NATROMのブログ

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シートベルトは死亡を防がない? ニセ科学を見抜く練習問題シリーズ

インフルエンザワクチンの効果に否定的な主張はよくあるが、これまでに見たことのないパターンのものを見つけた*1。要約すれば以下のようになる。引用元の桜子さんによれば、「[インフルエンザワクチンに]とても予防効果があると大きい声では言えません」とした根拠は、インフルエンザ罹患者における高いワクチン接種率ではなく、インフルエンザワクチンの添付文書であるそうです。よって以下の要約は桜子さんの主張とは無関係でしたので訂正するとともに、桜子さんに謝罪いたします。なお、インフルエンザワクチンの添付文書のいったいどの部分から、「とても予防効果があると大きい声では言えません」と結論したのか何度か質問しましたが、十分な答えはいただけませんでした。ちなみに添付文書には健常男性については「ワクチンの有効率は80%」、施設・病院入所中の高齢者に対しては、「発病阻止効果は34〜55%、インフルエンザを契機とした死亡阻止効果は82%」とあります。詳細はコメント欄を参照してください。


カナダの21の病院でのデータでは、インフルエンザの患者さん(成人)のうち、71%はインフルエンザのワクチンを接種していた。これではワクチンに予防効果があるとは言えない。

さて、問題。Q.上記のデータからインフルエンザワクチンの予防効果の有無について判断できるか?














カナダの21の病院でのデータの出所は、McGeer et.al, Antiviral therapy and outcomes of influenza requiring hospitalization in Ontario, Canada., Clin Infect Dis. 45(12):1568-75.だ。2007年の論文で、新型インフルエンザではなく、季節性インフルエンザの話であり、主題は「抗インフルエンザ薬はインフルエンザによる入院患者の死亡を減らす」というもの。原著にあたったが、インフルエンザによる成人入院患者327人中、ワクチン接種者は216人(71%)とある。 想像するに、上記要約引用した発言をした方は、「もしワクチンに予防効果があるのであれば、インフルエンザで入院する人の7割もの人にワクチン接種歴があるのはおかしい。ワクチンがインフルエンザを予防するのであれば、入院となった人の中のワクチン接種者の割合はもっと低くなるはずだ」とお考えになったのであろう*2。しかし、同様の論理を用いて、シートベルトに死亡を防がないとも主張できる。



平成20年の日本のデータでは、運転席に座っていて交通事故で死亡した人のうち、51%はシートベルトをしていた。これではシートベルトに死亡を予防する効果があるとは言えない。


警察庁のページにある座席位置別・シートベルト着用有無別死傷者数の表によると、運転席における死者数のうち、シートベルト着用が631人、非着用が605人であった*3。ワクチンの話はわかりにくくても、シートベルトに喩えるとわかりやすいと思ったが、どうか。普段から運転している人のシートベルト着用率が高かったら、死者数のうちのシートベルト着用者の割合も高くなる。仮に、運転者のすべてがシートベルトを着用していたとしたら、運転席に座っていて交通事故で死亡した人のうち100%がシートベルト着用者になる。シートベルトの効果を知りたいのであれば、少なくとも比較対照となる群でのシートベルト着用率が必要である。警察庁のページでは、対照群を死傷者、つまり死亡ではなく怪我で済んだ人も含めた集団とし、シートベルトをしないと運転席では死亡の確率が47.2倍になるとしている。厳密には、「シートベルトをしないような運転者は乱暴な運転をするため、事故を起こしたときに死亡しやすい」などといった交絡因子を考慮していないだろうが、それでもシートベルトに死亡を抑制する効果があることを疑問に思う人はそうはいないだろう*4

ひるがえって冒頭の問題の答え。A.入院患者におけるワクチン接種者の割合だけでは、インフルエンザワクチンの予防効果の有無について判断できない。対照群との比較が必要である。この場合は、大雑把には、対照となった病院の医療圏の成人集団が対照となる。原著には、


The proportion of patients in this cohort who had been vaccinated against influenza was substantial but is lower than vaccination rates among the general population of Ontario.
(訳)インフルエンザの予防接種を受けた患者の割合は相当なものだったが、オンタリオの一般集団のワクチン接種率よりは低かった。

とあり、インフルエンザワクチンが入院を減らすことを示唆している*5。もともとこの論文の主題は、抗インフルエンザ薬の効果であって、ワクチンはあくまでデータの一つに過ぎない。ワクチンの効果は既知のものとして扱っている。


Other research clearly demonstrates that influenza vaccination is effective in preventing influenza and cost-saving to the health care system.
(訳)他の研究は、インフルエンザワクチンがインフルエンザを予防することに効果的で、健康管理システムのコストを抑えることを明らかに示した。

インフルエンザワクチンの効果については、無作為二重盲検法でも証明されている。ただし、入院や死亡を完全に防ぐわけではない。シートベルトが交通事故死を完全に防ぐことができないのと同じだ。「私たちはインフルエンザワクチンを打っていたのに、毎年学級閉鎖になった。私は毎年罹った」という経験でもってワクチンの効果に懐疑的になる人もいるようだ。ワクチンの接種率が高ければ高いほど、そういう経験をした人は増える。比較対照試験より経験を重視する人は、身近な人間がシートベルトをしていたのにも関わらず交通事故で亡くなったら、シートベルトの効果にも懐疑的になり、「シートベルトに害がある可能性も考慮すべきじゃないのか」などと言いはじめるのだろうか。願わくば、対照群との比較という観点を持てる人が増えますように。


2010年2月10日追記

コメント欄がパンクしたようです。長文コメントは反映しない可能性があります。続きはこちらで→
http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20100210

*1:URL:http://miyatak.iza.ne.jp/blog/entry/1192887/allcmt/#C1276850

*2:「エビデンスとして紹介された論文と何が関係しているのかさっぱり」とのブクマコメントがあった。かの発言者が「これではワクチンに予防効果があるとは言えない」と結論付けた理由を推測するほうが難しい問題かもしれない

*3:URL:http://www.npa.go.jp/koutsuu/kikaku89/zikotoukei-date.pdf

*4:無作為割付介入試験などしようがないので、交絡因子の影響を完全に取り除くのは困難だが、それでもある程度は取り除ける方法はあるだろう

*5:入院のリスクが高い人がワクチンを接種する傾向があったとしたら、たとえ集団中の接種率と入院患者の接種率が変わらなくても、ワクチンに効果がないとは言えない