NATROMのブログ

ニセ医学への注意喚起を中心に内科医が医療情報を発信します。

インフル除けお守りから「許せない度」考察してみる

ニセ科学批判批判の典型例として「お守りは批判しなくていいのかよ」というものがある。これまた典型的な反論は「お守りを売る側は科学を自称してないだろ」である。ニセ科学は「科学を装っているが科学でないもの」と定義され、お守りは別に科学を装っていないのでニセ科学批判の対象外である。実際にお守りが批判の対象になることはほとんどないのだが、以下の事例は少し考えさせられた。


■新型にも御利益、インフル除けお守り登場(読売新聞)


 お守りは縦7センチ、横4センチ。白地に黒色で「長浜八幡宮御守護 インフルエンザ病除け」と書かれている。財布やかばんに入れて肌身離さず持ち歩けるよう、プラスチック板でカバーし、お札のように仕上げている。
 このほか、「高血圧」「糖尿病」など9種類の病の平癒を祈願するお守りもある。いずれも1個500円。当面、マスクも無料配布する。


別に批判しようとして引用したわけではない。ニセ科学ではないし、容認できる範囲内だと思われる。しかし、単なる「病気平癒」のお守りと比較すれば、心に引っかかるものがある。「許せない」の端と「許せる」の端をもった直線を仮想するとして、科学的根拠のない健康器具を癌に効くと偽って高価で売りつけるのは「許せない」の端に、お守りやおまじないの類は「許せる」の端に配置できるだろう。「良心的な」ホメオパシーは両端の間のどこかに位置する。もちろん、人によって「許せない」側に近いか、「許せる」側に近いかの違いはある。「許せる」「許せない」というのは主観的な判断であるが、その判断の根拠がどの辺にあるのかを考察してみたい。私の感覚では、インフル除けお守りは、確かに「許せる」側にずいぶん近いが、若干は「許せない」よりにあると思うのだ。

                 「良心的」
         お守り   ホメオパシー  バイオラバー
              ↓        ↓       ↓
          許せる     普通    許せない
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    ∩___∩   /)
    | ノ      ヽ  ( i )))
   /  ●   ● | / /
   |    ( _●_)  |ノ / インフル除けお守り
  彡、   |∪|    ,/     はこの辺
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 (___)     /


なぜ、「インフル除けお守り」を、若干とはいえ許せないように感じるのだろう。たとえば、お守りをさらに細分化し、「癌」「ポリープ」「炎症」「潰瘍」などの疾患別や「肝臓」「膵臓」「胃」「大腸」などと臓器別にして、大腸癌の肝転移の患者さんに、「大腸、肝臓、癌に加えて、さらに『免疫力アップ』のお守りをお勧めします」などとやったらどうだろう。これはかなり「許せない」側に位置すると感じる。なんでだろう?お守り1個1万円を取ったら、もうアウトだと思える。別に、科学を自称していなくてもだ。

細分化お守り商売を許せないと感じる理由の一つは、たとえ明示的に科学を装っていないとはいえ、「癌」「肝臓」といった科学の用語を転用している点があるだろう。結晶やら波動やら科学っぽい用語を並べて商品を販売していれば、いくら「ポエムだ」と言い逃れたところで、実質的に科学を装っているとみなされるのと同様である。ニセ科学かどうかは「許せる」「許せない」の判断基準の一つに過ぎず、別のファクターも関与している。金額が高くなると「許せない」度が上がるように感じるのは、明らかに「ニセ科学かどうか」とは異なる基準による。「水からの伝言」が批判された理由も、それがニセ科学であるからという他に、たとえば、言葉の善し悪しを水の結晶の美しさで判断するのは思考停止である、といった別の理由もあった。ポエムとしても質が悪いというわけだ。言語化するのは難しいのだが、「インフル除けお守り」も、「お守りとしても質が悪い」と言えるような違和感を感じるのだが、皆さんはどう思うか。