NATROMのブログ

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パリ大学アルベルン(アルペン)教授の「がん細胞の血球原説」

今回も、くだらないトンデモ学説に対するくだらないツッコミだよ。あまりにもくだらなさすぎる上、笑える要素も少なくオチもないのでエントリーにするかどうか迷ったけど、何度も同じくだらない議論をするのはいやだからまとめてみた。さて、一部の代替医療支持者に人気のあるトンデモ学説に千島学説がある。いろいろおかしな主張を含むけど、たとえば、「細胞は分裂ではなく新生して増殖する。癌も無制限な細胞分裂によって増えるのではなく、赤血球が集まって新生する」というもの。細胞核も新生するらしいですぜ。まあ、バクテリアが集まってゾウリムシになるぐらいだから、それぐらいへいちゃらなのだろう。

ここ150年ぐらいの生物学の知識と真っ向から対立する千島学説に肯定な人が現代社会に存在することには驚かされる*1。「癌の画期的な治療法」ぐらいなら、「抗癌剤を売ろうとする悪の製薬会社の圧力によって世に出ない」という陰謀論にすがることで、なんとか心の中で折り合いをつけれるだろう。しかし、生物学の分野ほぼすべてが間違いであるという主張は、千島学説支持者の心の中ではどのように説明されるのだろうか?生物学者はすべて(学生も含めて)陰謀に参加しているのか?あるいは、とんでもない間抜けぞろいなのか?千島学説支持者に聞いてみた*2



[現代医学だけでなく、現代生物学のほとんどが間違いということになると、]現代の日本の医師だけでなく、世界中のここ150年間ぐらいのすべての生物学者が見落としていたことを、千島博士が発見したと、そうお考えで?


以下がお答え*3



1965年、パリ大学のアルペン教授が[がん細胞の血球原説]というのを発表しているということですが、これ千島学説とは矛盾していないんじゃないかな。
「ガン細胞が正常細胞に戻る」ことがあるという研究もありますね。保積本男氏、市川康夫氏氏、菅野晴夫氏の3人は高松宮妃癌研究基金学術賞を受けている。だから「150年間ぐらいのすべての」とはいえませんね。


「ガン細胞が正常細胞に戻る」ことがあるという研究については、既出である→■がん細胞を正常細胞に戻す。一言で言えば、「ぜんぜん千島学説を支持する研究ではなく、むしろ千島学説と矛盾する研究なのに、千島学説支持者が勘違いしただけ」であった。パリ大学のアルペン教授の[がん細胞の血球原説]のほうも似たようなものであろう。一次文献を要求したが、当然、出してもらえなかったので、こちらで調べてみた。日本語では、千島学説関係以外の情報を見つけることができなかった。千島学説 2(間違いだらけの医者たちより)*4ではこう。



千島学説を支持したパリ大教授

「がん細胞は病的になった血液中の赤血球が変化して生ずるもので
ある。細胞分裂にとってどんどん増えるのだという、従来の定説は
誤りである」(癌細胞血球由来説−−一九六一年発表)
この論文は国内での評価は受けず、無視もしくは黙殺された。
ところが四年後の一九六五年になって、パリ大学の教授アルペンが
[がん細胞の血球原説]という、千島と同じ結果の学説を発表し、
大きなセンセーションをフランスで巻き起こした。
そのとき、血液学者ステファノポリ−博士が千島の優先権を認めた
ものの、全体の流れとしては細胞の分裂を信じる生化学者、医学者
によって、この新説は結局、無視されるかたちになった。
千島はその後も研究を続け、癌細胞の自然治癒を示唆した。


新生命医学会ページ*5ではこんな具合。「アルペン教授」ではなく「アルベルン教授」と表記されている。





アルベルン教授の癌細胞起源研究


「Halpern教授」「Paris Match誌」というヒントでさらに調べてみた。Pubmedでは空振り。Halpernという人はいるけど、Paris Match誌は、雑誌自体が検索できない。Google先生に聞いてみたところ、「世界の雑誌 フランス語圏」というページに*6



Paris Match
  
フランス
 パリで出版された週刊誌。主としてフランスの国内を中心にして、政治・経済・芸能関係や市民生活に直接結びついている話題までを幅広く取りあげて、読みやすく書かれている。
とあった。Paris Match誌は一般人向けの週刊誌だった*7。Pubmedで検索して損した。そういえば、高松宮妃癌研究基金学術賞の話も、ソースは読売新聞だったしなあ。せめてHalpern教授のファーストネームでも分かれば、パリ大学教授というのが事実かどうかの検証はできただろうに。Halpern(アルベルン/アルペン)教授の「がん細胞の血球原説」とやらは、一般人向けの週刊誌に書かれた記事が元ネタである。まともな医学者が、一般人向けの週刊誌に新説を発表することはない。結局のところ、可能性は二つほど考えられる。 1.Halpern教授の「がん細胞の血球原説」は、千島学説を支持するものかもしれないが、まともな医学雑誌には載らないトンデモ説であった。 2.Halpern教授はまともな医学者で、一般向けに癌に関する記事をParis Match誌で書いた。その記事を千島学説支持者が誤読した。 Paris Match誌では、「組織培養上のガン細胞」が示されていたところから推測すると、2.の可能性が高いように思う。Halpern教授が千島学説を支持したというのは、千島学説支持者が自称しているだけで、客観的な証拠はない。Halpern教授の記事が「大きなセンセーションをフランスで巻き起こした」という証拠もない。

*1:嘘です。本当はそんなには驚いていません

*2:URL:http://twitter.com/NATROM/status/17778905597

*3:URL:http://twitter.com/Harapeko2010/status/17783411889、URL:http://twitter.com/Harapeko2010/status/17784637572

*4:URL:http://members.at.infoseek.co.jp/akyonn/tisima2.htm

*5:URL:http://www.chishima.ac/i/dai6.htm

*6:URL:http://www.kufs.ac.jp/toshokan/newspaper/mag3.htm

*7:こんな感じ→■Revue Paris Match。No 822に"La lutte contre la cancer avec le professeur Halpern"という記事がある