NATROMのブログ

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助かる確率は3万人に1人?「いずみの会」の体験談

上部消化管内視鏡の検査の日は、食事をとってはいけない。その旨を患者さんに説明するのだが、行き違いがあると、以下のようなよくある笑い話になる。



医師「今日は、朝ご飯は食べてないですよね?」


患者「はい。『ご飯は食べないで』と言われたので、パンを食べてきました。」


これは、パンなら食べても大丈夫と誤解しうる説明をしたほうが悪い。たいていの医療機関では、このような誤解が起こらぬよう工夫がなされている。検査の説明であれば、誤解が生じたらフィードバックして説明の定型文を修正することもできる。しかし、日常の診療において、あらゆる事態を想定して常に誤解のないように説明をするのは困難である。私の経験では、癌の患者さんから、「医師の説明が食い違っている」と言われたことがある。



患者「A医師からは『5年生きる』と説明していただいたのですが、B医師からは『数ヶ月しかもたないだろう』と説明されました。どちらが正しいのですか?」


誤解が生じた原因はすぐにわかった。A医師は5年生存率の話をしていたのに対し、B医師は仮に再発した場合の予後について説明していたのである。医学の素人が、癌のような重大な病気を告知され、気が動転しているのに、予後の説明を正しく理解しろというほうが無理である。患者さんの反応を見ながら、少しずつ時間をかけてご理解していただくしかない。この患者さんのように疑問を口に出していただけると助かる。医師が忙しいのに気を遣って、質問を遠慮している患者さんもいるのだろう*1

さて、代替医療に効果があるかどうかを判断するために、体験談があてにならない理由の一つとして、「患者さんは、医師の説明を、100%間違いなく理解することはできない」ことが挙げられる。ここでは、具体的に、NPO法人いずみの会の会長である、中山武氏の体験談について解説する。私は、癌患者の会があってもいいと思うし、代替医療についての情報を交換することもかまわないと思う。患者さんの希望になるような活動は大いに応援したい。しかし、早期癌に対する切除手術や、抗癌剤や放射線療法を否定するような発言や、現代医学を否定する安保徹氏((安保徹氏の問題点については■癌性疼痛の除痛すら否定する安保徹と上野紘郁を参照。))に基調講演を依頼したりしていることには問題があると考える。いずみの会のために、標準医療を選択せず、結果として寿命を縮める患者さんが出ないとも限らない。対抗言論も必要であろう。さて、中山会長の体験談は、以下のようなものである((URL:[]http://homepage2.nifty.com/izuminokai/profile.htm[]))。



1981年に早期胃ガンが見つかったが、玄米菜食につとめ早期ガン
を退縮させた。

3年後に胃ガンが再発、摘出手術を受ける。
有転移進行性胃ガンで「6ヶ月以内に必ず再発、助かる確率は3万
人に1人」と医者に宣告されたが、食事療法を中心に体質改善に努
め、再発なしに5年が経過。


これだけを読むと、食事療法が、早期癌を退縮させたり、再発を抑制したりするように誤解する人もいるだろう。しかし、「患者さんは、医師の説明を、100%間違いなく理解することはできない」ことを思い出せば、この経過には、奇跡的なところはなにもなくなる。より詳しい経過を引用して解説することにする*2



 いまから23年前の1981年、私は49歳の時に胃ガンになった。
 定期検診でひっかかり、入院精密検査の結果、「胃潰瘍だからすぐに手術する」といわ
れた。私が手術を拒否すると、家族が呼びだされ、実は早期胃ガンだと知らされた。
 当時、東京都内で東洋医学系のK先生が、代替医療をやっていた。以前、その先生の「玄
米菜食」や「ビタミンB17療法」などのセミナーを聞いていたので、それをやってみたい
と思った。
 肉などの動物性タンパク質や油ものや糖分などを摂りすぎると「ガン体質」になりやす
いので、白米を玄米に替え、副食は野菜類にして、体質を変えることでガンを退縮させよ
うというものだ。
 K先生に電話をすると、「すぐ東京に出てきなさい。明日からでも玄米菜食を始めるよ
うに」といってくれた。
 しかし、そのことを私が担当の医師に話すと、病院の副院長がやって来て、血相を変え
てどなった。
「あんたはなんというタワケだ。そんな食べ物だとか、わけのわからん薬みたいなもので
ガンが治ると思ってるのか。そんなことをいう医師はペテン師だぞ。それをまともに聞い
ているあんたは、タワケというか、バカもんじゃ!」
 仕方がないので、手術が行なわれる数日前、私は荷物をまとめてタクシーを呼んで病院
を脱走した。
 すぐに上京して、K先生からビタミンB17 を主とした薬剤をもらって帰り、自宅で2ヶ
月、「玄米菜食」を実行した。
 以後2年以上、ガンはあらわれなかった。胃の透視検査も受けたが「異常なし」だった。
早期がんが消えたのである。


この後の経過も考慮するに、「早期がんが消えた」とする解釈は誤りであろう。胃の透視検査が「異常なし」だったことは、「早期がんが消えた」と判断する根拠として不十分である。早期胃癌が透視検査で見つからないことはある。ちなみに、胃がん検診ガイドラインには、「X線検診の感度(がんのあるものをがんと正しく診断する精度)は概ね70-80%*3」とある。実際、3年後には進行胃癌が発見された。いったん退縮したものが再発したのではなく、単に進行して透視検査で見えるようになっただけの可能性が強い。



