NATROMのブログ

ニセ医学への注意喚起を中心に内科医が医療情報を発信します。

なぜ丙午の年に乳児死亡率が高いのか

丙午(ひのえうま)の年に出生率が低下することはよく知られている。ウィキペディアの丙午の項によると、「この年に生まれた女性は気が強い」「一般庶民の間では、この年生まれの女性は気性が激しく、夫を尻に敷き、夫の命を縮める(男を食い殺す)とされ」たとのことである。迷信ではあるが、迷信を信じている人が一定数いれば、迷信を信じていない親にも丙午の年の出産を避けるインセンティブが働く。最近では昭和41年つまり1966年が丙午であったが、その前後の年と比較して出生率が減った。

ここまでは別に不思議ではないのだが、丙午の年は、出生率が減っただけでなく、乳児死亡率が高かったのだ。私はこのことを基礎から学ぶ楽しい疫学という本で知ったのだが、この本には丙午の年に乳児死亡率が高い理由も同時に述べてあったので、考える暇がなかった。答えはこのエントリーの下の方に書いてあるので、クイズとして楽しみたい方は、途中までで読むのをやめて考えてみてほしい。とりあえず、厚生労働省のサイトの人口動態総覧(率)の年次推移というページのデータを用いてつくった、昭和41年の前後の出生率および乳児死亡率のグラフを提示する。




出生率および乳児死亡率の年次推移

乳児死亡率がどんどん下がっていること自体が壮観だが、丙午の年に微妙に足踏みしているのがおわかりだろうか。順調に乳児死亡率が減少すれば丙午の年の出生千人あたりの乳児死亡は17か18ぐらいのはずなのが、前年より増えて19以上であった。飢饉や疫病といった環境悪化があったのなら、出生率の減少および乳児死亡率の上昇は説明できるが、昭和41年の出生率低下は迷信によって人々が受胎調節を行ったためであるから、それで乳児死亡率が増加するというのは普通には考えにくい。また、近藤(1980)によれば、乳児死亡率だけでなく、先天異常乳児死亡率も丙午の年に増加しているそうだ。昭和41年は乳児先天異常死の実数は少ないものの、分母となる出生数がそれ以上に少ないため、前後計5年間で最も先天異常による乳児死亡率が高い。




丙午前後の先天異常乳児死亡率(昭和41年の先天異常死亡率を太字で示した)











生まれてしまったのを無かったことにした、なんて怖い考えに陥りそうであるが、丙午の年の乳児死亡率、あるいは先天異常乳児死亡率の増加は合理的な説明が可能なのである。近藤(1980)から引用する。



乳児死亡率は一般に(ある年の乳児死亡数)/(その年の出生数)として算出される。しかし、この算出方法による乳児死亡率は、厳密にいえば乳児死亡の正確な危険度をあらわしているとはいえない。真の危険度を示すためには、分母は分子の母集団と一致していることが必要であるが、前記の算出方法はこの条件を満たしていないからである。乳児死亡とは出生後1年未満の死亡であるから、出生直後の死亡から生後1年近いものまで含まれている。例えば、ある年の5月における乳児死亡については考えてみると、月令3ヵ月以前の乳児死亡はこの年の出生であるが、月令5ヵ月以後はすべて前年の出生である。月令4ヵ月の乳児死亡には、この年の出生と前年の出生の両方の可能性がある。この場合、年次別に死亡率を計算する場合の分母を年間の出生数とすると、月令3ヵ月以前の乳児死亡はこの年の出生が母集団となるが、月令4ヵ月の一部と月令5ヵ月以後の乳児死亡は前年の出生が母集団であり、死亡数の出生数である分母とは一致しない。このようなことは出生数の年次推移に大きな変動がなければ実用上は無視できるが、出生数の急激な増減があった場合は十分に留意する必要がある。


要するに丙午の年の乳児死亡実数に前年生まれの乳児の死亡が含まれてしまうことが、見かけ上の乳児死亡率の増加をもたらしているわけだ。ちなみに丙午の翌年、昭和42年の乳児死亡実数には丙午生まれの乳児の死亡が含まれるため、乳児死亡率は見かけ上減少する。乳児死亡率のグラフを再び見て欲しい。丙午による乳児死亡率の見かけ上の変動が影響している年が、丙午とその翌年であるのがわかるだろう。

厳密に言うならば、これだけでは「丙午の年の乳児死亡率の増加は見かけ上のものである可能性がある」とまでしか言えないが、近藤(1980)は日令、週令および月令別の先天異常乳児死亡数のデータを用いて、統計学的に丙午の年の前後において先天異常乳児死亡の危険度に増減があったとはいえないと論証している。また、丙午の年の出生率減少の原因は、受胎調節のみならず、年末年始の届け出操作があり、それも見かけ上の乳児死亡率の変動に影響することも考察している。ただし、影響としては小さいようだ。近藤の論文は、ネット上で見ることができる(近藤良、1966年(ひのえうま)における先天異常乳児死亡率の見かけ上の増加について)ので、興味のある方はどうぞ。



参考文献

丙午(ウィキペディア) URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%99%E5%8D%88
中村好一著、基礎から学ぶ楽しい疫学、医学書院
第2表-2 人口動態総覧(率)の年次推移 URL:http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/suii01/soran2-2.html
近藤良、1966年(ひのえうま)における先天異常乳児死亡率の見かけ上の増加について、先天異常 20:7-16, 1980 URL:http://ci.nii.ac.jp/Detail/detail.do?LOCALID=ART0003016358&lang=ja