NATROMのブログ

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正直にプラセボを使う

鍼に特異的効果はあるか?この疑問に答えるのは難しい。鍼治療を受けた患者の集団と、無治療の患者の集団を比較して、統計的に有意差があったとしても、その差は鍼の特異的効果に由来するものではなく、プラセボ効果に由来するものかもしれないからだ。普通の薬の場合は、特異的効果の有無は、二重盲検法で測定される。二群に分けられた患者の一方は実薬を、もう一方は不活性な偽薬(プラセボ)を投与される。薬なら、不活性な偽薬を作るのはさほど困難ではない*1。しかし、不活性な鍼などというものを作るのは可能か?鍼の対照として、浅く打つ、経穴をはずして打つ、偽鍼を使うなどの方法が使用されている。「代替医療のトリック」では、伸縮して皮膚に突き刺さるように見えるだけでなく、鍼を支えて「刺さったまま」にでき、皮膚に軽い刺激を与える伸縮鍼が紹介されている。



エクセター大学の研究グループがこの伸縮鍼を使ってプラセボ鍼治療を行ったところ、患者は本物の鍼を打たれているものと思いこんだ。患者は、長い鍼を見て、皮膚に軽い衝撃を覚え、鍼が皮膚に突き刺さっているのを目にし、皮膚のその部分にかすかな痛みを感じ、数分ほど鍼を放置され、その後取り除かれるという経験をする。皮膚に浅く打つ鍼も、経穴をはずして打つ鍼も、十分に偽鍼とみなせるが、理想を言えば、鍼は実際に皮膚に突き刺さるべきではない。その点において、伸縮鍼のほうが優れた偽鍼といえる。(P110)


こうした優れた「プラセボ鍼」を使った研究では、鍼に特異的効果を検出できなかった。つまり、「鍼はプラセボにすぎないことが示唆されるようになったのだ(P111)」。鍼がプラセボに過ぎないのであれば、医療の現場からは原則的には排除されるべきである。しかし、偽鍼(プラセボ鍼)を使った研究でわかったことは、鍼が偽鍼と同程度の効果しかなさそうなことだけではない。鍼を打たなかったグループは、鍼(鍼であろうと偽鍼であろうと)を打ったグループと比較して、改善の程度は著しく低かったことも明らかになった。おそらくはプラセボ効果によるが、無治療よりも鍼を打った方がましなのである。当然、こういう疑問が湧く。「プラセボであろうと、患者が良くなるのであれば、鍼治療もアリじゃね?

「代替医療のトリック」では、プラセボ効果のみを期待した代替医療を用いることに対して批判的である。「われわれがプラセボにもとづく代替医療は用いるべきでないと考える主な理由のひとつは、医師と患者の関係が、嘘のない誠実なものであってほしいと思うからだ(P315)」。実地臨床の現場ではときにプラセボは使用されているが、その倫理的妥当性については議論の余地がある。その主な理由は、「代替医療のトリック」で述べられているように、「医師は患者に嘘をつくべきではない」という倫理である。かと言って、「これはプラセボです」と正直に患者に伝えてしまったら、プラセボ効果は失われてしまうのではないか。Lancet誌に載ったプラセボ効果についての論文*2が、まさしくその問題を扱っている。



Can a recommendation for a treatment intended to promote the placebo effect be made without deception and also without undermining its therapeutic potential? Consider, for example, the case of a clinician who recommends acupuncture treatment for a patient with chronic low back pain who has not been helped by standard medical therapy. Aware of the results of the recent acupuncture trials, this clinician thinks that acupuncture might work by promoting a placebo response. The clinician might provide the following disclosure to the patient: “I recommend that you try acupuncture. Several large studies have shown that traditional acupuncture is not better than fake acupuncture treatment, but that both of these produce substantially greater symptom improvement in patients with chronic low back pain compared with those patients who receive no treatment or conventional medical therapy. Although the specific type of needling does not seem to make any difference, it is possible that acupuncture works by a psychological mechanism that promotes self-healing, known as the placebo effect”. At face value, this disclosure seems honest. A patient who received this disclosure and subsequently got better after undergoing acupuncture might nonetheless develop a false belief about why it worked. This does not mean, however, that the patient has been deceived by his or her clinician.

(NATROM訳)患者を騙すことなく、潜在的な治療効果を落とすことなく、プラセボ効果を促進することを目的とする治療を患者に勧めることはできるだろうか?たとえば、標準治療で改善しなかった慢性の背部痛患者に、鍼治療を勧める臨床医のケースを考えよう。最近の鍼治療の臨床試験の結果を知り、鍼はプラセボ反応を促進することで効果を発揮するのではないかと臨床医は考える。臨床医は、以下のような情報を患者に提供する。「鍼を試してみてはどうでしょうか。慢性の背部痛の患者を対象にしたいくつかの大規模臨床試験では、伝統的な鍼治療は偽鍼治療と比較して良いとは言えないものの、鍼治療および偽鍼治療の両方とも、無治療または従来の治療と比較してかなりの症状改善をもたらすことが示されました。特別なタイプの鍼は効果はないようでしたが、鍼はプラセボ効果として知られる自然治癒を促進する心理的メカニズムによって働くのかもしれません」。額面通りに、この説明は正直なようだ。この説明を受け、鍼治療をうけて良くなった患者は、なぜ鍼が効いたのかについて間違った信念を持つかもしれない。しかし、これは患者が臨床医に騙されたことを意味しない。


これはわりと効くかもしれんと私は思うが、どうか。厳密に言えば、「プラセボと差がありません」と説明されてもなお効果があるかどうかは、臨床試験では示されていない。なので、もう一度、別の臨床試験を行う必要はあるだろう。「正しい」説明をされた鍼治療群と、無治療もしくは従来の治療群とを比較した無作為化比較試験だ。盲検化する必要はない*3。鍼に特異的効果があるかどうかを知りたいのではなく、実地臨床の場で鍼治療が役に立つかどうかを知りたいからだ。鍼治療ではないが、過敏性腸症候群に対しては似たような臨床試験は行われている*4。「患者を騙すことなくプラセボを使う」という選択肢は、真面目に議論されているのだ。


追記
より詳しく知りたい方は、Berman BM et al, Acupuncture for chronic low back pain, N Engl J Med. 363(5):454-61 (2010)および、この論文に対するコメントが参考になるかもしれない。「代替医療のトリック」の著者の一人である、エツァート・エルンスト(Edzard Ernst)もコメントしている。エルンストのコメントは、要約すれば、「多くの患者にとって、鍼は目新しくて、エキゾチックである。日常的に鍼治療が用いられるようになれば、鍼の効果は時間の経過とともに落ちるのではないか。プラセボを採用するのはうまいやり方ではない」というもの。著者(Bermanら)の反論は、「エルンストの仮説はデータに支持されない。それどころか、鍼が効いたという経験が、よい結果をもたらすというデータがある。このデータは効果の期待もしくは条件付けによって説明されるかもしれない」というもの。


外部リンク

忘却からの帰還で、「医師も患者もフェイクな治療法であることを知っていて、なおかつプラセボ効果は効くかもしれない」という仮説が紹介されている。
■忘却からの帰還: メモ「メタプラセボ仮説」

*1:漢方薬のプラセボは味や風味を似せる必要がある

*2:Finniss DG et al., Biological, clinical, and ethical advances of placebo effects., Lancet. 375:9715 p686-95. (2010)

*3:エンドポイントの評価には工夫が必要だろう

*4:蝉コロンさんが紹介している。■「偽薬と分かっていても効果がある」? - 蝉コロン