年、基準値を超えるバナナトキシンを含むバナナが市場に出回る騒ぎがあったのは記憶に新しい。20 μg/kg/日を超えかねない量であったため、「基準値の20倍のバナナトキシンを検出!」と危険性を煽る報道もあり、一時はパニックに陥る国民もいた。だが、基準値は「毎日摂り続けてもおそらく安全」な量であり、数日ぐらい20 μg/kgのバナナトキシンを摂取してもほとんど問題ない。「閾値あるよ派」の専門家は「全く害はない」と断言した(一部の国民に「御用学者」呼ばわりされたと聞く)。「閾値ないよ派」の専門家も10万分の1以下のリスクと判断するであろう。「閾値ないよ派」にすれば、1 μg/kgのバナナトキシン摂取を毎日続けるほうがよほど危険である。

ハイアイアイ政府は「ただちに健康に影響はしないレベル」と説明したそうである。「何のための基準値か」という批判もあったが、基準値は毎日食べても大丈夫なように決めてある。「ただちには健康に影響はしなくても、後から健康に影響するのだろう」と受け取る国民もいたが、誤解である。「このレベルの暴露量が毎日長期間続けば、健康に影響する」と解釈するのが正しい。問題はむしろ、バナナトキシンを含むバナナが出回ってしまった原因である。その原因が解決しないことには、国民は長期的にはバナナトキシンのリスクに晒されてしまうのだ。


*1:実際には、バナナトキシンの摂取がなくても遺伝的素因があればハイアイアイ熱を発症しうる。現在では、この言い伝えは、バナナを常食としない異邦人がハイアイアイ熱に罹患しないという観察から生じたとされる

*2:Mofmov I et al , Bananatoxin and incidence of variable fluminant collagen disease in Hi-yi-yi islands people., Journyal of Toxic-exposure Epidemiology 10:4191535307 p158-172. (1987)

*3:ハイアイアイ人以外のハイアイアイ熱症例はきわめて稀とされている。遺伝的要因も関与しているのだろう。非ハイアイアイ人がバナナトキシンを摂取したときの害についてはよくわかっていない