 93年*4、地元の病院の検診で、1円玉ほどの大きさの胃がんが発見された。再発だった。
 再びK先生に連絡し、先生の紹介で東京・大田区池上の「松井病院」に入院した。そこ
でK先生のクリニックからビタミンB17を取り寄せて、打ってもらっていた。
 2ヶ月ほどたったころ、2人の医師が正反対のことを言いだした。K先生は、「尿検査
の結果では、どんどんよくなっている」といわれたが、入院先の担当医からは、「どんど
ん悪くなっている」という。
 ビックリ仰天したが、意を決して手術を承諾した。
 手術は元赤坂なるM外科病院で行なわれ、ほぼ全摘の大手術を受けた。
 開腹の結果、ガンはわずか3~4ヶ月の間に4センチ大に増殖していた。しかも、もっ
とも怖れられている、有転移進行性胃ガン(スキル性胃ガン)ということだった。
 K先生の言葉を信じて、あのまま同じ治療を続けていたら、私はいま、この世に存在し
ていない。
 代替医療は、数多い事例からその必要性もあるが、これを信じきったり、頼りすぎたり
するのは危険であるということを、ここで述べておきたい。


代替医療を信じきったり、頼りすぎたりするのは危険であるという主張は正しい。中山会長は、この教訓をもっと生かすべきである。胃がんの治療効果判定を尿検査で行うのは、当時はもちろんとして、現在もできない。上記引用した内容が正しいとしたら、「東洋医学系のK先生」は、完全にトンデモである。K先生にあやうく殺されかけた中山会長が、今でも、「玄米菜食につとめ早期ガンを退縮させた」と信じているのは奇妙に思える。



 胃の摘出手術後、執刀医は家内を呼んで次のように言った。
「奥さん、なぜこんなにひどくなるまで放っておいたのですか。このリンパ節の状態を見
ると、ガンは全身に飛び散っていますよ。間違いなく6ヶ月以内に転移が出ます。今のう
ちに、本人にやりたいことをやらせたほうがいいですよ」
家内はすがるように質問した。
「先生、助かる確率はどのくらいでしょうか?」
「まあ、1万人に1人か、3万人に1人でしょう」
 家内は、名古屋の自宅に帰りついた夜、生まれて初めて寝床の中で大泣きに泣いた。私
のことが心配で眠れなかったという。
 私はもともと、負けず嫌いの勝気な性格だった。医者から絶望と宣言されても、「ガン
なんかで死んでたまるか」という一念だった。


「患者さんは、医師の説明を、100%間違いなく理解することはできない」。執刀医から直接聞いたのではなく、また聞きなら、なおのことである。しかもこの場合は、記憶に頼っている。医師が上記引用した通りの説明をしたと仮定すると、医学的に疑問点がある。まず、リンパ節の状態から、「転移が出る可能性が高い」ならともかく、「間違いなく6ヶ月以内に転移が出る」と断言することはできない。助かる確率が、「1万人に1人か、3万人に1人」というのもおかしい。ある病態の予後が「3万人に1人」と予測するには、最低でも、同程度の病態の患者を3万人集めて追跡した臨床研究が必要である。私の知る限り、そのような大規模な研究はない。ちなみに、胃癌治療ガイドライン*5によれば、1991年度の症例で、胃癌の定型手術後の5年生存率は、stage IIIAで50%、stage IIIBで30%、stage IVで16%ほどであった。ヤブ医師がデタラメな説明をしたという可能性もなくはないが、「リンパ節の状態をみると6ヶ月以内に転移が出る可能性は高い。もし転移していた場合は、助かる確率は、まあ万に一つぐらいでしょう」という説明が、伝聞や時間の経過によって誤解された可能性が高い。まとめると、中山会長の経過は以下であったと私は考える。



1981年に早期胃ガンが見つかったが、手術を拒否し、玄米菜食につとめ
早期ガンを3年後に進行胃ガンまで育て、摘出手術を受ける。

リンパ節転移を伴う進行胃ガンで「6ヶ月以内に再発する可能性が高い。
5年生存率は十数%〜50%」と医者に宣告されたが、食事療法を中心に
体質改善に努め、再発なしに5年が経過。


なんのことはない。標準医療によって癌が治癒した一例である。癌を乗り越えた体験談は、多くの人を勇気づけるだろう。癌を恐れすぎるな、という中山会長の主張はすばらしいと思う。しかし、以下に引用するような、標準医療を否定する主張は看過できない。がん患者の会の会長の発言としては無責任過ぎる。



進行性ガンのように、すぐ摘出しなければ命にかかわる、という場合以外は、なるべく手術は避ける。
抗癌剤はもちろん、放射線の使用も必要最低限以外は拒否する。


なお、「10年間平均で生存率95パーセント」という、いずみの会の快挙!については、「生活の中の理性と非合理」でトリックが解説されている。


■「いずみの会」の「驚異の依存率」を調べる:生活の中の理性と非合理アーカイブ


「ガン患者の生存率はガンのステージを見なければ意味はない」「突っ込みどころを残した数字で会を宣伝しても、それは長い目で見れば会のためにも会員のためにもならない」という意見に同意する。


*1:個人的には、入院患者さんであれば、質問の要点をまとめて手紙にして、看護師さんに預けるという方法がいいと思う。医師が質問の答えを正確に調べることもできるし、時間に余裕のあるときにゆっくり説明できるからである。回診の途中に質問されたら、十分に時間がとれないこともある

*2:URL:http://www.bewell-international.co.jp/roujin/ronyori1.pdf

*3:URL:http://canscreen.ncc.go.jp/pdf/guidebook/iganbook.pdf

*4:原文ママ。おそらく83年の間違いと思われる。コメント欄も参照

*5:URL:http://www.jgca.jp/PDFfiles/GL2004VER2.PDF