NATROMのブログ

ニセ医学への注意喚起を中心に内科医が医療情報を発信します。

病腎移植を根絶させたい人はどこ?

■脳死後の臓器提供を増やす方法(岩本康志のブログ )での指摘では、「カードを持つことで臓器を提供する意思を表示し,カードを持っていなければ臓器提供しない意思表示になる」という日本の現状では、「積極的に行動を起こさない状態(デフォルト)」は「臓器提供しない」意思表示とみなされる。一方で、意思表示がない場合(デフォルト)を「臓器提供する」意思を表示しているとみなす国では臓器提供の同意率が高い。脳死後の臓器提供を増やすには、「デフォルトを変えて、「提供しないカード」を持たないことで臓器提供の意思表示とみなす制度に変更」すればよい。ブックマークコメントは賛否が半々といったところ。反対意見、あるいは慎重な意見はこんな感じである。


  • id:kew-na 医療, 社会 極論すぎだと思う。不審死でも解剖を家族が拒否する場合がある。現状のカードを全国民に配るとかで手を打とうよ。
  • id:You-me 医療, 社会 ドナーカードを持っていないデフォルトが「臓器提供意志あり」とできるようになるには10年ぐらいは平気でかかっちゃいそうな気がする。/基本的には賛成だけどあせったら負ける勝負だと思う。
  • id:Hoo これはひどい, 医療 ・情報が国民”全員”に告知されていない限り、拒否は「選択」になり得ない ・臓器移植は「利益」のトレードオフとして論じられるべきではない


これらの主張は正当なものである。デフォルトを「臓器提供する」とすると、脳死ドナーが増え、よって移植によって助かる人の数は明らかに増えるに違いないが、それでも無条件に善しとはできない。特に「臓器移植は「利益」のトレードオフとして論じられるべきではない」というid:Hooさんの意見は正しい。事前に情報を与えられなかったり、あるいはたまたま所持していなかったりした場合に問題が生じるのは容易に想像できる。デフォルトを「臓器提供する」とするには、こうした懸念について慎重派が十分に納得するだけの根拠が必要である。デフォルトを変える前に、現状の制度内でドナーを増やす努力を行ってからでも遅くはないだろう。

さて、病腎移植であるが、本来であれば捨てるはずの腎臓を再利用して移植に使うわけで、ドナーとレシピエントの同意が得られていれば何が問題なのか、禁止するのはケシカランという主張がある。「病腎移植の原則禁止は生存権侵害」として日本移植学会役員らが提訴されたほどだ。


■「病腎移植の原則禁止は生存権侵害」腎臓病患者が日本移植学会役員らを提訴


 治療のために摘出、修復した腎臓を別の患者へ移植する「病腎(修復腎)移植」を厚生労働省と日本移植学会が原則禁止としている問題で、重度の腎臓病患者ら7人が10日、治療の選択権と生存権を侵害されたとして元日本移植学会理事長の田中紘一氏と同学会理事長の寺岡慧(さとし)氏ら学会関係者5人を相手取り、計5500万円の損害賠償を求める訴えを松山地裁に起こした。

 病腎移植の患者が同学会役員に賠償を求め提訴するのは全国で初めて。年明けには厚労省に対する国家賠償請求も予定している。

 原告団は愛媛、香川、広島、岐阜の4県の透析患者4人と移植患者3人。訴状などによると原告側は、病腎移植が問題として浮上した平成18年11月以降、学会役員らが厚労省や学会関係者、報道機関などに対し、病腎移植の医学的妥当性を否定する発言を続けたことにより、19年7月、臨床研究以外の病腎移植を原則禁止するとの厚労省の判断を導いたと主張している。

 さらに病腎移植の手術後の経過などをもとに、同移植の妥当性や有益性を認める専門家が国内外にいることを踏まえ、「病腎移植は腎臓移植を望む患者にとって非常に有効な治療法」であると強調。学会役員らの発言は真実と異なり、病腎移植が保険診療の適用外とされたことで手術を受ける機会が大幅に奪われ、患者の生存権と治療の選択権を妨害する結果を招いたとしている。


規制と容認は常にトレードオフの関係にある(■「選択肢の確保」と「規制の強化」を参照)。15歳のインフルエンザ患者にタミフルを使う「選択肢」、産婦人科医の嘱託医がいない助産所で出産する「選択肢」は認められていない。病腎移植を受ける「選択肢」だって同様である。病腎移植を禁止しないことで、ドナーやレシピエントに不利益が生じる可能性だってあったのだ。それに、全面禁止ではなく、原則禁止であり、臨床研究の道は残っていた。訴えられた側の日本移植学会の田中紘一理事長(当時)のインタビュー記事が、四国新聞社のサイトで読める。移植医療に興味のある人にとっては読む価値がある。以下、強調は引用者による。


■病気腎移植を認めない理由−四国新聞社


 ―ということは「現時点では」とただし書きを入れたのは、含みを持たせたわけではないと。
  善しあしを突き詰めて判断するには材料が足らないということ。ただ、医学は日々進歩するわけで、明日の可能性までつぶすつもりはまったくない。それを素直に表現したつもりだ。だから、関係学会の統一見解でも「禁止」という言葉を使わず、「妥当性がない」とした。将来の道はあくまで臨床研究でやりましょうと。

 ―仮に徳洲会グループが臨床研究に乗り出すなら学会として認めるのか。
  どうぞやってもらっていい。ただ、厚生労働省の臨床研究指針に従えば、グループ単独ではできないはず。根拠となるデータを出しながら、オープンにやる必要がある。内部の倫理委員会だけで判断するのは許されないだろう。日本移植学会としては、今回のような想定しない医療が出てきたときに備えて、診断や治療方法を審査する体制をつくりたい。先進的な国には中央倫理委員会のような組織があり、日本のように各病院の倫理委ごとに判断が割れることがない。そんな体制を整備した上で、徳洲会でもどこでも、どうぞ提案してくれればいい。


万波支持者の主張と比較すると、まっとうなことを言っているように思える。この記事が2007年4月。同時期の第25回臓器移植委員会議事録でも、病腎移植という方法をどのように残すかについての努力がうかがえる。


■第25回厚生科学審議会疾病対策部会臓器移植委員会議事録


〇大島委員
 前回まで私自身、あるいは学会としての見解については、十分に発言させていただき
ました。いまいくつかの論点が出ていますが、学会側の基本的なスタンスとしては、社
会から学会が信用していただくためには、科学的な根拠をもって医学的な判断をきちん
としていく、現在のレベルの基本的な倫理的な判断を下に、そしてインフォームドコン
セントとかは極めて常識的な話になっていると思いますが、そういうことをきちんと行
ってゆくということで今度の事態についても、学術専門団体そして専門職能団体として
判断をさせていただいたという理解でいます。そこで学会が出した判断についてどう受
け止めてどう考えるのかということについては、学会の手を離れた、それは社会全体、
もちろん学会もそれの一員であるということですが、社会全体の中で判断をしていただ
くということだと考えています。


〇大久保委員
 (略)
 もう一つ、患者団体としては、この前の移植学会の声明、各調査委員会の報告を受け
て、我々としては、いまの日本の現状からして、もちろん亡くなった方からの提供によ
る臓器移植を増やさないといけないのは当然ですが、可能性がある場合においては全く
ゼロではないということなので、病腎移植に関してはある程度は道を残してほしい
。こ
れは患者団体は恐らくどこもそうだと思います。
 万波先生が行った病腎移植に関することについては、完全に否定的ですが、可能性と
してはゼロではないということは、今まで過去にも実際にそういうことがあるわけだし、
生体の親族においてもそういうことがあり得る。
 先生がおっしゃったように「有効性及び安全性が予測されるとき」ということは、本
当に有効性と安全性が確立するということは、ほとんど難しい、要するにこういう状況
では臨床研究自体も難しいのではないかと思います。
 ですから、我々もこの前も声明では記者会見をさせていただきましたが、移植学会と
しても今後データを集めていって、実際にどれだけ有効性があるのかないのか、という
ことも見極めていくというようなことを移植学会の声明のあとに理事長もおっしゃって
おりました。基本的には何らかの形でこれは研究を進めていけるような文言にしていた
だけないかと思うところです。
 有効性及び安全性が完全に確立していない限り全く行えないということになると、本
当に実験的にも始められないことになります。この辺は少しどうか。言葉としてはもっ
とよい言葉があるのかもしれませんし、ないのかもしれませんが、我々患者団体として
は、病腎移植に関してもある程度の研究なりを続けて、実験研究を続けていって、道を
残していただきたいと思っております。


〇原口室長
 ひと当たり確認はしたところです。私よりお詳しいと思いますが、臨床研究に関する
倫理指針は、かなり幅広い臨床研究があることを念頭に書かれているという感じがござ
いまして、この個別にこの場合に今回の病腎移植を臨床研究として行う場合において、
非常に不都合がありそうと思われるような部分は、私はないように思いました


こうした議論の上で、「病腎移植は原則禁止。やるなら臨床研究で」という方針が決定されたわけである。私の知る限りは「病腎移植を根絶したかった」人はいない。提訴された移植学会の幹部も「条件付病気腎移植容認派」なのだ。そもそも病腎移植を根絶することで、誰か何か得するのであろうか。透析利権、つまり病腎移植によって患者が減ることで既得権益を失う人たちが病腎移植を根絶しようとしている、という主張がなされることがあるが、仮にそうした透析利権が存在したところで、移植学会や厚生労働省は透析利権と利害関係が一致しない。透析利権による病腎移植反対は陰謀論の類だ。

移植学会は、本音では、バンバン移植をやりたいのだろう。ただ、和田移植を初めとして、過去の倫理的に問題のあった医療のため、国民から十分に信頼されているわけではない。たとえば、冒頭の『デフォルトを「臓器提供する」として脳死ドナーを増やす』という主張に対する慎重な意見を見よ。移植医療においては、「患者が助かったんだからいいじゃないか」では済まない問題がある。移植学会がルールを守ってコツコツと実績を積んで、やっと信頼が得られてきたというときに、ルール違反の万波移植である。移植学会としては自浄作用のあるところを見せなければならなかったのだ。万波医師が初めからルールを守って病腎移植を行っていたら、ここまで批判されることはなかったろう。